「そのためなら、なんぼでも協力するで」
ただ、利用者にしてみれば、まったく知らない事業者より、自分のことをわかっている人たちに介護をしてもらいたい。そこで彼らは次のような声を上げはじめた。
「会社が倒産するなら、山﨑さんが新しく会社を起こせばいいやないか! そのためなら、なんぼでも協力するで」
大勢の人からそう言われたことで、山﨑氏は目を開かされた。
自分たちは会社の都合を一方的に利用者に押しつけて不安に陥らせていただけではないか。それなら、自分が腹をくくって、彼らにとって最良のサービスを届けたい。
山﨑氏はそう考え、知人ら4人と共に西成区で起業した。それがシクロだった。
昔も今も釡ヶ崎の周辺には、元日雇い労働者や元暴力団組員が大勢住んでおり、福祉のサービスを必要としている。
予想していたことだが、その近くに事務所を開設すれば、自ずとそうした者たちが利用者となる。障害といっても、覚醒剤の後遺症、アルコール依存、統合失調症といった問題を抱えている人たちを相手にサービスを提供しなければならないのだ。
わざと刺青を見せて威嚇する者も
介護者にとってこのような地域で仕事をするのは簡単ではない。後遺症や精神疾患で激しい幻覚に苦しんでいたり、人格が破綻してしまっていたりする者もおり、そもそもまともなコミュニケーションができないのだ。
若いスタッフたちを見下し、罵詈雑言を浴びせたり、わざと刺青を見せて威嚇したりする者もいる。
開業当初、会社のスタッフはそうした人たちへの適切な対応法がわからず、正論で向き合っていた。
だが、社会の底辺を這うように生きてきた利用者の方がはるかに狡猾で、口が達者だ。彼らはこうがなり立てた。
「あんたら偉そうに言ってるけど、わしらがいるから給料もらえるんとちゃうか。どうせ給料だって安いんだろ。わしらが若い時はもっと働いてがっつり稼いでたわ! 偉そうな口を叩くな!」