満州帰りの兵士が広めた「宇都宮餃子」
宇都宮市内には餃子専門店や中華料理店など餃子を扱う店が200軒以上あるそうだ。宇都宮餃子は、戦時中、満州(中国北東部)に駐屯していた宇都宮の陸軍第14師団の兵士たちが、現地でよく食べていた餃子の製法を持ち帰り、その後、家庭で作ったり、餃子店を開いたりするようになったのが始まりとされる。
やがて、ファミレスが登場して外食文化が広まると、市内には副食に餃子を添えたランチや定食をメニューに加えた店が増え、餃子は宇都宮市民のソウルフードとして定着した。
一世帯あたりの餃子購入額でも、宇都宮は2010年までは15年間連続で全国1位を誇った。ただ、2011年に、「浜松餃子」の街として知られる静岡県浜松市が1位となり、その後、宇都宮と浜松は激しい首位争いを続けるが、2019年にはご当地グルメの祭典として知られる『B-1グランプリ』において、津市(三重県)の「津ぎょうざ」が優勝、一世帯あたりの餃子購入額は、2021年からは宮崎市が連続して日本一になるなど、近年、宇都宮以外にも地域色豊かな餃子が増えている。
戦後の食糧難から生まれた「富士宮やきそば」
富士宮やきそばの起源は終戦直後まで遡る。市内の製麵業者が、戦後の食糧不足の時代に、市民の手頃な食べものとして、腰の強い蒸し麵に地元産のキャベツやいりこなどの食材を使った焼きそばを考案したのが始まりだという。
その後、地元の人たちが、お好み焼き屋や駄菓子屋で気軽に食べていたが、富士宮の町おこしを模索していたグループが、富士宮には多くの焼きそば店があり、焼きそば消費量が全国のトップクラスであることに気付き、2000(平成12)年に「富士宮やきそば学会」を発足させた。
大きな転機となったのは、2006年から始まった食の祭典『B-1グランプリ』である。富士宮やきそばは、第1回大会で見事グランプリに輝き、翌年の第2回大会も連覇すると大ブレークする。今では全国のB級ご当地グルメの代表格であることは周知の通りである。