「iモード」革命に開発の最前線で携わった笹原優子さんは、結婚以来約18年もの間、東京―大阪を月に2度行き来する遠距離結婚生活を続けてきた。仕事が面白くなってきた矢先のこと、結婚するなら、今の仕事を辞めて、彼がいる大阪へ行くしかない。それが当然だといわれた当時、悩み抜いた末に「結婚と同居は別のことだ」と気づいたという――。

世界が注目した「iモード革命」を起こしたひとり

「iモード革命」と呼ばれた快挙が世界で注目されたのは、1999年2月。インターネットへの接続を可能にした世界初の携帯電話サービスを事業化したのがNTTドコモの「iモード」である。米国アップルがスマートフォンを初めて発売したのは2007年、その8年前に「スマホの原型」ともいえるデータ通信サービスが日本で誕生した。

NTTドコモ 経営企画部 担当部長 笹原 優子さん(NTTドコモ・ベンチャーズ 代表取締役社長)
NTTドコモ 経営企画部 担当部長 笹原 優子さん(NTTドコモ・ベンチャーズ 代表取締役社長)写真提供=NTTドコモ

「iモード」を成功に導いたのは、NTTドコモの榎啓一氏の下、リクルートからスカウトされた松永真理さん、ベンチャー企業の副社長から転じた夏野剛氏をはじめとする多才な人材が集うチームだった。そして、その立ち上げメンバーの一員として、笹原優子さんも開発に携わっていた。

「多様性あるメンバーが同じ方向を向いて力を合わせることで、新しい文化が創り出されていく。まさに世界を変えるような現場に立ち合えたことが、私の原体験になっています」

「これから最高のエンタメになる」と確信

エンジニアとしてNTTドコモヘ入社したのは1995年。就活の頃はポケベルが主流で、携帯電話はまだ普及していない時代だった。もともとゲームが好きでエンターテインメント業界を考えていたが、「携帯電話があれば、いつでもどこでも会話ができる。これから最高のエンタメになるだろう」と。それが志望の動機になったという。

入社4年目には「iモード」の開発チームに加わり、対応端末のラインナップ企画やサービス仕様の策定に携わる。コミュニケーションを円滑にする仕掛けとして、今ではすっかり一般的になった“絵文字”も、このときのチームで生み出した。試行段階では、高速移動などのいかなる状況でもちゃんとメールが届くかどうかを確認するため、入念な試験を繰り返したという。

「新幹線を何度か往復したり、高速道路をぐるぐる走り回ったり。皆は酔ってつらそうでしたが、私は三半規管が丈夫みたいで降りた後に、すぐにラーメンを食べても平気で(笑)。山手線では人に見られないように、画板で端末を隠しながらテストしていました。今思うとちょっと怪しかったかもしれません……」

約18年続く「遠距離結婚生活」がスタート

そして1999年2月、ついに「iモード」のサービスがスタートした。電車に乗ったときなどに、実際に使っている人の姿を見ると嬉しくて、もっと普及させたいと意欲が湧いていく。そんな矢先、笹原さんはプライベートで大きな決断を迫られることになる。大阪と東京で離れて、遠距離恋愛していた相手からプロポーズされたのだ。

結婚するなら、今の仕事を辞めて、彼がいる大阪へ行かなければならない。当時の世の中の当たり前として、それが当然と思っていた。だが、仕事が面白くなっていただけに、「仕事か、結婚か」と心は揺れる。

「このまま大阪へ行ったら、たぶん夫婦喧嘩したときに『私はあなたのために大阪へ行ったのに……』などとずっと相手を責めてしまうだろうと。それは健全じゃないと思いました。悩み抜いてふと気づいたのは、結婚と同居は別のことだということ。別居という形を取りながら、彼と結婚しようと決めたんです」

考えを話すと、彼はすんなり快諾してくれ2000年に結婚。月に2回、週末を大阪で過ごし、月曜の朝に東京へ戻るという生活がスタートした。しかし、現実にはやはり体力勝負のつらさがあり、自身の働き方を変えていかなければと思い始めた。

「この先もし子どもを出産したり、親の介護が必要になったりしたら、今の状態のまま働き続けることは難しくなる。だから、いつでも『転職できる人材』になろうと考えたんです」

