上司から「指示待ちしているな」と注意される20代会社員
20代会社員の方からのご相談です――50代の上司から「指示待ちをしているな」と注意を受けます。自分は普段から指示待ちをしているつもりはありません。しかし、あまりにたびたび言われ、先日はつい言い返しそうになりました。上司の的外れな指摘にあきれています。こんなことあり得るのでしょうか。
この相談を聞いて思い当たることがありました。
人の未熟な仕事ぶりを見て、その人はおそらく自分の仕事が未熟とは考えていないと思うことはないでしょうか。
たとえば飲食店で私語をしている店員たちをイメージしてください。客に注意を払うことよりも、自分たちの話に夢中で、客が声をかけたいと思っていることにさえ気づかない様子です。
同じように、指示待ちをしているのに、あるいは、上司や周囲にはそう見えているのに、「指示待ち族」の本人たちはそのことに気づかず、自分が指示を待っているとは自覚していない。こんなことは案外多いのです。
あくまでも一般的な話で、相談者の方のことを決めつけ、非難しているわけではありませんが、指示待ち族は、本人が指示待ちと思っていないだけでなく、そう指摘をされてもピンとこない。そんなことさえ結構あるように思えます。
あなたの仕事ぶりは未熟でないのか
上司に「指示待ちをしているな」と注意をされ、憤慨されているとのことですが、同じ50代の私から見ると、上司の方は、むしろ言葉を選んで指摘されているようにも思えます。
上司の方は「指示待ち」という言葉を使われているものの、おそらくそれ以前に、本当はあなたの仕事ぶりを未熟と感じておられます。
しかしながら、あなたは注意をすればやらないわけではない。つまり、上司から見ると、あなたは気が回らず、自分で気づけないことが多い。ぜんぜんできないわけではないが、「何か足りないことはないだろうか」と考えているようにも見えないのです。
上司はそれを「気が利かない」「能力が足りない」と言い表すこともできますが、さすがにそれはパワハラで、部下のやる気も削いでしまいますから、できるだけ(人格ではなく)事実に焦点を当て、「指示待ち」と述べているのです。
Eメールが雑な若手社員
最近あるところで一緒に仕事をした若い人で、雑な仕事ぶりの目立つ人がいました。
たとえばEメールの文章です。Eメール文章や、その扱い方は、その人の性格を映し出します。
その人は1通のメールの中に、意味なく3つも4つも異なるフォントを使ってくる人でした。
宛名、本文、箇条書きの文、署名欄、すべて異なるフォントで、級数もバラついています。
宛名(受取人である私の名前や会社名)は、他のメールから、コピーペーストで貼り付けていると思われます。
本文もなぜこのフォント(または級数)なのかと思えるものがあったり、やたらと太字を使っていたり。
また、そうしたフォントなどの使い方に一貫性があるわけでもありません。
雑なところは、体裁にとどまりません。
大抵のEメールに書かれた情報は不十分で、ビジネスEメールとしての完成度が低いのです。
こうした人が作成し、添付してくる資料は、新入社員研修などで、わるい見本のサンプルとして、そのまま使えるものばかりです。
資料には、作成日、作成者名、ページ番号などが入っていたことはなく、用紙サイズも毎回異なります。前回はA4の縦組みで作成されたかと思えば、今回はなぜか同じような書類がA3の横組みで作成されてきます。もちろん印刷のサイズに合わせて作成するといった配慮などはありません。
私は長い間、この人の雑な仕事ぶりは、本人の性格の現われで、きちんとした仕事をするには能力が足りないのだと思っていました。
また当人は、気に入らないことがあると、すぐにキーッとなって怒る癖があるため、周囲は指導もできないのだろうと。
指示を受けていないことで正当化してしまう
それにしても、なぜ毎度こんな不完全な資料をつくり、その扱いもずさんなのか。不思議といえば、そうでした。
しかしあるとき、彼女が「指示待ち」なのだと気づいて納得したのです。
