「新たな自分」に覚醒したA君

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
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パンダの着ぐるみで徘徊させられた1日が終わり、疲れた様子のA君に僕はお礼を言いました。するとA君は、「楽しかったです。明日もパンダに入ります」と自分から申し出てきました。

普段はとにかくおとなしいA君。人前で騒いだりはしゃいだりするのは苦手そうなヤツでした。しかし周囲は、着ぐるみに入っている素顔のA君のことは知りません。パンダ姿でウロウロしていれば、当然「あ! パンダだ!」と大勢の人に注目され、否応なしに絡まれます。普段の素顔の自分に対する周囲の反応とは明らかに違うので、だいぶ戸惑ったことでしょう。着ぐるみごしとはいえ、それまでにはなかった新しい感覚の「対人関係」を直接体験するわけです。しかし彼は、パンダの着ぐるみというインターフェースを介して他者と触れ合っているうちに、自分でも気づいていなかった内なるパーソナリティと出会い、新しい人格=パンダとして振る舞う時間に快感を覚えていったようでした。

次の日、パンダに入ったA君はとにかく楽しそうにはしゃいでいました。僕が少し離れたところからA君を名前で呼ぶと、パンダに入ったA君がこっちに寄ってきて、僕の耳元で「僕はAじゃないです。『しまだ』です。『しまだ』と呼んでください。」と何やら意味不明なことを言い出しました(ちなみにA君の本名は「しまだ」ではありません)。僕はそれを聞いて、A君は「新たな自分と向き合っている」のだと気づきました。

他のサークルメンバーにもパンダに入ったA君を「しまだ」と呼ぶよう周知し、「しまだ」なるパンダの着ぐるみのお腹部分に、「しまだ」と大きく書いたネームプレートを貼りつけました。すると周囲は彼のことを「パンダ」ではなく、「しまだ!」「しまだ!」と呼ぶようになります。その時A君は完全に、「パンダのしまだ」という新しいペルソナ(外的な自分)を獲得していました。そして、とにかく楽しそうでした。

その後、サークルのみんなで「パンダのしまだ」を従えてキャンパス対抗の運動会に出場したり、都内の色々なイベントに出掛けたりしました。「しまだ」の手のひらの部分にはSuicaが入っていて、電車の改札もまさに「タッチ&ゴー」です。たまたまそのシーンに遭遇した人たちは、思わず爆笑していました。ある日、丸の内のビルのオープンパーティの招待状が手に入ったので、「しまだ」を連れて潜り込むと、「Oh~! シマダ!」と外国人からも絶大なる人気を獲得。彼はヘロヘロになるまではしゃいでいました。

その帰り道、A君は僕にこう言ってきました。「僕は心配なんです。いつか若新さんが僕から『しまだ』の座を取り上げるんじゃないか」と。そこで、僕は彼にこう言いました。「A君が自分からやめようと思うまで、『しまだ』はA君のものだから大丈夫だよ」。A君はとても安堵した表情で帰っていきました。