女性7人でコンサルティング会社を起業

そのためには、まずスキルを身に付けたいと思う。自分の可能性を試そうと、副業を始めることにした。異業種の女性7人でコンサルティンググループを起業する。メンバーには、働き方改革の第一人者とも言える女性実業家、ワーク・ライフバランスの代表取締役社長、小室淑恵さんもいた。

主な事業は、女性向けの商品企画に携わる仕事。女性をターゲットにした深夜の通販番組を企画したり、カー用品店やマンションのモデルルームへの集客を狙ったり、女性ならではの柔軟な発想を求められる現場は刺激もあった。一緒に起業したメンバーはそれぞれ個性が強く優秀な人たちで、自分の実力を客観視できる機会にもなった。

「めちゃめちゃ落ち込むこともありました。クライアントと対面でミーティングしたとき、メンバーの中でも私の話には興味がなさそうで、クライアントから受け入れられてないんじゃないかなどと過剰に気にしてしまう。一歩会社の外に出ると自分は使えない人材なんだと思い知らされた気がして、すごくつらかったですね」

実はそのころ、会社の業務と副業の両立で無理がたたり、副業の仕事のクオリティが落ちている自覚はあった。ずっと一人で気負っていたが、あるときグループで心許せる人につらい思いを打ち明けて自分の弱さも受け入れられるようになったとき、ようやく落ち込みから脱することができたという。この失敗を経て、「受けられないときは、『質が落ちるから今は受けられない』とハッキリ断るか時期をズラす」「いっぱいになってきたら、その少し前にうまくセーブする」など、複数の仕事を受ける上でのバランス感覚が身に着いた。

NTTドコモで管理職に昇進したのは35歳のとき。905i、906iなどの端末シリーズのリブランディング プロジェクトリーダーに抜擢された。そのリリースが決まったときに、社長や役員が会議室に集まって熱く握手していた光景が今も目に焼き付いている。新たなドコモのプロジェクトが動き始め、その現場に携わる高揚感もあったという。

TOEIC345点から猛勉強!MBA取得に海外留学へ

それから4年後、笹原さんは思いがけないチャンスを得た。上司から「マサチューセッツ工科大学(MIT)への留学へ挑戦しないか」と勧められたのだ。自分でもスキルアップを目指し国内でのMBA取得を考えていたが、「まさか海外で!」と驚き、困惑した。しかし2週間ほど悩んだ末に、挑戦することを決意。実は英語が苦手だったという。

「入社した頃のTOEICの点数は345点(笑)。その後時間があったときに英会話スクールに通い勉強してかろうじて倍の690点。それでも留学のレベルでは全くなく、もう死ぬかと思うくらい勉強しました。夜中もCNNのニュースを聞きながら寝ていて、英語で夢を見るくらいで」

何とか踏ん張って留学試験に合格し、アメリカへ留学した。だが、言葉の壁ははるかに高く、勉強はもとより、文化や慣習など多様な学生たちとのコミュニケーションに苦労して落ち込むことばかり。それでもさまざまな国の女性たちと出会う中で、学ぶことは多かった。

韓国とマレーシアの女性は夫と子どもを連れて来ていて、ナイジェリアの女性はこの留学を期に離婚したシングルマザーだった。ブラジル人の友だちは留学中に離婚を決め、3人の子どもを一人で育てていると話してくれた。

「私は結婚でも別居するかどうかですごく悩んだけれど、世界にはもっと柔軟な生き方を選ぶ人たちがたくさんいる。女性だからというバイアスに縛られず、家庭の在り方や働き方にもいろんな可能性があるんだと。やりたいことは何でもできることに気づかされました」

マネジメントとは「牧場に柵を立てること」

一年間の留学でMBAを取得し、日本へ帰国。翌2014年にはイノベーション統括部の担当部長に就任した。新規事業創出を目的としたプログラム「39works」を運営し、社内起業家の支援を行うことになる。「39works」は、「未来の“あたりまえ”を創りたい」をモットーに始動したプログラムで、社内から上がってくる小さなアイデアとそのプロジェクトを社外パートナーと協力しながら、事業化に向けてサポートしていく。

