「グミッツェル」ブームの陰で奮闘した立役者
カラフルでかわいいキャンディやグミがずらりと並ぶ店内は、仕事帰りの女性たちや旅行客でにぎわっている。東京駅構内のグランスタ東京にある「ヒトツブカンロ」は、カンロ初の直営店だ。
数あるオリジナル商品の中でも、人気NO.1と話題を呼んでいるのが「グミッツェル」。外側はパリッと飴のようで、中はしっとり柔らかなグミという、新食感を楽しめるグミキャンディなのだ。整理券が配布されるほどの人気で、昼過ぎに訪れるとすでに完売していた。
実はこの「グミッツェル」が爆発的にヒットしたのはコロナ禍のこと。いち早くオンライン販売を始めたことが功を奏し、その立ち上げに奮闘したのがヒトツブ事業部長の金澤理恵さんだ。20数年、商品企画に携わってきた金澤さんが「ヒトツブカンロ」に携わるようになったのは2012年。
創業100周年を記念して、初の直営店「ヒトツブカンロ」が東京駅にオープンした時だ。金澤さんは、オリジナル商品の企画に携わることになった。
「金澤さんとは一緒に仕事をしたくない」
「飴をあげる楽しさともらう楽しさをつくる場が『ヒトツブカンロ』。人をつなぐひと粒になればというコンセプトから、キャンディそのものの価値をもっと高めていきたいという思いがありました」
理想を胸に、生キャラメル、アーモンド菓子やゼリーなど、飴やグミにとどまらない商品を次々に展開していった。「おいしいのに売れ行きが思うほど良くない」商品は、自ら店頭に立って、試食販売をしながら売り上げたこともある。その頑張りや実力が認められ、やがて店舗運営も任されたが、その矢先に苦い失敗が待ち受けていた。
ある日の午後、ヒトツブカンロの商品企画を一緒に担当するデザイナーから一通のメールが届く。何の気なしに開いたところ、そこにはこんな内容が書かれていた。〈仕事をするのがつらい。金澤さんとは一緒に仕事をしたくない……〉と。長文のメールをスクロールする、マウスを持つ手が震えた。
「打ち合わせ時に意見が食い違うことは何回もありました。でも、私はこう思うとそのつど伝えて、そのつどきちんとコミュニケーションが取れていると思っていたのですが。その日はもう仕事ができなくなってしまい、同僚に声をかけて、隣の居酒屋で飲みました。周りに迷惑なくらい、ひたすら泣きましたね」
「ヒトツブカンロを良くしたい」
泣き疲れて冷静になってみると、思い当たることがあった。NB商品(ナショナルブランド商品)を長年担当してきた経験から、直営店の商品企画も同じスタンスで行ってきた。ここまでデザイナーがつくりあげてきた「ヒトツブカンロ」としてのブランディングや商品の見せ方があるのにもかかわらず、自分の考えを押し付け過ぎていたのかもしれないと。
デザイナーからのメールを読み返したときに「ヒトツブカンロを良くしたいんです」という言葉に目に留まった。目指しているものは同じであることを再確認し、翌日返信をした。「私もヒトツブカンロを良くしたいです」と書いたうえで、自分の至らなさを詫びたのだ。数日後には電話することができ、ようやく和解できた。
そのデザイナーとは、金澤さんが現場を離れてからは直接のやり取りはないものの、今でもプライベートで食事にもいく仲だという。
「利益が出ない店舗は撤退すべき」
そうした現場での失敗を経て、初めて管理職になったのは2017年。少しでも店舗を良くしたい、お客さまに喜んでもらいたいとスタッフと共に力を尽くしていたが、売り上げは伸び悩んでいた。そんなとき役員会で、ある役員に言われた言葉があった。
「『利益が出ない店舗は撤退すべき』と。経営層にとっては当たり前かもしれませんが、現場のスタッフの頑張りや思いを知っていた私は、その時の“単なる数字”だけを見て判断されたことに、一気に頭に血がのぼってしまいました。もともと負けず嫌いな性格だけに、『数字のみで判断されるのなら、数字で見返そう』と火が付いた瞬間でしたね」
悔しさをバネに人件費や製造原価、輸送費などのさまざまなコストを見直しながら、少しずつ改善を積み重ねていく。
