A級戦犯を“日中共通の加害者”に仕立てた

そのような靖国神社だが、かつては、戦後、日本の首相や天皇が参拝しても中国や韓国は特に問題視してこなかった。

靖国問題が浮上したのはA級戦犯が合祀されてからしばらくたってのことだ。事の発端は1972年にさかのぼる。同年、当時の田中角栄首相は中国を訪問し、日中の国交が回復した。このときに田中首相と周恩来の間で交わされた合意事項の一つに「A級戦犯問題」があった。

周恩来は日中友好条約締結の前提条件として戦後賠償を求めたが、田中首相はこれを拒否、すでに賠償済み(蒋介石の国民党政権に対して賠償を申し出たが蒋介石はこれを断った)との立場を取ったが、ODA(政府開発援助)という形での資金・技術供与を約束した。

その際に戦後賠償の放棄を国内向けに説明するために、周恩来がひねり出したのが「中国人民も日本国民もともに日本の軍部独裁の犠牲者」という理屈だった。つまり、A級戦犯を“日中共通の加害者”に仕立てたのだ。田中首相はあまり深く考えずに合意し、それが日中の密約になった、あるいはそれ以来ODAが田中派の利権となった、と言われている。問題はこれが条約でもなく、公開された文書でもない、というところで、したがって同じ自民党であっても反田中派や、ましてや国民は、「そんなことは知らない」のだ。

しかし、78年にA級戦犯は靖国神社に合祀されて「英霊」として奉られるようになった。合祀以降、天皇は一度も靖国参拝をしていないが、日本の首相の参拝は何度か行われた。

そのときには中国からの抗議はなかったが、85年に当時の中曽根康弘首相が公式参拝を表明すると中国側が反発、後に韓国も便乗して、“外交カード”に使うようになった。この靖国問題の掘り起こしは、朝日新聞など日本のメディアが首相の靖国参拝を批判するキャンペーンを張ったことが影響したとも言われている。

いずれにせよ、中国の立場からすれば、日中の両国民は同じ“被害者”という前提で友好関係を結んだのに、「話が違う」ということになる。“共通の加害者”であるA級戦犯を奉る靖国神社を国民の代表である首相が参拝するということは、日本国民全体が加害者の側に与することになってしまうからだ。