2014年3月5日(水)

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社長が、真っ赤なTシャツで、記者会見に出てくる――。「ネット界のNHK」とも揶揄された昔のヤフーでは考えられない姿だ。なぜ「爆速」での改革が必要なのか。そこにはトップ企業ならではのジレンマがあった。

「みんな、いつ辞めようか考えていたと思う」

ヤフー社長 CEO 宮坂学
1967年、山口県生まれ。91年同志社大学経済学部卒業。出版社勤務を経て、97年6月ヤフー入社。2002年メディア事業部長、09年執行役員コンシューマ事業統括本部長。12年4月よりヤフー最高経営責任者、6月より代表取締役社長。13年6月より親会社であるソフトバンク取締役も務める。

「みんな、いつ辞めようか考えていたと思う。でも辞めなくてよかった。いまのヤフーは、以前とはまったく違う会社になった」(30代のヤフー社員)

日本最大のネット企業・ヤフーが、急激にその姿を変えつつある。きっかけは2012年3月に電撃的に発表された経営陣の交代だった。取締役4人のうち、創業社長の井上雅博(55)を含む3人が退任。新たに、社長には執行役員だった宮坂学(44)、副社長には子会社GyaO社長の川邊健太郎(37)が就任した。この結果、経営陣の平均年齢は10歳以上若返った(年齢は発表時)。

社長就任に際し、宮坂が掲げた目標は「201X年までに営業利益を2倍にする」。そのために、事業の中心をパソコンからスマートフォンにシフトさせる「スマホファースト」を宣言した。

井上体制でのヤフーは、15年間、日本のネット業界を牽引しつづけてきた。ヤフーは常に国内最大の利用者を抱える「ポータルサイト」であり、さらに創業から一貫して増収増益を続ける優良企業だった。ただしその体制は、安定感はあるが、動きが鈍く、先進的なサービスが生まれやすいものではなかった。この組織をどう変えればいいか。宮坂はその方向性について、「『大和のような巨大戦艦』から『小さな駆逐艦の群れ』へ」と説明している。

ヤフー副社長 COO 川邊健太郎

同じようなジレンマは井上も感じていたようだ。交代会見ではこう話している。

「僕がこのままやると、守りが重めになってしまう」
「携帯電話はカバンの中に入れっぱなしで、ソーシャルサービスも苦手だ」

井上体制でのヤフーの競争力の源泉は、1996年に開設したパソコン向けのポータルサイトと、それに付随する広告ビジネスにあった。ポータルで圧倒的な1位を堅持し、ネット上での「マスメディア」としての地位を確実にすることで、サイトの広告価値を高めた。

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