「このチームを勝たせたい」反発と崩壊を経験した課長職
セゾンカウンターでの接客が好きで、営業に燃えていた30代半ば。管理職24年目になる今も、自分への戒めにしている苦い失敗がある。
課長になり初めて赴任したのは、全国でも客足の多い西武池袋店。当時はカード開拓が伸びず、それまでショップマスターとして、率いる店舗を何度も全国1位にしてきた野尻さんが立て直しを任されたのだ。
「ミッションは営業ができるチームにすること。3年は異動できないと上司に言われ、うまくいかなければ地獄だなと(笑)。それでも何とかやれると思っていたのですが」
それまで接客こそすれ営業はしてこなかったメンバーのモチベーションは低く、「私たちは忙しくて営業などしていられない」と反発の声があがった。そのうちミーティングの場で「ついていけない」と泣きだす人も出た。
「皆で頑張ろう! と励ましても盛り上がらなくて。私も結果を求めるあまり、肝心な部下の気持ちを考えられなくなっていきました。私はこのチームを勝たせてあげたいのに、なぜわからないの? と。嫌な顔をされて腹が立ち、『何なの、その納得しない顔は?』『言うことが聞けないなら、辞めてくれて構わない』と言ったこともあります」
当人は努力していても、数値しか見ていないと苦しい気持ちを理解できない。十数人の部下が次々に辞めていった。それでも成績は回復し、自分を信じてくれるメンバーと頑張ればいいと思っていたが、信頼する部下まで休職する事態になった。
方針を180度変更。自信を失う私を支えたのは……
連日遅くまで残業していたある夜、2人きりになると、「ちょっと体調が悪いので休ませてほしい」と遠慮がちに打ち明けられたのだ。
「私の甘えが負荷をかけていたのだと胸が痛みました。その少し前に大切な人をうつ病で亡くす経験をしていたこともあり、彼女を追い込んでしまったことが悔やまれたのです」
すでに退職した部下にも心で詫び、嫌なマネージャーだったと顧みる。この苦い経験が管理職としての転機になった。「自分が指針を決めて引っ張っていくのがリーダー」から、マネジメント方針も180度変更。
「私も自信を失くし、まず部下の話を聞きたいと思いました。最初はどう声をかけていいかもわからず、『お昼食べた?』『髪切ったの?』とぎこちなくて(笑)。部下も最初は驚いていたものの少しずつ距離が縮まるなかで『次の企画、どうしたらいいと思う?』と、皆の意見を聞いて任せるようにしたのです」
するとチームに活気が出て、成績も伸びていった。その後の社内の表彰式で、西武池袋店はなんと百貨店部門1位を受賞。チームの仲間が「野尻さんも上がって!」と壇上に呼んでくれた。温かな気遣いがうれしかったという野尻さんは、その後も部下の言葉に救われることになる。
2010年に東関東支社長に昇進。支社長は本部の部長相当職と同等で、女性支社長は社内でも4人目。辞令が出たときは「絶対ムリ……」と不安で泣いた。支社長は法人営業も統括するが、カウンター業務しか知らないので自信がない。実際、就任しても上司の指示通りにしか動けず、結果も出なかった。
「上から言われるままなので口から発する言葉も熱意がこもらない。その様子を案じてくれたのでしょう。当時の課長が『自分の思うようにやってください。僕たちはちゃんと野尻さんについていきますから』と声をかけてくれて。胸が熱くなり、心も軽くなりました」
それからは少しずつ自分らしく動けるように。21年8月には池袋本社に新設された部門で営業統括を任され、全国のカウンターで働く300人近いメンバーを率いることになった。コロナ禍では全国をまわるのも難しく、顔の見えない部下のマネジメントに苦戦する日々だが、できるだけ現場のミーティングに参加し意見を聞くように努めている。
「今は誰もが不安で苦しいと思うけれど、一緒に働く仲間も同じ気持ちで頑張っていることに気づいてほしいので、仲間へのホスピタリティを大事にすることを皆に伝えています。それこそが、チームをより強くするのだと」
最近、一緒になったメンバーに「野尻さんって優しいですね」と言われ苦笑した。昔の自分は思いやりに欠け、傷つけた部下への後悔が残る。だからこそ今も、仲間を大切にすることを肝に銘じている。
クレディセゾン 営業推進事業部 MF事業推進部付 部長
1999年に、西友藤枝店セゾンカウンターのショップマスター(係長職)に就任。現在は全国のららぽーとおよび三井アウトレットパーク34施設のセゾンカウンターに勤務する約300人の部下を見る。