「全力で準備して全力で走らなければ、自分の位置も実力もわからない」
――料理人 佐竹 弘さん

佐竹 弘さん

転機というのは自ら変えるものというより、まずは目の前の仕事に時間と労力をかけることで見えてくる、というのが、東京・東神田でイタリア料理店「レーネア」の料理長を務めている佐竹さんの言葉だ。

「まずは自分で精一杯、やるだけやって、あるところまで来たら『……あ、おれって自分の力でやっていたつもりだったけれど、仕事ってやらせてもらっていたんだな』と思える時がきっとくる。そう思えないうちは全力で走っていればいいんです」

そういう意味では、仕事はマラソンに似ていると佐竹さんは言う。選手なら本番までの準備に全力を尽くすのに精一杯で、本番中だとちょっとでも速くということに精一杯なはず、と。

「その全力の走りの中で、どうしたって実力差は歴然としてくる。絶対に勝てない奴がいるということは、時間と労力をかける中でハッキリとわかってくる。それは自然に選別されていくんです。でもね、走る前から『参加するだけで素晴らしい』なんて思ってちゃダメでしょう? 全力で準備して全力で走らなければ、自分の位置も実力もわからない。若い時にやれることは『悔いのないように精一杯』しかないと思う」

「素人にはできないことをやるのが、プロだと思っていますから」
――料理人 谷 昇さん

谷 昇さん

ミシュラン2ツ星店、東京・神楽坂の「ル・マンジュ・トゥー」オーナーシェフである谷さんは自己の転機を「遠回りしても、どこかでフランス料理に携わる仕事を辞めないでいたら、料理の世界をいろんな角度から勉強できる」という発想だったと話す。同世代の料理人では遅咲きだが、変化・成長の中で、時間をかけることを大切にするようになったそうだ。

「『バカみたいに時間がかかること』に仕事の本質があるのだと思っています。今、50代なのに年に300日ぐらいは店の屋根裏部屋に泊まって銭湯に通っているというのは、単純に仕事が終わらないからなんですよ」

功なり名を遂げたオーナーシェフなのに、今でも店内に泊まることも多いというのである。

「24時間ほとんど店の中に閉じこもるという生活は囚人のようだとも無間地獄のようだとも感じることはあります。でも、昔からいろいろな職人たちが命や時間を犠牲にして仕事に打ち込んできた歴史を想像すれば、まぁ、当然のことかなとは思います。長時間労働なのか、あるいは技術や意識なのかはわかりませんけれど、素人にはできないことをやるのがプロですから」

――とんちや禅問答のような話に留まらない、「本当に自他を変える言葉」とはどのようなもの か。日頃インタビューを生業にする筆者としては、生のまま、身を絞り出すようにして、取材の際に最も強く思っていることをぶつけられただけ、とでもいうタ イプの肉声にこそ「変化、転機の芽」が宿るのではないか、と痛感させられてきた。ここではそんな言葉を集めてみた。
本欄で紹介した肉声は筆者による既刊『仕事の話』(文藝春秋)と『料理の旅人』(リトル・モア)から再録したものだ。本企画のために再録を許していただいた取材対象者の方々には、心からの感謝の気持ちを申し上げておきたい。