2013年7月17日(水)

「就活の語られ方」はどう変わったのか-3-

ポスト「ゼロ年代」の自己啓発書と社会 第49回

PRESIDENT Online スペシャル

著者
牧野 智和 まきの・ともかず

1980年、東京都生まれ。2003年、早稲田大学教育学部卒。09年、早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(教育学)。独立行政法人日本学術振興会特別研究員。「自己啓発本」を社会学の手法で分析した初の単著『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探求』(2012年、勁草書房)は、日本経済新聞、朝日新聞の両書評欄で紹介され、2013年に日本出版学会・奨励賞を受賞した。同書第五章「ビジネス誌が啓発する能力と自己――ビジネス能力特集の分析から」では、「プレジデント」をはじめとするビジネス誌記事内での「○○力」という表現の使われ方とその変化を細かく分析している。

執筆記事一覧

牧野 智和=文
1
nextpage

TOPIC-3 就職対策本の矛盾

今回は、就職対策本の間の主張の矛盾について考えてみたいと思います。まず考えたいのは、しばしばみられる「自己分析」をめぐる矛盾です。その主張の基本パターンは概して以下のようなものです。

「就職活動は自己分析から始まります。自分の性格や適性などを知るために、様々な方向から自分を見つめ直しましょう。人からどう見られているのかを考え、それを自分が思っている自らの性格と比較して、総合的に大きく『私はどういう人間なのか』を知ることが大切です。大きいイメージをつくると自分に合う業種が見えてきます」(碇ともみ『「受かる」就活女子レッスン』52p)

「自己分析は就職活動の大きなテーマである。自己PRにつなげる基になり、学チカ(エントリーシート記入時に多く求められる要素「学生時代に力を入れたこと」の略:引用者注)の基本ネタにもなる。また、企業選びの軸となる自分の立ち位置を知ることにも使える就職活動で大切な確認事項の1つである」(柳本新二『内定を勝ち取るための51カ条』36p)

2010年までの就職対策本の分析を行った拙著『自己啓発の時代』では、多くがこのパターンでしたが、近年はこれにとどまらない主張をみることができます。明確な否定の立場をとるのが高下こうたさんの『逆転内定術』です。少し長くなりますが、それぞれ端的なので引用してみます。

「そうそう、自己分析とか、あんなのはしなくて結構。ああいうのはアピール要素がポンポン出てくる経験豊富な人が、『俺今まで何したっけなー。いっぱいやったからなー』とか思いながらそれを自己分析と認識せずにやるもんだ。何の目標もなく周りが大学行ってるからとりあえず大学行っとこうと、流されるがままに生きてきた僕たち就活弱者には必要のないもの。だってどんなに長い時間をかけて頭ひねろうと、やったことのない経験が出てくるはずがない」(38p)

「自己分析の何がこわいって、就活をやった気になるところだ。大学三年とかでまだ就活が本格的に始まっていない時期。迫り来る就活シーズンを目前に、何か今の内からやれることはないかと焦燥感からうずうずしている。この焦りを埋めてくれるのが、自己分析だ。なんとなくやった気にはなるから、焦りも静まる。けれど根本的な解決はしていないからまた発症し、そしてまた沈める。こうして何日も何ケ月も自己分析をやるはめになる。これはほんと、時間の無駄だ。(中略)自己分析は完全に無意味とまでは言わないが、同じ時間で別のことをした場合と比べると、得られるものが限りなく少なく、時間の無駄」(39p)

他にも、黒沢一樹さんは自己分析の推奨によって「多くの学生が『やりたいこと』『やりがい』『夢』『目標』を探す旅に駆りだされてしまう。まるでハーメルンの笛吹き男に付いていくように」(『ネガポジ就活術』13p)とも述べています。続けて黒沢さんは「『夢・やりたいこと』に引っ張られてしまい」職業選択の幅を狭めてしまうこと、自己分析は過去の体験から「自分のやりたいこと」を導き出そうとすることが多いため、それによって「過去に体験したことのない未知のジャンルの職業」に目を向けなくなることをそれぞれ問題視しています(13-14p)。このように、就職活動におけるポイントの一つである自己分析ですら、どの本を手に取るかで、その主張は大きく異なってくるのです。

PickUp