※本稿は、大空幸星『「死んでもいいけど、死んじゃだめ」と僕が言い続ける理由 あなたのいばしょは必ずあるから』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
「孤独に耐えるのが強い人間」なのか
なぜ僕たちは「孤独なのは恥ずかしいこと」「人に頼るのは弱いこと」と考えるようになったのでしょう。そして、相手に遠慮したり、自分の内側に引きこもったりして、ますます孤独を感じるようになったのでしょう。
それは、「一人で孤独に耐えるのが強い人間」「自分のことは、すべて自分で責任を取らなければならない」といった思い込みが、いつの間にか社会や家庭に浸透したからだと僕は考えています。
これらの考え方は一見間違ってないようにも思えますが、はたして本当にそうでしょうか。
人間は協調性を持って支え合う生き物です。また、僕たちの社会がそれぞれの支え合いで成り立っているのも事実です。
そう考えると、孤独を美化したり行き過ぎた自立を求める考え方は、じつは、単にそう思い込まされているだけで、決して正しいものではないとわかるのではないでしょうか。
お互いが支え合うよりも、一人で生きていくほうが強い人間だ。
人に頼るのではなく、自分の人生の責任は自分で取らなければならない。
このような根拠のない思い込みを心理学用語で「スティグマ」と言います。
これは、弱者に対するいわれのない「差別」や「偏見」を意味しますが、もともと古代ギリシャで生まれた言葉で、家畜や身分の低い人に押す烙印のことでした。
簡単に言うと、いつの間にか植えつけられた間違った思い込みがスティグマです。
人間が気づかないうちに持っているスティグマ、特に「自分の問題はすべて自分の責任」という考え方は、僕たちを苦しめる原因になります。「これは自分の問題だから人に頼るべきではない」と考え、孤独を深めてしまうからです。
ここでは、このような間違った思い込みのせいで、僕たちは人に頼れず孤独を感じがちなのだと気づいてもらえれば十分です。
「頼る」のは、ケガで病院に行くようなもの
先ほど、孤独は空腹や喉の渇きと同じ生理現象だと言いましたが、別の言い方をすると、孤独とはケガのようなものだと考えてください。
たとえば、ケガをしたら誰でも痛いと感じるように、孤独なときはどんな人もつらいという感情が湧いてくるはずです。または、毎日がしんどい、生きているのが苦しい、心がモヤモヤする、そんな気持ちが湧いてきます。
それは、自分自身の心が発しているSOSのサインです。そのサインを無視していては、つらい感情が消えることはありません。
あなたは、ケガをしたときは、病院や保健室で手当てをしてもらいますよね。それと同じように、一人ぼっちで苦しいと感じるときは、誰かに頼る必要があるのです。
体のケガの場合は、そのままにしておいたら自然にかさぶたができて治る場合もありますが、心の場合はそうはいきません。
「ほんの少しだから我慢すればいい」「大したことがないから放っておこう」とそのままにしていると、どんどん悪化していきます。
ちなみに、孤独を測る尺度は学術的に研究されていて、「孤独を感じる時間が長ければ長いほど重症化している」とされています。
孤独というものは、目には見えないし他人と比較することもできないので、「これくらい大丈夫」と、つい軽視しがちですが、早く手を打って長期化させないことがとても重要なのです。
孤独だと時間も解決してくれない
よく「問題は時間が解決してくれるよ」とか「心の傷は時間が癒やしてくれる」と言う人がいますが、これは言葉足らずだと言えるでしょう。
時間の経過によって悩みが消えたりつらい出来事を忘れられたりするのは、過ぎていく時間のなかで人と触れ合って慰めてもらったり、何らかの出会いがあって気づくことがあったりして、心が回復するきっかけがあったのです。
もしずっと一人で誰とも接触せず部屋にこもっていたとしたら、たぶんいつまでたっても傷は癒えません。驚くかもしれませんが、実際「あなたのいばしょ」にも、引きこもりを続けている40代、50代の方が中学時代に受けたいじめについて相談されるケースもあるほどです。
人に頼るのは難しくない
さて、ここまで「誰かに頼って欲しい」とお話ししてきましたが、僕自身も、子どもの頃からずっと人に頼ることができませんでした。現実的に、周囲には頼れる大人が誰もいなかったし、友達に頼るという発想がなかったということもあります。
しかし幸運にもF先生(高校時代の担任)に出会い、日々の生活や進路について相談してみて、僕は気づきました。「人に頼るのは、そんなに難しいことじゃないんだな」と。
