贈る言葉を書いたカードで「焼香」
岡本太郎のパートナーだった伯母・岡本敏子の葬儀をつくることになったとき、ぼくは“言葉で送る”ことにしました。
秘書だった敏子は、太郎の口からほとばしり出る言葉を必死にかき集め、多くの著作を残しました。彼女は生涯、「言葉」で太郎を支えた。だから言葉で送ろう。そう考えたのです。
会場の青山・スパイラルホールに入ると、前方にまっすぐ光の道が伸びています。視線の先では敏子が嬉しそうに微笑み、その奥にこちらを振り向く太郎が浮かびあがっている。透ける素材を使っているので、前後に吊られた2人の姿が同時に目に入ります。葬儀の遺影に他者が重なって見えるなど、常識ではあり得ませんが、それこそが太郎と一体に生きた敏子にふさわしい送り方だと考えたのです。
参列者には入口でカードに渡し、敏子に贈る言葉を書いてもらいました。これが「記帳」で、その言葉を、参道正面の光のテーブルに手向けてもらう。これが「焼香」です。光の参道の中央には光の輪があって、その中に入ると、太郎のことを嬉しそうに話す敏子の声が聞こえてきます。
このように、徹底して言葉だけで構成しました。演出の骨格は、時間を象徴する光と、2人の遺影と、敏子の言葉だけ。祭壇もなければ、花さえありません。
やはり太郎作品で飾った方がいいんじゃないか、映像で臨場感を盛り上げてはどうか、ぜひ敏子さんに捧げるパフォーマンスをやらせて欲しい……。いろいろな声がありましたが、いっさい使いませんでした。ギリギリまで削りに削り、最後に抽出した“これだけ”に賭けたのです。
一般的な葬式のフォーマットとはかけ離れていますが、だからこそ岡本敏子にふさわしい送り方ができた。だれも経験したことのない、最初で最後の送り方だったからこそ、忘れられない体験になりました。
「やった方がいい」とか「やるべきだ」ということなら、無数にあります。しかも、たくさん盛り込むほどうまくいくような気がするし、安心できるものです。「これも入れておきたい」「あれも入れるべきだ」という誘惑に打ち勝つのは並大抵のことではありません。絞れば絞るほど不安が増幅してきますが、そこが踏ん張りどころ。欲張ったら相手に伝わりません。
プロジェクトの核をなすコンセプトは、もとになったアイデアそれ自体と同様に、できるだけシンプルな方がいい。
あれもこれもと欲張ると、結局なにをやりたいのかわからない、中途半端なものになってしまいます。
※本連載は書籍『世界に売るということ』(平野暁臣 著)からの抜粋です。