※本稿は、堀田秀吾『最新研究でわかった“他人の目”を気にせず動ける人の考え方』(秀和システム)の一部を再編集したものです。
人はなぜ「自意識過剰」になるのか
自分が人にどう見られているかどうかを気にしすぎている状態を「自意識過剰」と言います。
自意識過剰の原因はいろいろ考えられますが、カリフォルニア大学のラスキンとホールによると、「優越感・有能感」「注目・賞賛欲求」「自己主張性」が大きな要因として挙げられています(*1) 。
ありのままの自分を認めてほしい、しかし自分で自分のことを認められるほどの自信はない。そんなとき、人は他人の評価ばかりを追い求めがちです。
しかし、それも度が過ぎると心を病んでしまいます。
「1人の人の中には3種類の人間がいる」という考え方があります。
『現実の自分』、「こうありたい」と願う『理想の自分』、「こうでなければならない」と自分を縛る『義務的な自分』。この3つの間で齟齬が生じると、人は不快感を感じ、悩むのです。
「そもそも本当の自分など存在しない」
心理学的にはむしろ、「そもそも本当の自分など存在しないのだ」という考え方のほうが、おすすめできるかもしれません。
立命館大学のサトウと帯広畜産大学の渡邊は、「人は時と場合によって性格を変えている」とし、「モード性格論」を提唱しています(*2)。
私たちは、「自分とは一定なもの、変わらないもの」だと信じ「相手によって態度を変える人」を軽蔑したりします。しかし「自分」というものは、それほど一定で、確固たるものでしょうか?
例えば、友達同士でタメ口で話しているときのあなたと、仕事相手に対応するときのあなたでは、言葉づかいも立ち居振舞いもまるで違うはずです。外ではおとなしい人が家庭内では大暴れというのも、よく聞く話です。
私たちは無意識のうちに、時と場合に応じて異なる自分を使い分けているのです。逆に、「こうありたい」や「こうしなければいけない」が強い人ほど、現実の自分とのギャップに苦しむのです。
(*1)Raskin, R. N., & Hall, C. S. (1979) . A narcissistic personality inventory. Psychological Reports, 45 (2) , 590.
(*2)サトウタツヤ・渡邊 芳之 (2011) .『あなたはなぜ変われないのか: 性格は「モード」で変わる 心理学のかしこい使い方』ちくま文庫.
「自分が一番好きになれる自分」になれる環境を見つける
バルセロナ大学のフェイクサスらは、161人のうつ病患者と、110人の精神衛生上問題がない人を調査し、うつの人の約7割が心の中に葛藤を抱えていることを明らかにしました(*3)。
これは、精神衛生上問題がない人の2倍以上の数値です。
また、葛藤を抱える人の9割近くが自殺をしようとした経験があることも分かりました。
こうした、理想と現実のギャップがあるときの葛藤を「認知的不協和」と呼びます。
これは人間にとって非常に不快な状態です。その不快感を解消するために、人は言い訳をしたり、自分を正当化したり、他人を攻撃したりします。
心の病気も、背後には認知的不協和があることが多いのです。
となると、心の健康を保つためにも、人間の性格は固定的だと考えない方が良さそうです。
「自分」とは、案外あいまいなもの。
「自分はこういう人間だから」と決めつけることなく、もっと気楽に、「いろいろな自分を見つけていく」生き方のほうが、人間にとっては自然だと思います。その過程で「自分が一番好きになれる自分」が見つかれば、もうけものです。
もし、その「自分が一番好きになれる自分」でいられる時間を長くしたいと思うなら、そんな自分になれる「環境」を探す方が、モード性格論的には近道です。
自分を変えることは難しいかもしれませんが、「自分が一番好きになれる自分」になれる環境なら見つかるかもしれない。
そんなふうに考えてみましょう。
人の幸せを願うと自分も幸せになれる
自分のことばかり考えてしまっている自意識過剰の人には、少々耳が痛い話かもしれません。
「どうせ考えるなら、他人のことを考えている人の方が幸福度が高い」とする驚きの研究報告があります。
人の幸せを願うと自分も幸せになれる、というのです。
アイオワ州立大学のジェンタイルらは、次のような実験を行いました(*4)。
496人の大学生に、12分間にわたり大学構内を歩いてもらいます。そのさい心の中で「あること」を考えてくださいと伝えました。
その「あること」によって、大学生を4つのグループに分けました。
グループB)その人と自分にはどんな共通点がありそうか、考えてみる
グループC)その人より自分の方が優れていそうな点はどこか、考える
グループD)その人の服装や持ち物について考察してみる
大学構内を歩いてもらう前後で、不安、幸福度、ストレス、共感性、他者のつながりなどのスコアを比較したのです。
すると、散歩後に幸福度のスコアが高くなったのは、「他人の幸福を願う」グループAでした。Aのメンバーは、不安は減少し、共感性や他者とのつながりにおいても高いスコアが出ました。
(*3)Feixas, G., Montesano, A., Compan, V., Salla, M., Dada, G., Pucurull, O., Trujillo, A., Paz, C., Munoz, D., Gasol, M., Saul, L. A., Lana, F., Bros, I., Ribeiro, E., Winter, D., Carrera-Fernandez, M. J. & Guardia, J. (2014) . Cognitive conflicts in major depression: between desired change and personal coherence. British Journal of Clinical Psychology, 53, 369-385.
(*4)Gentile, D. A., Sweet, D. M., & He, L. (2020) . Caring for Others Cares for the Self: An Experimental Test of Brief Downward Social Comparison, Loving-Kindness, and Interconnectedness Contemplations. Journal of Happiness Studies, 765-778.
親切は「毎日」より「まとめて」がいい
さらに具体的に、「週に5~6回の親切が、幸福度を上げるのに効果的」であることを明らかにした研究結果もあります。
カルフォルニア大学の心理学者リュボミルスキーらの実験です(*5)。
被験者に、お金の絡まない親切な行為を週に5回、6週間にわたり行うよう依頼しました。1日に5回行うか、1週間かけて5回行うかは、被験者の判断に委ねられました。
すると6週間後、何もしなかった人に比べて、親切を続けた人の方が幸福度が高くなっていました。
興味深いのは「親切にすればするほど幸せになれる」というわけではなかったことです。
実験では「1週間に1度、まとめて5回親切な行動をする」のが一番効果的だったのです。どうやら、毎日親切をするとルーティン化し、刺激が薄れていく=飽きてくるようです。これは「順化」という脳の現象です。
まるで「情けは人のためならず」ということわざを裏付けるような結果ではないでしょうか。
幸福度を高めるためには、遠回りのように見えても、まず他人のことを考え、他人のために動くことが効果的。自分のことで思い悩む暇があったら、「誰かのため」に行動した方が幸福になれるのです。
(*5)Lyubomirsky, S., Tkach, C., and Sheldon, K. M. (2004) . Pursuing sustained happiness through random acts of kindness and counting one’s blessings: Tests of two six week interventions. Unpublished data, Department of Psychology, University of California, Riverside.