3カ月で黒字化しない雑誌は廃刊

孫正義氏

この頃、僕は入院中でしたが、会長兼出版事業部代行として、たびたび病院を抜けだして陣頭指揮をとりました。各編集長を集めた会議で、僕はこう宣言しました。

「これより3カ月以内に黒字にならなかった雑誌は、すべて廃刊します」

役員には、撤退しないと言い、現場スタッフには廃刊をちらつかせる。矛盾した行動だと思われそうですが、違います。

各編集長は猛反発で「あんたは出版界の経営者として適切ではない」と言い放ち、席を立とうとしました。僕は「冗談じゃない」と机を叩き“断腸の思い”を説明しました。わが子が交通事故で重傷を負ったとき、医師から「片足を手術で切断すれば命が助かる」と言われたら、親は命を守ることを優先するでしょう。

出版事業という「命」が奪われかねないのに、編集長たちは「自分の雑誌」しか頭になく「切断するな」と言う。だから僕は怒鳴った。「おまえらの(雑誌への)愛情は偽物だ。俺は本当に出版事業を愛しているんだ」と。出版事業をなくすより、片足、両足を切っても生きていることのほうが大事だ、と。

口から泡を飛ばし、大げんかをした結果、勝負の3カ月間は毎週会議を開き、編集長には各雑誌の損益計算書を提出してもらうことにしました。編集長という人たちは、面白い誌面をつくることには才能を発揮するのですが、利益確保には鈍感な人が多かった。ですからコスト意識を徹底したのです。

雑誌再生を目指す中、僕は1号につき1000枚の読者アンケートハガキが戻ってくる雑誌がある事実を知り、勇気づけられました。「熱狂的ファン」の存在を確信できたからです。

そこで「とにかく読者の言う通りにやってみよう」と決めました。「厚さが薄い」「値段が高い」「表紙が美しくない」といった批判を、ひとつひとつ修正していったのです。一方、売れ行きが見込める雑誌は印刷部数を倍増し、テレビCM枠を億単位で購入しテコ入れしました。読者が限定されたジャンルの雑誌だったので、広告関係者はそのPR戦略に目がテン状態でした。