※本稿は、早野元詞『エイジング革命 250歳まで人が生きる日』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
老化防止や若返りはビジネスにもなる
「老化って、何?」
「健康って、どういうこと?」
「人間の寿命が100歳を超えて延びていったら、どうなる?」
アメリカで研究していたときに、幾度となくこのような会話が飛び交いました。研究室ばかりでなく、カフェやクラブでも、話し好きが集まるといつしかこんな話題になるのです。
決まって最後は、「なぜ、生きるのか」。なぜ、僕らは死ぬ存在なのに、生きるのか――。明るく白熱したものです。こうした死への意識、それは時間への意識に他なりません。
地球上の生物の中で、時間を意識している生き物は、おそらく人だけです。
しかもその意識は人によって大きく異なります。たとえば、病気でも事故でも九死に一生を得るような体験をした人は、朝目覚めただけで、かなりの幸福感を抱くことでしょう。逆に、時間は無限に続いていくかのように今日の日を生きている人もいるでしょう。
人によって、全く異なるのが、時間の観念です。
時間に高い価値を見出している人にとっては、老化防止や若返りは哲学であると同時にビジネスにもなります。人生において、必要不可欠なものだからです。
マーケティングの大家、ピーター・ドラッカーの言葉を借りれば、ビジネスとは価値と対価の交換であり、価値を決めるのは対価を支払う顧客である。ゆえに、人生の時間の価値への投資(=ビジネス)が、老化研究を刷新する可能性が大いにあるのです。
すでにアメリカでは、老化防止や若返りは、生物学のテーマであると同時にビジネス分野の重要なキャラクターを担いつつあります。
30億ドル集めたアルトス・ラボの起業
アメリカに、「アルトス・ラボ(Altos Labs, Inc.)」というベンチャー企業があります。若返りをテーマにしたライフサイエンス企業です。
2021年秋の起業時には30億ドル、すなわち日本円にして約4500億円もの資金が集まりました。通常のベンチャーであれば、スタートアップに集まる資金は数千万円レベルといわれます。特に有望視されるベンチャーでも、数億円にとどまります。しかしアルトス・ラボには、途方もない資金が集まったのです。
なぜ、とんでもない期待を集めたのか。
資金提供者にはアマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏も名を連ねています。ベゾス氏は1964年生まれ、つまり還暦間近であったといえば納得する人も多いのではないでしょうか。彼らのようなシリコンバレーの超富裕層にとって、「若返り」は何よりもの望みなのでしょう。
人が決して越えられない「不老不死」の壁を、最先端の科学で乗り越える。アルトス・ラボの研究室は、そんな近未来を現実のものとして見据えています。
山中因子は老化のリセット・スイッチ
2022年の1月には、山中伸弥教授がアルトス・ラボの上級科学アドバイザーになりました。2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した、京都大学の教授です。当時の報道で山中教授は、「近年、細胞をプログラミングして若返らせることが科学的に実現できるようになってきており、全く新しい病気の治療法開発につながる可能性がある」と述べています。
実際に、山中教授が発見した4種類の遺伝子(山中4因子:Oct3/4、Sox2、Klf4、C-Myc/別名:iPS細胞〈人工多能性幹細胞〉)を使って、老化した細胞を初期化して若返らせる研究が進められています。簡単にいえば、世界中が注目する「老化のリセット・スイッチ」、それが山中因子なのです。
直近では私の恩師、デビッド・シンクレア博士(『LIFESPAN 老いなき世界』の著者)も、山中因子による緑内障の治療において若返りの成果を出しています。私自身が関わる研究チームも、マウスの実験において成果を得ています。ただし研究を重ねた結果、4つの遺伝子すべてを使うとがん化する恐れがあるため、現在は3つの遺伝子による実験を進めているところです。
シンクレア博士の表現を借りれば、「老化研究では、細胞のリプログラミングがまず間違いなく次のフロンティアになるだろう」(『LIFESPAN』より)。そしてそれが社会に実装化されるタイミングは、早ければ20年以内に訪れるというのが私の推測です。
