外務省、マッキンゼーを辞めた理由

仕事に違和感を覚えたら、アクションを起こしてみることが大事です。やりたい仕事や情熱を注ぐ対象があったら、まず動いてみることです。

私自身はこれまで「公」のために、自分が最大の課題だと思うことを解決しようと働いてきました。新卒で外務省に入省したのも、当時は日本の安全保障に最大の問題意識があったからです。アメリカの日本大使館で日米安保の強化という仕事に携わったときは猛烈に忙しかったですが、非常にやりがいがありました。

しかし帰国し通商問題に携わると、日本の地盤沈下のほうがよほど脅威ではないかと思い始め、仕事に違和感を覚えるようになりました。北朝鮮から核ミサイルを打ち込まれるのと、日本経済がズブズブ沈んでいくのと、どちらが日本にとっての差し迫った脅威か。私は後者だと思ったのです。

もちろん、外務省で通商交渉を担当することは意義のある仕事です。しかし自分がビジネススキルを身につけ、民間で成果を出すほうが国際競争力強化には貢献できるのではないか。そこでマッキンゼーへの転職を決意したのですが、最初は思い通りにいかず非常に苦しみました。与えられる仕事が多く自分がやりたい仕事ができず、パフォーマンスも上がらなかったからです。

私がやりたい仕事とは農業に関するプロジェクトでした。外務省で通商交渉に携わっていたとき、必ず問題になるのが農業でしたが、国を閉じて今の農業を守っていくより、むしろ国際競争力を強化して、外に打って出て儲かるようにしないと農業が衰退していくのは明らかです。

しかし会社では「農業のプロジェクトなんてとれるわけがない」といって笑われました。海外なら穀物メジャーのプロジェクトがありますが、日本ではそう簡単にいかないと。

入社後1年ほどたったとき「自分で動くしかない」と思い定め、普段の仕事の合間を縫って調査を始めました。プロジェクトの提案書を作成して、上司たちに「どうしても農業プロジェクトをやりたい」と言って歩き回ったこともあります。