その一方で、ブログなど2000年代から隆盛してきたユーザー投稿型サービスでは他社の後塵を拝した。06年に開始したSNS「ヤフーデイズ」は、鳴かず飛ばずのまま11年に撤退。10年代に入り、急速に普及したスマートフォンへの対応にも遅れ、LINEなどの新興企業に台頭を許した。

ヤフー執行役員 チーフモバイルオフィサー 村上 臣

「パソコンの成功体験が大きすぎた。だから、新体制では『チーフ・モバイル・オフィサー(CMO)』という役職を新しくつくった。これは遅ればせながら、スマートフォン戦略を本気でやろうという思いの表れなんです」

IT業界でも珍しい「CMO」を務める村上臣(36)は、こう指摘する。

村上は自称「モバイル野郎」だ。根っからの技術屋で、2000年にヤフーに入社。携帯電話向けサービスの立ち上げに携わり、出向先のソフトバンクモバイルでも腕を振るったが、11年にヤフーを退職する。

「当時のヤフーはパソコン中心で、僕がやっていたモバイルのプロジェクトからも、たびたびパソコンの事業に人が引き抜かれることがあった。それでモチベーションが下がったんです」

だが、退職からわずか1年後、社長就任を控えた宮坂から声がかかる。

「ここだけの話、俺、社長になるんだ。新体制ではスマートフォンに振り切ろうと思っている。おまえが旗を振ってくれないか」

ヤフーを退職した村上は、入社以前からの仲間だった田中祐介と、モバイルに特化したベンチャー企業を立ち上げたばかりだった。田中、村上、そして副社長の川邊は、2000年にヤフーに吸収されたベンチャー企業「電脳隊」の創業メンバーだ。一足早くヤフーから離れていた田中は村上の活躍に大きな期待を寄せていた。だが、村上から相談を持ちかけられた田中はこう話した。

「日本のパソコンのトップ企業が、スマートフォンに大きく舵を切ろうとしている。その現場で仕事ができる。それはまたとないチャンスじゃないか。このビッグウェーブに乗るしかないだろ」

復帰を決めた村上は、CMOとして、スマートフォン向けのアプリやサービスの開発を牽引することになった。

宮坂と共にヤフーの事業戦略を練った副社長の川邊は「スマートフォン市場は『大きな未踏の大陸』だ」という。インターネットという広大な地球儀に描かれた「パソコン大陸」の地図は、ここ20年でかなり精密に描かれ、未踏の地は少なくなった。だが「スマホ大陸」は、まだほとんどが白地図で、大きさや輪郭もはっきりとは見えていない。ビジネスモデルや成功の方程式は未知数で、それは地図のない航海だ。川邊はこう表現する。

「パソコンからスマートフォンに移行し、ゲームは変わったが、そのルールが見えていない」