Eメール文章について言えば、フォントや級数を揃えるという指示は出ていない。資料に日付を入れるという指示もない。用紙サイズについても、作成者の名前についても同様と考えているのではないか。
本人は(失礼ながら)様々な面で雑なところが多く、性格もきついですから、気づきにくいのですが、彼女の仕事をこれほど雑にしているのは、本人が「指示待ち」であることが実は大きな原因でした。
彼女は、資料作成の不備を誰かに指摘されたら、「そんなこと誰からも指示されていませんけど」と返すのではないかと思えます。
気を回すことができず、仕事の質を上げることも考えませんが、それも「指示を受けていることではないから」と正当化してしまう。そんなところが、今日の「指示待ち族」の特徴として、彼女のような人材の言動に見て取れる気がするのです。
指示待ち族にとって、クレームは指示
仕事ぶりが頼りない人たちについては、その原因が「彼らは指示待ち族だから」と考えると、「なぜ頼りないのか」という疑問が晴れ、納得できることがあります。
つい先日、私が某社へ問い合わせをしたときの話です。
どうにも約束した通りに業務を進めてもらえていないので、確認をお願いするメールを送りましたが、数日経っても返信がありません。
そのため再度連絡をすると、「○日のメールにご返信せず失礼しました。対応いたします。なお、連絡が前後して恐れ入りますが、こちらの業務の担当が変わりました。また何かあるようでしたらccにあるA(担当者名、名字のみ)までお願いいたします」と返信が来ました。
ccの欄には、Aさんという方のメールアドレス(だけ)が記載されていました。
これで対応してもらえるものと思っていましたが、それから1週間ほどしても、どちらの担当者からも音沙汰がありません。
なかなか対応してくれない相手を変えたひと言
そこで私は両方の方に、以下のようなメールを送りました。
「○○の件、ご対応いただけるとご返信を頂戴しておりましたが、その後どのような様子でしょうか。ご担当がA様に代わられたともご案内いただきましたが、A様からは特にご連絡をいただけておりません。
A様のお名前と、ccに記載のメールアドレスをお伺いしましたが、部署名やご連絡先などを一度、きちんとご案内いただくことはできませんでしょうか」
丁寧な文章にしたつもりですが、わずかにクレームっぽいニュアンスが入っているのがわかると思います。
このようにあらためて連絡を入れると、それぞれの担当者から、途端にしっかりとした連絡がありました。連絡先に加え、状況の説明もきちんとされていたのです。
「なかなか対応してくれない相手」が、「しっかり対応してくれる相手」に代わったのですが、これはなぜでしょうか。
これはその担当者たちが、「指示待ち族」で、私からのクレームのようなメールが指示になったからに思えるのです。
こうした指示(1度目は効かなかったが、2度目のそれ)があると、彼らは普通のクオリティで対応してくれるのです。
私はこれが「彼らは指示待ち族」で説明がついてしまうことだと思っています。
雑な仕事ぶりは正当化すべきでない
こうした指示待ち族(特に、未熟な仕事ぶりを「指示を受けていないから」と正当化できてしまう人たち)に対して、彼らはそうした世代なのだから、「彼ら向けに十二分に丁寧な指示・説明をすべき」と考える人たちもいるようです。
指示待ちであることを非難するのではなく、それは仕方のないことだから、彼らを管理する側の意識も変えるべきというわけです。
それは結構なのですが、私としては、自分の仕事ぶりが十分ではなかったことについて、「そんな指示は受けていなかったから」と言ってのけることが許される職場があれば、そうした風土は問題視すべきかと思います。
確かに教えてもらわなければわからないことは、特に仕事の経験が浅いうちには多くあると思いますが、与えられた仕事を十分なクオリティでこなすために、ビジネスの一般常識や基本的なスキルは持ち合わせておく。そのように心がけるのが社会人として必要なことでしょう。
少なくとも、雑な仕事ぶりを正当化する人のはびこる職場が健康的であることはないはずです。職場でのコミュニケーションの取り方には気を遣う時代ですが、こうした点は間違わないようにしたいものです。