いくら休んでもなかなか疲れが取れないのはなぜなのか。長年休養について研究し、日本リカバリー協会の代表理事を務める片野秀樹さんは「『働き、疲れたら、休む』を繰り返すだけだと、休んでもフル充電に戻せないまま、活動に戻るようなもので、サステナブル(持続可能)になっていない。次の活動に移る前に、休養のほかにもう1つ、疲労を打ち消すような要素を加えるといい」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、片野秀樹『あなたを疲れから救う休養学』(東洋経済新報社)の一部を再編集したものです。

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「活動→疲労→休養」のサイクルから抜け出す

私たちは十分な休養をとれているとはいえません。今の私たちの休養のとり方を図解してみると、「活動→疲労→休養」の3つをグルグル回っているようなものです(図表1)。

どういうことでしょうか。

私たちは職場や学校に行って、仕事や勉強などの活動をします(活動)。家で仕事をする人もいますし、家事や介護、育児をする人もいるでしょう。

これらの活動をすれば、当然、疲れます(疲労)。

疲れたら休みます(休養)。

そしてまた活動します。

このように普段私たちはこの3つの要素を繰り返しているのです。

【図表1】今の休養サイクル
片野秀樹『あなたを疲れから救う休養学』(東洋経済新報社)より

しかし私は、ここにもう1つの要素を加えたいと考えます。それは何でしょうか? 皆さんも考えてみてください。

私はよく皆さんにこんなふうに質問します。

「疲労の対義語、反対語は何だと思いますか?」

すると、「休養ですか?」と答える人がほとんどです。

しかし、残念ながら休養ではありません。

100%フル充電状態には戻れていない

活動→疲労→休養のサイクルを、スマホの充電池にたとえてみましょう。活動し、疲労することで電池の残量は減ります。しかし、休養することで充電し、再び活動します。

休養で100%フル充電状態に戻れれば、これで何も問題ありません。しかし、もうおわかりかと思いますが、なにしろ日本人の8割が疲れているわけですから、実際にはそうなっていません。今はやりのいい方をすれば、サステナブル(持続可能)になっていません。

休んでもフル充電に戻せないまま、活動に戻っているのが実態です。私の感覚では、今の日本人は休養しても50%程度しか充電できていないイメージです。そのまま活動して20%くらいまで減り、休養で50%にどうにか戻って、また活動して……。これでは、私たちの消耗は進むばかりで、疲れがどんどんたまっていってしまいます。

そこでわれわれが提唱しているのが、次の活動に移る前に、休養のほかにもう1つ、疲労を打ち消すような要素を加えることです。

日常のサイクルに「活力」を加える

辞書を引くと、疲労の反対語は「活力」であると書いてあります。この活力を加えて4つの要素にしてはどうか、そう考えたのです。

つまり、休養したあとすぐに活動を始めるのではなく、そこからさらに活力に満ちた状態までもっていき、再び活動する、というサイクルです(図表2)。

休養だけでは50%程度しか充電できなくても、活力を加えて満充電に近いところまでもっていくのです。

【図表2】理想の休養サイクル
片野秀樹『あなたを疲れから救う休養学』(東洋経済新報社)より

心身を鍛える「超回復理論」とは何か

では、どうしたら活力を高められるのでしょうか。意外に思われるかもしれませんが、実はあえて軽い負荷を自分に与えると、活力が高まることがわかっています。

そこで思い出していただきたいのが「超回復理論」です。

前回のトレーニングの疲れが回復しきっていないのにトレーニングを続けると、結果的にパフォーマンスはどんどん下がっていってしまいます。そうならないために、アスリートたちは超回復理論にもとづいて、激しいトレーニングのあとに必ず一定の休養をとることでパフォーマンスを上げていきます。

超回復理論は、筋力トレーニングをしている人にはおなじみかもしれません。簡単にいえば「あえて負荷をかけたトレーニングをすると、その直後は疲れて体力が低下するが、そのあと十分な休養をとることで、トレーニングをする前より体力がつく」という現象を説明した理論です(図表3)。

筋トレでいえば重いものをもち上げたり、もち上げる回数を多くしたりして、筋繊維を1回壊します。その後48時間から72時間、つまり2~3日はトレーニングをせずに休養に専念します。すると、トレーニング前よりも筋繊維が肥大しているのです。

ボディービルダーたちはこれを繰り返すことによって、たくましい肉体をつくっていますが、超回復理論は、なにもこうしたアスリートの人たちだけのものではありません。ビジネスパーソンや一般の人たちもぜひ取り入れたい考え方なのです。

