仕事相手の初歩的なミスで積み上げてきた仕事がすべて水の泡……。ガクッときたときはどう立ち直ればいいのか。作家のジェーン・スーさんは「こういうときは、自分のことをいつも以上に大切にしたほうがいい。自分で自分をなぐさめる方法をいくつか持っていよう」という――。

※本稿は、ジェーン・スー『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。

積み重なった紙の束
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悪い予感がする仕事相手

「やっぱり! なんかトラブると思ってた!」

腰に手を当て、仁王立ち。本当は涙がこぼれそうだけど、グッと我慢。

彼女が某メーカーで制作物の進行管理を担当する仕事に就き、5年になる。今回は「急ぎで」と頼まれた店頭配布用のキャンペーンチラシ制作。最初から前途多難だった。早めの納期を設定したのはあっちの部署なのに、いつまで経っても詳細が決まらなかったし、ようやく文字要素が送られてきたと思ったら、どう考えても裏表のサイズには収まらない文字量だったし。

「この仕事、何年目ですか?」と先方に悪態を吐きたいのを堪え、先に送っておいたラフデザインに、このパートにはこれぐらいの文字数が入りますと注釈を入れて送り返す。そしたら、「そっちで適当な長さに編集して」だって。そんなの無理! 無責任なことできないよ。

文字だけじゃない。色を変えたりロゴを大きくしたりと、デザイナーさんに何度も修正を依頼して、ようやくデザインデータが完了したのが納期の一週間前。色校チェックと呼ばれる最後の確認を経て、印刷会社に頭を下げまくって印刷し、予定通り納品……の、はずだった。だけど、上がってきたピカピカのチラシを見た、先の担当者が放ったひとことはこれ。

「あ、キャンペーン期間が変更になったの忘れてた」。

どうする、1万枚のチラシ

ガクッと来るよね。泣けるよね。あんなに何度も確認したのに、どうしてそんな初歩的なミスをするんだろう。悪びれもせず、よくサラッと言えるよ。デザイナーさんにはほかの仕事を後回しにさせちゃったし、印刷会社の人たちなんて、土日返上で働いてくれたのに。1万枚のチラシ、どうするつもり?

キャンペーン開始までに間に合わないって理由で、チラシの配布はなくなった。「ウェブのほうが早いしね」なんて、嫌味まで言われちゃった。あいつめ。かかった費用は、キッチリ請求させていただきますけど!

怒りの後に訪れる風船がしぼむような虚しさ

最近、なんにも報われない。自分をすり減らして頑張っても、どこからも「ありがとう」の言葉ひとつ返ってこない。必要な人だと思われたくて、東奔西走していたら、いつの間にかそれが当たり前になっちゃった。どうしようかな、そろそろ転職しようかな。そのうち結婚もしたいし、子どもも欲しいしな。

嗚呼、やるせない。これは、前に勤めていた会社の後輩ちゃんから、ずいぶん前に聞いた話だ。こんなことがあったらさすがに凹む。いきなり凹むんじゃなくて、とことん腹が立ったあと、風船がしぼむように凹むタイプの出来事。なんのために働いているのだろうと、大きなため息がこぼれてしまうのも無理はない。

残酷なことに、仕事ってこういうことの繰り返しだったりする。頑張りを誰にも理解してもらえず、涙がにじんでくるようなことの。自分が、どこにも配られない役立たずのチラシみたいな気分になってくる。私にも何度も経験がある。

自分で自分をなぐさめる方法をいくつか持つ

こういうときは、自分のことをいつも以上に大切にしたほうがいい。感情が求めるものを、注意深く観察しよう。カラオケや、友達との弾丸トークで発散したいのか、それとも、傷ついた心にそっと毛布を掛けるように、癒やされたいのか。

壁にもたれて落ち込む女性
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フルコースだっていい。たとえば金曜の夜は女友達と焼肉で発散し、土曜日にスーパー銭湯やスパで癒やされて、日曜日は家で元気になる映画を観る。『ローラーガールズ・ダイアリー』なんかがオススメです。

本当は、元気になるまで誰かに丸ごとなぐさめてもらいたいところだけれど、話を聞いてもらったとしても、私の気持ちを完璧に理解してくれる人はいない。分散しようがなにしようが、どうしたって、受け止めてほしい気持ちは相手のキャパシティからあふれてしまうもの。

だから、自分で自分をなぐさめる方法をいくつか持っていよう。どうやったら自分が癒やされるのか、いろいろ実験してみよう。ベストなやり方が編み出せたら、次はもっとうまく凌げるはずだから。

