母校の先輩、後輩の仕事ぶりが一目瞭然! 高収入を貰っている大学ベスト40はこれだ。

調査概要/大学別の就職先データは大学通信、「大学別就職先しらべ」(リクルート)を利用した。平均年収は厚生労働省「賃金構造基本統計調査」(2011年)を用いて算出した。

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平均年収ランキング(1~20位)

1970年代の10年間で経済環境が大きく変わった。50年代後半から始まった高度成長が73年の第一次石油危機で終わりを告げた。

その後は低成長の時代に入り、79年に第二次石油危機があり、特に鉄鋼や造船などの製造現場では「減量経営」と呼ばれる人員削減を行った。大企業ではホワイトカラーの出向、転籍も行われ、非正規社員も徐々に増えていく。一方で、各企業は高卒や大卒などの新規採用者数を大幅に減らした。

企業人事に詳しい日本総合研究所の寺崎文勝氏(87年、早稲田大学第一文学部卒)は「キャリア組とノンキャリア組」という言葉を使い、この時代の大学新卒者の採用を分析する。

「大学進学率(75年27.2% 文部科学省「学校基本調査」)は今と比べると、まだ低く、大卒の価値は高かった。特に東大をはじめとした旧帝国大学、私立では早慶といった指定校出身の学生はキャリア組のような扱いで、他大学の学生に比べると、高い評価を受けた傾向はある」

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平均年収ランキング(21~40位)

「キャリア組とノンキャリア組」は民間企業でも浸透し、有力校では「指定ゼミ」「指定研究室」といえるような“ルート”があった。旧帝国大学や早慶の理工学部、工学部などの学生は研究室の教授の推薦を得ると、その研究室とつながりが深い企業の研究所などに進むことができた。

図を見ると、上位を国公立大学が独占しているのがわかる。私立は東京理科大や武蔵工大、芝浦工業大などが善戦しているが、メーカーに勢いがあった時代に研究職などとして入社した者が多いからではないかと考えられる。

金融業界でヘッドハンターをする田頭信博氏(72年、成蹊大学経済学部経済学科卒)は、高度成長の最後の時期に就職活動をした。

「好景気の影響もあり、就職に心配していた学生は少ないと思う。中堅の大学であろうとも、上場企業に入ることは難しくなく、数社受験すると内定を得ることができた」

同氏は体育会ヨット部の主将として年間150日は合宿に参加し、チームを率いた経験などが認められ、海運業界の三光汽船から内定を受けた。