若返りが科学的に証明される…
ここに至る道のりを振り返ってみましょう。
一連のエイジング研究が盛んになりだしたのは、ざっと20年ほど前からです。わずかここ10年、20年の間にも、注目すべき研究成果が数多く生まれています。主なものは次の通りです。
・長寿遺伝子といわれるサーチュイン遺伝子を活性化すれば寿命が延びる。
・糖尿病の薬メトホルミン、他にもラパマイシンと呼ばれる化合物を服用すれば寿命が延びる。
たとえば、抗老化効果で話題のサプリメント「NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)」は、このサーチュイン遺伝子を活性化するとされています。ただし、この段階では誰もまだ、老化を疾患とは考えていませんでした。ですからNMNにしてもラパマイシンにしても、あくまでもアンチエイジングの手法の一つだったのです。
ところが2005年頃から、新しい研究成果が出てきました。「パラバイオーシス(Parabiosis)」と呼ばれる、血液交換術です。若いマウスの血液を、年寄りのマウスに注入すると、年寄りマウスが若返って身体機能が改善された――まるでドラキュラみたいな話が、科学的に証明されたのです。
要するに、若返りです。
これは、老化に抵抗するアンチエイジングとは異なる方向性であり、目指す結果が違います。老化しないようにするのではなく、老化を治療して若返る、というわけです。50歳の男性が、若返りの治療を受けて、30歳になる。そんな世界です。
細胞が若返る飲み薬
この実験では、若返るだけでなく年寄りの血液が入ったマウスが老化してしまったことから、血液に含まれている成分によって老化がコントロールできるのではないか、という概念が生まれて一気に研究に弾みがつきました。
老化は治療できる、ならば、どうすればいいか。そう考える研究者が増えてきたのです。
続いて2016年に出てきた研究成果も驚きでした。
スペイン人の研究者イズピスア・ベルモンテ教授が、先述の山中4因子を用いた細胞のリプログラミングによって、マウスの寿命を延ばすことに成功します。
そして前述のシンクレア博士たちの画期的な成果が生まれます。2021年、神経の若返り効果を山中3因子(Oct3/4、Sox2、Klf4)を使って実証し、さらに2023年、山中3因子の代わりに化合物のカクテルを使い、同じような老化した細胞の若返りを実現しました。
化合物で細胞機能やエイジング・クロックが若返る――つまり、細胞が若返る飲み薬の実質的な可能性が証明されたのです。
ハピネスも老化を左右する
ここで精神面の話にも、少しだけ触れましょう。
あなたは、自分を幸せだと感じていますか?
それとも少しばかり不幸かも、などと思っていますか?
実はそれも、寿命に関係してきます。
長寿の人は、周囲との人間関係が良好で、日々の中で幸せを感じることが多い。逆に、平均寿命を超えられない人は、ひとりぼっちで孤独な人が多く、幸せを感じることが少ない。そんな研究成果が論文で示されています。
実際にマウスレベルの実験では、もっと恐ろしい結果が判明しています。集団で飼っているマウスと、個飼いの単独マウスでは、明らかに寿命が違ってくるのです。一匹だけで生きているマウスは、とても短命です。このような研究成果は、社会的ストレスと社会的地位の低さが哺乳類において寿命を縮め、心血管疾患(CVD)のリスクを増大させることを示唆しています。
良い人間関係は脳も守る
ある年のTEDトークで有名になったハーバード大学の研究成果として、次のような内容が明らかになっています。
1 家族、友人、コミュニティなど、周囲とつながりを持っている人は、そうでない人よりも幸せで健康で長生きする。
2 身近な人たちとの人間関係の質が重要である。
3 良い人間関係は、その人の脳も守る。
ハピネスと免疫力については、他にもさまざまな研究成果が見られます。
ハピネスを感じている人ほど、免疫力が高い。
だから感染症に罹りにくいし、がんにもなりにくい。
卵が先か、鶏が先かのような話になりますが、多くの人と交わりながら機嫌良く過ごすことが精神に幸せをもたらしてくれる。これが免疫力を高め、致命的疾患を遠ざけてくれる。するとますます他人との交流も深まり、身体機能の低下も避けられる。
こうして良い人間関係が、健康寿命を延ばしてくれるのです。まさしくこれも、ヒトの健康寿命の8割超を決めてしまう後天的な影響の一つに他なりません。