そんな中でじわじわ伸びていたのが、オープン当初からあった「グミッツェル」だ。インスタやユーチューブにあげる人たちが増え、「パリッ」という咀嚼音の動画(ASMR)が話題になってきていた。しかし、盛り上がりかけていた矢先に、見舞われたのがコロナ禍だった。
奮起のきっかけになった社長の一言
緊急事態宣言が発出され、2020年4月から2カ月ほど店舗の休業が決まる。「ヒトツブカンロ」は東京駅、大阪、新宿と3店に増えていたが、すべての店舗で商品を販売できないまま、賞味期限だけが刻一刻と近づいていった。「店舗だけでなく、工場にも製造途中のものがたくさんあって在庫は増えるばかり。どうしたらいいのかと目の前が真っ暗になって……」。
会社としての判断はどうなるのだろうと参加した役員会。在庫の量と廃棄になる金額を報告したところ、社長から言われた言葉にガツンと頭を叩かれたような気がした。
「で、その商品はどうするの?」
思いつくままに「コロナ禍でも稼働している工場勤務の皆さんにエールを込めて配布する」「医療従事者の方々に差し入れをする」など、しどろもどろに答えながら、自分の甘さを見透かされているのを感じた。今の今までは「未曽有の事態なのだからしょうがない」と正直諦めかけていた自分を恥じた。
だからといって店舗は開けるわけにはいかない。悶々とした日々が続くなかで突破口になったのが、顧客の問い合わせだった。
「グミッツェルが買えなくて悲しい」
カスタマーセンターやSNSを通じて、「グミッツェルが買えなくて悲しい」「どこか買えるところはありますか?」と多くの声が寄せられていたのだ。「こんなにお客さまに求められているなら」と、オンラインショップの立ち上げにつなげていく。当時はアナログな販売経路のみで、オンラインでの販売を手掛けている部署はひとつもなかったという。
見よう見まねでゼロからの立ち上げだったが、過去にオンラインショップを担当していた他部署の社員にも手伝ってもらい、約1か月後の5月中旬にオープン。当初は決済方法も銀行振り込みのみ。社員の出社制限もある中、わずかなスタッフで入金の確認から発送まで手作業でこなしていた。
「ヒトツブカンロにはデザイナーや工場のみなさんなど、いろんな人が関わっていて、熱い思いが詰まっている。一箱一箱大事にしながら、喜んでくださる人たちに届けたいという気持ちでやっていました」
人気に火がつき、3カ月の販売目標を2週間で達成
オンラインショップへの反響は大きかった。3カ月間の販売目標をわずか2週間で達成。山積みの在庫は完売し、グミッツェルの人気にも拍車がかかっていく。
一方、コロナ禍が長引くほどに店舗の存続は厳しくなっていき、2021年には大阪店の撤退が決まった。以前『利益が出ない店舗は撤退すべき』といわれた店舗だった。金澤さんにとっては、スタッフとじっくり育ててきた愛着のある店舗。身を切られるように悲しかったが、管理職として店舗運営者として、忘れられない学びを得たという。
「事業として利益が出なければ、どれだけ思いがあっても次へは進めないということ。だから、私は袋一枚でももっと原価を抑えられないかとか、しつこく言いますし、今は小さな会社を運営しているような気持ちでやっています。部下にはすごく嫌がられていると思いますけど(笑)」
オンラインだけでなくオフラインでも。「つなぐ」場を届けていく
コロナ禍ではオンラインショップの立ち上げに苦戦したが、その実績が会社全体のデジタル事業の推進につながった。
店舗の撤退というつらい経験もしたが、今後も「ヒトツブカンロ」の世界観やメッセージを届けるためにポップアップストアの出店は積極的に進めていく予定だ。
そんな金澤さんが大切にしているのは、「1日として同じ日は無く、ともに成長し、進化し続ける」という気持ちだという。かつては自分が欲しいものから発想を得て商品を企画していたという金澤さん。今は喜んでくれる人たちを思いながら、より長く愛される商品を見据えている。