【図表3】超回復
片野秀樹『あなたを疲れから救う休養学』(東洋経済新報社)より

あえて、自分に負荷をかける

活力を高めるには、あえて自分に何か負荷をかけることだとお話ししました。

「疲れが取れきっていないのに、もっと疲れることをするなんて、とんでもない」

そう思うかもしれません。しかし適切な負荷をかけたあとにもう一度しっかりと休養の時間をとると、ストレスをかける前よりも体力がつくわけですから、試す価値は十分あるはずです。

基礎体力を上げていく

もとの体力が10だとすれば、あえて負荷をかけることで一時的にパフォーマンスが7や8に落ちても、回復時には体力が11になっている。そして次の休日にまた同じことをすれば、回復するころに体力は12になっている。こうして基礎体力が徐々に上がってきます。

もちろん現時点で疲弊しきっているならば、まずはいったん疲労をゼロに近づけるようにすることが先決です。それ以上の負荷をかけたらそれこそ大変な負荷になってしまいます。いきなり無理はしないでください。

疲れが残っているけれど多少は余裕があるなというときや、まだ疲れが取りきれていないけれど少しは何かやってみてもいいと感じたら、軽い負荷をかけてみてください。それから十分に休養するのです。

疲れたら、休みつつ、負荷をかける。これが活力を高めるうえでのポイントです。繰り返しになりますが、休養だけでは50%程度しか充電できなくても、活力を加えて満充電に近いところまでもっていけるのです。

活力を高める負荷のかけ方

負荷といっても、最初は軽いものから始めます。また、次の4つの条件を満たすことが必要です。

1つは自分で決めた負荷であること。

誰かに「やりなさい」と押しつけられたものではなく、自分で決めることが重要です。押しつけられたものだと、それがまた別のストレスになってしまいます。

2つめは仕事とは関係ない負荷であること。

仕事で疲れているのに、さらに仕事で負荷を増やすのはおすすめできません。

家族から「日曜大工で家具をつくってほしい」とリクエストされていたけれど、面倒くさくて逃げ回っていたことはありませんか。こうしたものは仕事と関係がありませんから、負荷としては最適です。

3つめはそれに挑戦することで、自分が成長できるような負荷であることです。

分厚い本を読破する、地域活動で何かの係を引き受けるなど、「ちょっと難しいけれど、これができたら自分は成長するだろうな」というものに挑戦してみることも、よい負荷です。

4つめは楽しむ余裕があること。

くれぐれも無理は禁物です。

肉体的なものと精神的なもの

さらにいうと、自分に負荷をかける課題は、できれば肉体的なものと精神的なものの両方があるといいでしょう。

肉体的な負荷なら、最初は軽い運動から始めてみます。ウォーキングをすると決めたら、楽しみながら距離を延ばしていき、ゆくゆくはランニングに移行する、という感じです。

自分でペース配分することが可能なので、負荷としてちょうどいいと思います。

もう一方の精神的な負荷ですが、これは「わざと嫌いな人に会いにいく」とか、「イヤな思いをしにいく」ということではありません。難しい試験にチャレンジしたり、趣味の世界で何かの賞に応募したり、山登りで百名山制覇を目指したり――こうしたあくまでポジティブな負荷を課してみるのが大切です。

守りの休養から攻めの休養へ

巷では1人でキャンプに出掛ける「ソロキャンプ」が流行っているそうです。私もかつて自転車で日本一周をしていたころは、よくキャンプしたものです。

片野秀樹『あなたを疲れから救う休養学』(東洋経済新報社)
片野秀樹『あなたを疲れから救う休養学』(東洋経済新報社)

設備のそろったキャンプ場ならいざ知らず、未知の森の奥にテントを張って朝まで過ごすとしたら、その夜は真っ暗な闇の中を1人で過ごすことになります。自分のほかに誰もいない自然を楽しめる人はいいですが、そうでない人は恐怖心に耐えなければなりません。

その意味でソロキャンプは、精神的負荷をかける行為なのではないでしょうか。しかもそれは誰かに命令されたのではなく、自分自身で行くと決めたことです。もしどうしてもイヤだと思えば、途中で帰ってくればいいわけです。見事に、ポジティブな負荷と呼べる条件がそろっています。

こうした休養のとり方を、私は「攻めの休養」と呼びたいと思います。

土日は寝たり、だらだらとしたりして過ごし、月曜日になったらまたなんとなく活動に入るのは「守りの休養」です。攻めの休養は、もっと積極的・主体的に休むというアプローチです。

積極的に休むといういい方は少し変かもしれませんね。でも、大事な休日は、より疲れがとれるように過ごしたり、疲れにくい体づくりをしたりと活力を得ることに使う――。そんなふうに、これまでの日常のサイクルを「攻めの休養サイクル」に変えていっていただきたいのです。