親ガチャについて語るとき、親が金持ちならアタリ、低所得世帯ならハズレと単純に判断されがちだ。立命館大学教授の宮口幸治さんと神島裕子さんは「たとえ親が金持ちでもアタリガチャとは限らない。自分の人生についてなんの選択肢も与えてくれない親は、どんなに裕福であろうとも、ハズレガチャの可能性がある」という――。

※本稿は、宮口幸治、神島裕子『逆境に克つ力 親ガチャを乗り越える哲学』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

モデルケース6、医者の両親を持ち中学受験に成功したミホ

第1回第2回の記事に引き続き、これまでの研究からモデルケースを作成し、どんなケースが親ガチャのハズレガチャに相当するのか、考えていきます。

ミホは中学2年生です。関東圏でトップクラスの私立中学校に通っています。ミホの両親はどちらも医師です。

ミホの母親は曽祖父の代から続く眼科医院の院長です。ミホの父親も眼科医ですが、こちらは大学附属病院で勤務医として働いています。両親ともに仕事が忙しく、物心ついたときから親にかまってもらった記憶がありません。その代わりに「ミホは将来お医者さんになって、ママの病院を継ぐのよ」と、事あるごとに言われてきました。一人っ子のため、ミホは家でいつも1人でした。

保育園のときには体操教室や家庭教師から運動や勉強を教わり、小学校受験をさせられました。ミホは有名私立の小学校には不合格となり、国立の小学校は抽選でハズレてしまいました。公立の小学校に通うことになりましたが、母親は、「中学受験でリベンジするわよ」と言い、小学1年生のときから塾通いが始まります。

ずっと家ではひとりで小学1年以降は朝から晩まで勉強漬け

低学年の頃はそんな生活に疑問をもちませんでしたが、5年生になった頃から「何かがおかしい」と思うようになりました。5年生のときのミホの生活は、学校から帰るとすぐに塾へ行き、夕飯は届けられた弁当を休憩時間に食べる毎日でした。塾がない日は個別指導教室に行き、マンツーマンで勉強です。塾や個別指導教室が終わった後も家での課題があり、眠る時間はいつも真夜中になってしまいます。本や漫画を読むヒマはなく、家にテレビもないので、小学校の友達と話題が合わなくなっていきました。虫歯ができるという理由で、お菓子も禁止されました。

中学受験は(親の)第一希望の学校に合格しました。中学生になったら少しは自由になれるかなと思っていたのですが、両親からは「この中学に合格するのがゴールじゃないからね。ここでトップレベルの成績を維持して医学部に入らなくちゃ意味ないんだから、ちゃんと勉強するように」と釘を刺されています。さすがに小学生の頃のように朝から晩まで勉強漬けではありませんが、「成績が下がったら塾に行かせるよ」と脅されています。

本当はゲーム制作の仕事をしてみたいがあきらめている

ミホは、オンラインゲームが好きです。中学の合格祝いに祖父に買ってもらった高性能パソコンでゲームをしている時間が、唯一の楽しみです。今はまっているゲームは3人でチームを組んで生き残りサバイバルをするシューティングゲームです。ゲームをいっしょに遊ぶ「フレンド」もできました。ゲームで遊ぶのも好きですが、「もっとこんな事がゲーム内でできたら楽しいのに」と思うことがあり、ゲームを作る側の仕事に興味をもつようになりました。

「でも、どうせ私の将来は医学部にいって眼科医になって、ママの病院を継ぐ以外に選択の余地はないんだろうな」と、あきらめのため息をついて、今日も学校の宿題にとりかかります。ときどき気分がすごく落ち込むときがありますが、まだ両親には伝えていません。

女子高生
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家が裕福でも「医者になる以外の選択肢がない」という不幸

<解説>

もしミホがSNSで、勉強をしているとき以外の生活を紹介していたら、羨ましいと思う人がいるかもしれません。ミホにはお金がありそう、親が優しそう、家が広くてきれい、食事が豪華、習い事もさせてもらっている、家族で仲よく旅行に行っている……。でも実際のミホの生活は、気の毒なほど勉強漬けです。小学1年生のときから塾通いだったのですから。それも親が決めた職業に就かせるためにです。

中学校に入った後のミホは、成績に関して苦労はないようですが、オンラインゲームの制作という、自分の「好き」を追求する機会はもてそうにありません。保育園のときから医学部入学を目標に据えられてきたミホは、自分の「好き」を追求することを、とうの昔にあきらめてしまっているのです。

ミホのケースは、親が金持ちでもアタリガチャとは限らないことを教えてくれます。ミホが親の言いつけに従順な性格であっただけで、仮にもし、もう少し反抗的な性格だったら、衝突が絶えない家庭となっていたでしょう。ひょっとすると暴力沙汰もあったかもしれません。ならば、両親がミホに対して行っているのは、ソフトな教育虐待とも言えそうです。また、ミホは医学部に行って眼科医になって親の病院を継ぐことに、興味があるわけでもなさそうです。自分の人生についてなんの選択肢も与えてくれない親は、どんなに裕福であろうとも、ハズレガチャの可能性があります。

