年齢早見表に載っていない大正5年生まれ
わが国最年長の現役理容師、箱石シツイさんは大正5年(1916年)11月10日生まれの107歳。考えてみれば、100歳をこえる方の話を直接聞くのは生まれて初めてのことである。
久しぶりに吉川弘文館の『日本史年表・地図』を開いてみると、シツイさんが生まれた大正5年の1月に大隈重信が要撃されて第二次大隈重信内閣が倒れ、10月に寺内正毅内閣が成立とある。
第一次世界大戦が始まったのが大正3年。日本はドイツに宣戦布告して中国の山東半島に陸海軍を上陸させ、大正4年には中国に対して「21カ条の要求」を突きつけ、大正7年にはシベリアに出兵している。国内では同年に“平民宰相”こと原敬の政友会内閣が成立して、普通選挙獲得運動が始まった。
シツイさんは、政党政治が勃興して普通選挙(男性のみ)が実現する大正デモクラシーの渦中に生を享けたわけだが、その時代はまた、わが国が第一次大戦に勝利し、列強の一角(5大国)として国際社会でのプレステージを高めていく時代でもあった。
ちなみに、筆者が愛用している能率手帳の巻末には「年齢早見表」がついているが、表の始まりは「大正12年 1923年 100歳」である。現在、100歳ごえの人口は全国で約9万人いるそうだ。
「人を恨まず、人を妬まず、人と争わず」という母の教え
「小学校でドッジボールをやるでしょう。そうすると、友だちがみんな私のほうに入りたいって言うんですよ。うれしかったですね」
JR水郡線の常陸大子駅から車で20分ほど。「理容 ハコイシ」は栃木県那須郡の国道461号沿いにある。かつてたばこの栽培で栄えたこの谷川地区には、当時、尋常小学校の分校が3つあった。運動神経抜群のシツイさんは、3校合同の運動会では常に主力選手のひとりであり、活躍のご褒美にいつも半紙の束を貰って帰ったそうだ。
大正時代の小学生がドッジボールをやっていたのも驚きだが、クラスメイトがみんなシツイさんのチームに入りたがるのでは試合にならない。
「なんでみんながこっちに入りたがったかって? 私は喧嘩をしたことがなかったですからね。小さい時から『人を恨まず、人を妬まず、人と争わず』って母親から教えられていたんです。だからみんな私のほうにきたがったの」
こうした心持ちが長寿の秘訣だなどというのは、早合点だ。シツイさんの人生は、大正から昭和にかけての日本の歴史がそうであったように、文字通り「激動の人生」だった。