「単一の世界観」への抗い方

そのような世界観にくみさない人々に何か考える種を提供するとすれば、それは拙著『自己啓発の時代』でも述べた、そのような単純な世界観こそが現代社会において欲されているのだという解釈です。拙著では、社会学者・鈴木謙介さんが示した「断定系消費」(鈴木謙介・電通消費者研究センター『わたしたち消費』107-108p)という概念を参照して、こうすれば間違いないという価値基準がかつてよりも揺らいでいる現代社会において、日々の生活から人生における決断までを一方的に決めつけてくれるような権威が欲されているのではないかと論じました。

鈴木さんはこの断定系消費の例として、占い師の細木数子さんが当時(2007年)人気を博したことを挙げていました(109p)。自己啓発書のブームも、細木さん、あるいは「スピリチュアリスト」江原啓之さんの人気が高まったのも、2000年代の出来事でした。これらをまったく同一の観点から捉えることはもちろんできませんが、何事かを決めつけてくれる権威が支持を集めたという点においては、共通する社会的背景があるように思えます。

ただ、自己啓発書が示す二分法的世界は、二つの世界が横並びになっているというよりは、望ましい側と望ましくない側とで明らかに区分されています。繰り返しになりますが、すべてを「心」の問題と位置づけて就職活動や仕事や人生に向き合っていけるか否か、成功者の習慣を取り入れていくか否か、ドラッカーを真に理解しているか否か、「自分らしく」生きているか否か、自分の身の回りのモノは自らがときめくという基準で集められたか否か、等々。

つまり、自己啓発書が望ましいとするライフスタイルと「それ以外」という区分になっているのです。その意味で、より正確には、自己啓発書とは「単純明快な一つの答え」を示してくれるメディアなのだというべきかもしれません。連載第11テーマ「就職活動論」の最後に示した、就職活動論にはさまざまな議論のパターンがあるため、各論者の主張をそれぞれみていくことで「単純明快な一つの答えを得ようとするのでなく、またこれこそが正しいものの見方だとして一つの観点に固執するのでもなく、視点を変えるたびに現象が違って見えるという世の中の複雑さをそのまま受け止められるようになること」に挑戦してみようと述べたのは、自己啓発書の単一の世界観に対抗する意図があってのことでした。連載全体を通してのメッセージを示すとすれば、今述べたような点です。