ケース7、ミホの母で親の眼科医院をみずから継いだキョウコ

キョウコはミホの母です。眼科医院の3代目院長ですが、順当に病院の跡を継いだわけではありませんでした。キョウコには2人の姉がいます。両親に「お前たちの誰かは、眼科医と結婚して婿養子をとるように」と言われて育てられてきました。そのことに強く反発したキョウコは、「自分がこの病院を継いでやる」と決心します。しかし、「医学部に行きたい」と両親に言ったときも、「女にそんなのは必要ない。それよりも花嫁修業しなさい」と言われる始末です。

医者
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キョウコは戦略を練りました。「優秀な医者を捕まえて結婚するためには、自分にもある程度の学歴は必要だと思う」と両親を説得し、高校は県内でもトップクラスの進学校に進みました。高校でも猛勉強をして、両親には「記念受験」と称して、医学部受験を目指します。友達との交流ももたずに本当に血のにじむような努力をして、医学部の合格を勝ち取りました。その代償か、中学時代も高校時代も、キョウコには友達が1人もできませんでした。でも、合格すると、両親も医学部への入学は認めてくれ、入学金も学費も払ってくれました。

ところが、医学部に通い始めてから気づいたのですが、医学の講義は全然おもしろくありません。キョウコは、血や臓器を見るのが苦手で、解剖の実習のときなどは嘔吐おうとしてしまうほどでした。考えてみれば、両親への反発で医学部に入ってみたものの、本当に自分は眼科医になりたかったのか、疑問に思ってしまうのでした。

女性への差別を乗り越えたが、実は血を見るのが苦手だった

<解説>

2018年に、女子受験生を不当に差別する医学部不正入試の実態が明るみに出ました。複数の医学部が、女子受験生の入試の点数から、こっそり一律減点していたという事件です。そこまでして女子を医師にさせたくないのか、と驚いた人も多かったと思います。

キョウコは一世代前の子どもでした。その時代には今よりもひどい性差別が家庭の内外でありました。キョウコには強い反骨精神があり、知恵を働かせて、自分で眼科医院を継ぐことに成功します。でも、キョウコは眼科医になることで、幸せになれたのでしょうか。

金銭的に困窮することはなさそうです。でも、それが自分の「好き」とつながっているかと言うと、難しいように思います。キョウコは親の理不尽さを打ち負かしましたが、それによって得た満足で、苦手なものを見続ける残りの人生を支え続けろ、というのは酷な気がします。

もし、娘たちの誰かが眼科医院を継いでも継がなくてもかまわないから、自分で好きなことを見つけなさいと言われて育っていたら、キョウコはどんな人生を歩んだでしょうか。理不尽さが嫌で、交渉ごとの得意なキョウコですから、法曹の仕事に就いていたかもしれません。子どもがいたとして、その子どもの目標を勝手に定めることもなかったのではないでしょうか。するとキョウコのケースでも、親が、本当に自分がしたいことを探させてくれなかったというところが、ハズレガチャに相当すると思います。

ケース8、離島で暮らし進学先の選択肢が少ないスズ

スズは、ミホのオンラインゲームでの友達です。年はミホより一つ上で中学3年生です。

スズたちのやっているオンラインゲームは3人1組でチームを組んで、限られた場所と制限時間で、生き残りサバイバルをするものです。チームメイトは通常、自動割り当てされますが、「フレンド」とチームを組むほうが有利にプレイできます。

スズはゲームをいっしょにするフレンドを探すのにとても苦労しました。スズの住んでいるところは都会から遠く離れた島なのです。東京から転校してきた下級生がたまたまスズと同じゲームをしていることが分かり、その子とフレンドになりました。その下級生の東京時代の友達がミホだったのです。

ゲームやショッピングの悩みは、さほど深刻なものではないかもしれません。スズの悩みは高校への進学です。今通っている中学校は通学が不便で、帰りが遅くなるときなどは暗い道には街灯もほとんどなく、怖い思いをして家路についています。島内には普通科の高校は1校だけで、もしその高校に行くことになったら今よりもさらに通学が不便になります。

島
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都会で暮らしたいがシングルマザーの母を置いていけない

とはいえ、親戚の家に下宿させてもらうとか全寮制の学校を選びでもしないかぎり、島外の高校に進学するのは不可能なのです。この島に住んでいる子どもたちの進路選択肢はかなり狭いと言わざるを得ません。

スズのささやかな夢は、大人になったら都会で暮らすことです。朝起きたら通勤電車に乗ってオフィス街に向かい、職場の近くのカフェで朝食をとり、おしゃれなお店でランチを食ベて、仕事帰りは同僚とバーでお酒を飲む。休日はショッピングモールや百貨店で買い物をする……そんな生活に憧れるのです。