最初から、100%何でもさらけ出せたわけではありません。でも、ぎこちないながらも少しずつ正直な気持ちを吐き出してみたら、先生はすべて受け止めてくれました。そこに、「こうやらなければいけない」というルールはまったくありませんでした。
だから、あなたが誰かに頼るときも、自分なりの方法でいいのです。
頼る前に、頭のなかで「こう思われたらどうしよう」と、あれこれシミュレーションする必要もありません。自分の気持ちを、ただ正直に伝えればいいだけです。どんな気持ちであっても、受け止めてくれる相手は必ずいます。
話すだけで心が軽くなる
「あなたのいばしょ」でも、相談するスタイルに何のルールもありません。
最初に、ニックネーム(自分が呼んで欲しい名前)や年齢などは書いてもらいますが、チャットを始めたら、相談したいことやそのときに感じている気持ちを何でもいいので自由に話してもらいます。
そうやって、自分の抱えている苦しさや悩みを人に話すだけで、起きている事実は変わらなくても、「心がスッキリしました」と言う方が大勢います。
なぜ、人に話しただけでそんな変化が起きるのでしょうか。それは、何の決まりも気兼ねもなく、自分の本心をありのままにさらけ出せたからです。そして、その思いを受け止めてもらったからです。
多くの相談窓口が「あなたのいばしょ」のように、誰でも安心して相談できる体制を整えています。もちろん、周りに悩みを話せる人がいればぜひ頼って欲しいのですが、誰も心当たりが浮かばないときは、僕たちのような存在も思い出してください。
漠然としていてもかまわない
これはとても大事なことですが、相談内容が漠然としていても、自分が苦しい理由がはっきりわからなくても問題ありません。
「なぜか理由はわからないけれど、生きるのがしんどい」
「大きな問題はないのに、毎日がつらくて死を思ってしまう」
そう感じるのであれば、我慢せずに誰かに頼ってください。
話の内容や文章が整っている必要もないし、文脈がつながっていなくても大丈夫です。「あなたのいばしょ」でも、ただ「苦しい」「つらい」と、自分の気持ちをつぶやくだけの方もいます。
自分で原因がわからないことの苦しさ
じつは、10~20代の若者の自殺原因を調べると、3人に1人は「不詳」。つまり、理由がわからないのです。
なぜこれほど「不詳」が多いのかは、関係者の間でも長年の疑問となっていました。
しかし「あなたのいばしょ」で多くの方の話を伺っているうちに、ひとつの答えが見えてきました。
相談者のなかには、いじめられているわけでもなく、友達とケンカしているわけでもない。先生や親との関係が悪いわけでもない。でも、死にたいという人たちが少なからずいます。
深い悩みや生きづらさを抱えている本人自身も、その理由がわかっていない場合が多いのです。死んだほうがマシだと思うくらい毎日がしんどいのに、その原因が自分でもわからないのはとても苦しいものです。
話すことで整理できる
心のモヤモヤや言葉にはできない違和感を1人で抱え込んでいると、それらがどんどん積み重なっていきます。そのままにしていたら心のなかがぐちゃぐちゃになって、最終的には、死にたいほどつらくなるということがあるのです。
そこまでいくと、自分がどういう気持ちで、何に苦しんでいるのかもわからない。何が正解かもわからないという状況になってしまいます。僕がF先生にメールを送ったときも、まさにその状況でした。
そのような状態のまま1人でいると、ますます迷宮に入ってしまいます。しかし誰かと話すことで、自分の気持ちを整理でき、視野が広がることもあるのです。
「あなたのいばしょ」でも、初めは「理由はわからないが苦しい」という方たちが、最終的には、「そうか、私がつらかった理由はこれだったのですね」「もんもんとした気持ちの原因がわかりました」と変化することがよくあります。
それは、混乱していた感情や積もり積もった思いを文字にして伝えていくうちに、心のなかが整理できるからです。
人の悩みというものは、いくつもの問題が複雑に絡み合っている場合も多くあります。しかし話をしていくうちに、次第に心の整理ができ、自分自身で解決の糸口を見つけられることもあるのです。
だから「ちょっとしんどいな」と思ったときは、迷わず誰かに話を聞いてもらおうと考えるようにしてください。友達に「元気?」と挨拶するのと同じような感覚で、「最近、ちょっとしんどくてさ」「なんだかモヤモヤするんだよね」と話すことが当たり前な世界になることを願っています。