2014年6月16日(月)

HIS、ネスレ、ヤマハにみる「顧客志向が顧客を減らす」ジレンマの正体

PRESIDENT 2014年1月13日号

著者
栗木 契 くりき・けい
神戸大学大学院経営学研究科教授

栗木 契1966年、米・フィラデルフィア生まれ。神戸大学経営学部卒業、神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。2012年より現職。著書に『ビジョナリー・マーケティング-Think Differentな会社たち』(共著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す-状況の思考による顧客志向』などがある。

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神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契=文 平良 徹=図版作成
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なぜHISは急成長を遂げられたか

マーケティング論の中心概念は顧客志向だという。これを聞いて、皆さんはどのように感じるだろうか。

「わかっているのだが、なかなか実践できない」これが多くの実務家の実感ではないかと思う。顧客志向とは一筋縄ではいかない問題だからこそ、そのジレンマのメカニズムを踏まえた打ち手が必要となる。大手旅行代理店が競争優位を発揮する旅行業界。この業界に遅れて参入したHISは、なぜ大きな成長をとげることができたのだろうか。

かつての日本の旅行の主役は、国内・海外を問わず、団体旅行だった。そこで旅行会社に求められたのは、航空会社やホテル・旅館に対する価格交渉力もさることながら、大人数のツアーを成り立たせる座席数や部屋数を確実に確保する力だった。こうしたニーズへの対応を優先すれば、数に限りのある格安航空券の取り扱いには力が入らなくなる。大手の旅行会社は、売り上げも利幅も大きい団体向けの企画に注力し、HISをはじめとする新規参入者が、格安航空券の個人向け販売に取り組んだ(日本経済新聞社編『経営者が語る戦略教室』日経ビジネス人文庫)。HISが成長できたのは、ほどなくして個人旅行の市場が拡大したからだが、参入当初に、体力のある大手企業との熾烈な競争に陥らなかったことも大きい。

さて、大手の旅行会社の側から見ると、ここに顧客志向の実践のひとつの難しさがある。つまり、ここで大手の旅行会社は、顧客を重視するあまり顧客を失うという罠に陥っている。

常識的に、顧客志向のもとで多くの企業が耳を傾けるのは、販売に大きな比重を占め、利幅も大きい顧客である。しかし眼前の有力顧客が、「顧客」のすべてではない。その時点では小さな比重にすぎないが、将来の増加が見込まれる顧客の存在――すなわち、この事例でいえば、海外への個人旅行客の存在――は、団体旅行客という眼前の優良顧客に強い業界大手の顧客志向にジレンマを引き起こす。

業界大手とはいえ、利用可能な資源に限りがある以上、長期の顧客創造に一定の資源を振り向ければ、その分、短期の顧客獲得には犠牲が生じる。「顧客志向」のかけ声だけでは、このジレンマによる短期志向から脱け出すことは難しい。特にマーケティング担当者が四半期ごとの財務成果を求められているような場合、どうしても短期の成果が見込める顧客に集中してしまい、長期対応は疎かになりがちである。そのために、顧客と向き合う際には、短期と長期の課題を考慮したうえで、場合によっては、担当者あるいはプロジェクトを分け、それぞれに異なるミッションや目標を設定するといった対策が必要だとされる。

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