でも、スズのお母さんはシングルマザーです。一人でスズを育ててくれている母親を島に残して、自分だけ都会に行くことはできないだろうな、と思っています。

親の居住地が子どもの将来の可能性を左右することがある

<解説>

子どもは大人になるまで、親の居住地で過ごすことが一般的です。そのため、親がどこに住んでいるかは、子どもの人生の見通しに大きく影響します。教育、医療、生活必需品、贅沢品、遊び、そして仕事へのアクセスとそのよしあし……。インターネットがあるからと言っても、オンラインでは済まない、済ませられない活動は、教育や医療、遊び、仕事などを含めて、多々あります。

スズにはささやかな夢がありました。平均的な会社員の給料では、スズの理想の平日は月に数回程度しか叶えられないと思いますが、もしスズのお母さんが都会に住んでいたならば、それほど無理せずとも叶えられる夢です。でもスズには、通学に不便な島内の高校に通い、そして島内で就職するという未来が待っていそうです。苦労して育ててくれているお母さんを置いて、島を離れる決意ができなければ。そしてそれをお母さんが後押ししてくれなければ。高校への通学路で犯罪に巻き込まれないとも限りません。

誰も悪くないにもかかわらず、親の居住地が子どもの可能性を左右することがあります。その意味では、スズもやはり、ハズレガチャを引いたと言えるでしょう。

どんな人も何かしらのハズレガチャを引く可能性がある

みなさんはここまでに挙げた8人のケースのうち、自分に近い人はいたでしょうか。図表2のチャートを使って考えてみましょう。

例に挙げた8人が、極端に不幸というわけではないことに気づかれたかもしれません。どれも決して稀であるとは言えないケースであり、多かれ少なかれ当てはまるところがあったのではないでしょうか。

ただ、ここで知っていただきたいのは、一見すると「勝ち組」のような人も、ハズレガチャによって人生を左右されていることもあるということです。非行に走る代わりに、やる気を失っていたり、引きこもっていたりするのかもしれません。そして、そうとは気づかずに、その呪縛を再生産しているのかもしれないのです。

このように考えると程度の差はあれ、どんな人も何かしらの「ハズレガチャ」を引いている可能性があります。確かに、人よりも大きなハズレガチャを引いている人を見ると、自分の小さなハズレガチャが気にならないかもしれません。何かしらのハズレガチャを引いたことで、自分より小さなハズレガチャの人たちを羨んだり嫉妬したり、不公平感をもったりして、悩み、苦しんでいるという点ではみんな似ている状態と言えるのです。そしてそれを乗り越えることができたら、と思っているみなさんも少なくないはずです。

「親ガチャにハズれる」とはどういうことなのか

ここで、親ガチャにハズれるとはつまりどういうことなのかを、まとめておきましょう。これまで、8人の架空のケースを紹介し、分析してきました。彼らと親(あるいは子)の関係は様々です。

宮口幸治、神島裕子『逆境に克つ力 親ガチャを乗り越える哲学』(小学館新書)
宮口幸治、神島裕子『逆境に克つ力 親ガチャを乗り越える哲学』(小学館新書)

親に関心をもってもらえていない子もいれば、親に関心をもたれすぎている子もいます。ロングスパンで過度の期待をかけられている子もいれば、ショートスパンでの子もいます。お金に困っている中でも資金を費やしてもらっている子もいれば、費やしてもらっていない子もいます。お金に困っていない中で好きなことをさせてもらえない子もいれば、特に禁止事項もなく可能な範囲で好きなことをしている子もいます。できることやなれることを性別で決められている子もいれば、そうでない子もいます。いろいろな親がいて、いろいろな子どもがいる。そしてみんな衣食住は整っていて義務教育以上の教育を受けているけれども、みんなそれぞれに幸せそうではありません。

彼らに共通しているのはなんでしょうか。まず親子関係があること。そして誰も互いに憎しみ合ってはいないということです。家庭内に暴力もなく、借金を抱えている人も犯罪者もいません。今のところは家出人もいないし、非行者も麻薬中毒者もいません。傍から見れば、富裕の差こそあれ、どこもごく普通の家庭です。

そして子どもたちはみんな親思いです。親に迷惑をかけないよう、期待に応えるためにそれぞれにがんばっています。幼い頃は親がすべてです。愛着の対象であり、依存の対象です。子どもにとって、親に逆らうことは勇気のいることなのです。

ハズレの子どもは「好き」を追求することが難しくなる

子どもは親元で育つため、どうしても親の影響力が大きくなります。するとハズレガチャとはつまり、親元で子どもが、自分の「好き」を見つけることが難しいか、それを追い求めることが難しい状況に追いやられていることを意味します。

ですがここで重要なのは、親と子の人格が別である以上、誰もがハズレガチャを引いていると思い得るし、また言い得るということです。また親を責めたくなるけれども、明らかな虐待のケースを除いて、親を責めることは理不尽な場合があり得るということです。「親ガチャ」という言葉に抵抗がある人が多い理由は、ここにあるのではないでしょうか。