今日もおつかれさまでした。

ありのままを晒せる相手

彼女との付き合いは、あっという間に20年を超えた。新卒で入社した会社の一年後輩。私よりずっと天真爛漫だけど、実は結構気が強いし、合わないんじゃないかとはじめは思っていた。

私たちの仕事は常に忙しく、おおむね楽しかった。と同時に、嫌なこともたくさんあった。怒りや悲しみをどこにぶつければよいのかわからない、理不尽なことがたくさん。手柄を横取りされたことや、無理難題を吹っ掛けられたこと、望まぬ敗戦処理をさせられたことは、一度や二度ではない。それでも若い私たちは適度に鈍感で、いつもなにかに腹を立て、いつも手を叩いて笑ってもいた。

苦難を乗り越えることができた人とは、仲間意識が芽生えるものだ。皮肉にも、キツい仕事のおかげで彼女との仲は深まり、それぞれが退社したあとも関係は続いた。

出会ってから20数年後の今夜、私は彼女に全身をくまなく揉みほぐされている。まどろんだ自分のいびきが、うっすら残る意識のなかで聴こえてくるのが恥ずかしい。されど、気持ちのよさが優に上回る。こんなありさまを晒しても、彼女の前なら安心だ。格好をつける必要がまるでないから。100%とは言えないが、97%くらいは心を許しているから。

マッサージを受ける人
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苦難の際は励まし合って乗り越える

この20数年で、彼女も私も何度か職を変えた。彼女が腕のいい人気セラピストになるなんて思ってもみなかったが、彼女だって同じこと。私が国籍不明の名前で文章を書いたり、ラジオでしゃべったりするようになるとは想像していなかっただろう。

人生って、本当になにが起こるかわからない。プライベートでは、私は何度かの別れと出会いを繰り返した挙げ句に母と実家を喪い、彼女は結婚して渡米し、帰国して離婚した。お互い、苦難の際には万障を繰り合わせて駆けつけた。励まし合って苦難を乗り越えるのが、私たちの最初からのやり方なのだ。

全身の緊張を解きほぐしてもらったあと、二人で食事に出かけることにした。鍋をつつきながら、互いの近況報告をする。遠方のリゾート地にも彼女を待つ顧客がいるので、今年に入ってからは行ったり来たりでことさら忙しいようだ。充実感が漲っており、本当によかったと私も嬉しくなった。

離婚後、セラピストとして勝負に出る

ちょうど一年前。六本木のミッドタウンで彼女に出くわしたことがある。やや疲れているようにも見えたが、それはお互いさま。しばらく立ち話をしているうちに、彼女の声に張りが出て、笑顔が戻った。

ジェーン・スー『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)
ジェーン・スー『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)

「今日、ばったり会えてよかったよ。なんだか大丈夫な気がしてきた!」

そう言うと、彼女は颯爽と立ち去っていった。

あとから聞いた話だが、あのときは不安でいっぱいだったらしい。離婚後、セラピストとして勝負に出るため激戦区に店をかまえると決めたが、家賃が思った以上に高かった。果たして自分ひとりで賄えるのかと、気が気ではなかったそうだ。あれから一年間、遮二無二頑張ったんだろう。いまではもうひとつ部屋を借りてもびくともしないくらい、彼女の仕事はうまくいっている。目前で肉と野菜を頰張る彼女の表情に、憂いは見当たらない。

一歩踏み出せば結果的になんとかなる

ふと、ずいぶん昔に私が付き合っていた、彼女もよく知る相手のことを思い出し、どうしているかと尋ねてみた。

「海外に住んでるらしいよ。チラッと写真を見ただけなんだけどさ、ネルシャツを着て、胸元くらいまでボワーッと髭を伸ばしてた」

まさか! 髪の毛一本から靴のつま先まで、全身すべてのパーツが「東京しか愛せない」と叫んでいるような、あのおしゃれLOVE男が⁉

「人って、思いもよらない方向に変わるよね」

彼女が笑った。その通りだ。私たちだって、取捨選択を繰り返し、かなり変わったもの。

「変わってからのほうが、楽しいよね」

彼女が続ける。私は深く頷いた。

この20数年で学んだことは、一歩踏み出せば結果的になんとかなる、ということ。彼女も私も、踏み出したからこそ「これから先も、なんとかなる」と自分を信じられるようになった。昔ほどの気力体力はないが、「おつかれさま」と互いを労いながら、我々は今日も生きている。

あと20年経ったら、二人はどこでどんな風に暮らしているだろう。仕事とプライベートが大きく変わっていたとしても、こうやって変わらず鍋を囲めたら、それ以上の喜びはない。