NTTドコモ 経営企画部 担当部長 笹原 優子さん(NTTドコモ・ベンチャーズ 代表取締役社長)
写真提供=NTTドコモ

これまで、1000件を超える企画の中から40件以上の事業化プロジェクトを推進。笹原さんは7年間にわたって、そのマネジメントを担ってきた。

「私はいわば“お母さん”的な役割でした。社員たちがそれぞれの価値観の中で出してきたアイデアを、現実的にどういうふうに立ち上げていくかをどんどん詰めていく。当然ながら一人ひとりの覚悟も聞きますし、私はかなり厳しい方だと思います。リスクが大きければ止めなければいけないし、予算にも限りがあるけれど、できるだけ挑戦してもらえる場を作るのが役目。よく『牧場』に例えていたのですが、私は崖のようなところに柵だけはしっかり作る。あとは広い牧草地で自由に駆けまわれるようなサポートを心がけてきました」

個性を引き出す部下育成法

「39works」は、年に一度、全グループ社員2万7000人を対象に事業コンテストも開催している。若手の応募が多い中、60歳と64歳の社員二人のチームが最終選考まで残ったことがあった。200近い応募の中から5組に絞られ、そのチームは銀賞を獲得。「イノベーションチャレンジに年齢は関係ない」というプレゼンテーションを聞いたときには、本当にそうだと胸が熱くなったという。

そんな笹原さんにも新たなチャレンジが待ち受けていた。2021年6月から、NTTドコモ・ベンチャーズの代表取締社長に就任の辞令が下ったのだ。NTTドコモ・ベンチャーズは、1000社ほどあるNTTの連結子会社とスタートアップとの接点をつくる役割を担う投資会社で、スタートアップへの投資と支援、協業プロジェクトの推進などの事業を展開している。

代表という大任の重圧はあっただろうが、笹原さんは“異動”という思いで淡々と受け止めたという。

「私は皆で『あっちだね!』と同じ方向を見て、一緒に仕事をしていくのが好きなんです。『iモード』の立ち上げのときも、榎さんや真理さんたちが『あっちだよ』とビジネスプランを示してくださり、社内外の人たちと力を合わせて取り組むことですごく良いものができました。今の会社でも、スタートアップの人たちやNTT、ドコモの社員と同じ方向へ向かって、楽しく取り組んでいきたい! そんな私のキャラに合う組織づくりを目指しています。それが、私が抜擢された意味かなとも思うので」

そのためにも、メンバーの話をしっかり聞くことを心がけている。ミーティングに、他部署で初めて会う人や遠慮がちな若手社員がいた場合、「○○さんはどう思いますか?」と意見を求めることで話しやすい空気をつくるほか、slackでDMを送るなど工夫しているが、それは新人時代の上司に鍛えられた経験があるからだ。

笹原さんは新人時代、当時の上司から打合せの度に「あなたは何がしたいのか?」と聞かれたという。上司の口癖は「意見を言わないやつは会議室から出ていけ」。一見怖く聞こえるが、笹原さんはそれを鼓舞と受け取っていた。不安ながらも自分の考えを伝えたときには、上司が嬉しそうに聞いてくれたからだ。

「自分も組織の中の重要な一人なんだと思わせてもらえたことが嬉しかった。だから私も一人ひとりの意見を聞くようにしていますし、各自の個性がうまく引き出されていくのを見たときは、やりがいを感じますね」

2月22日は年に一度の振り返りの日

現在は東京とシリコンバレーにいる20名の部下を率いている。

また、笹原さんはずっと東京と大阪を行き来してきたが、今はリモートワークが主になったことで、大阪の家で仕事をできるようになり、夫との同居もスタートしたという。遠距離結婚でも家庭円満でいられたのは、お互いに自分のできることを無理なくやっていたから。夕食は毎日出社する夫が買い物をして、得意の腕を振るってくれるそうだ。

仕事と家庭を両立するため、自分らしい働き方を模索してきた笹原さん。副業や留学にも挑戦し、とことん落ち込むことも経験したが、「どんなことも視点を変えてみれば、諦めることなく楽しめると思います」。そうした前向きな姿勢の原点は、やはり新人時代に携わった「iモード」開発の現場にあった。

「今も毎年2月22日の『iモード』の誕生日には、チームの人たちと集まっています。皆さんは変わらず元気で楽しいですし、いい意味で緊張感もあって。私にとっては自分の成長を振り返る場になっていますね」

そして、笹原さんの中では次なる夢も芽生えている。いつか「通訳案内士」になりたいそうだ。かつて海外へ留学したとき、友だちに日本の文化を教えることで興味を持ってもらえたことが嬉しかった。だから、いずれは海外から訪れる人たちに日本の魅力を発信できる仕事ができたら……と。人を楽しませたいという、入社当時の熱い思いは今も変わらないようだ。