誰にでも自信を失い、気分が下がるときがあります。どうすれば自己肯定感を上げられるでしょうか。京都・両足院の副住職、伊藤東凌さんは「自己肯定感を上げる必要はありません。それよりもっと大切なことがあります」といいます――。

仕事も子どもも手に入れたのに理想に届かない

「自己肯定感が下がっている」「仕事もプライベートも中途半端で自分のやることに自信が持てない」と感じている人は多いようです。そう感じるときは、自分について振り返る時間を持ちましょう。

京都・両足院の副住職、伊藤東凌さん
京都・両足院の副住職、伊藤東凌さん(撮影=Hiroshi Homma)

若い頃は、誰もが「あの仕事にはどうやったら就けるんだろう」「どうやったら結婚できるんだろう」「子どもがほしいけれど、どうしたらいいだろう」と悩んでいた時期があったはずです。そして今、仕事も結婚も子どもも全部手に入れているのに、今度はそれに対して、もっといいキャリアをもちたい、もっと趣味を充実させたい、もっといい妻やいい母でありたい……、もっともっとと理想を積み重ねて、それがいつの間にか「自分らしい生き方」であるかのように設定してしまっているのです。

自分らしい生き方とは、自分の素のままで生きることであるはずなのに、「理想的な自分」が自分らしさであると、どこかですりかわってしまった。まずはその考えを解き放ちましょう。そしてこれまで積み上げてきた今の自分を褒めてあげる気持ちを持ちましょう。そうすると、ぐんと楽になります。

大事なのは自己肯定ではなく「自愛」

まずは、自己肯定感という言葉を捉え直してみましょう。自己とは、あなたが頭で考えていることというよりも、体も含めたあなた自身のことです。つまり、肯定や否定といった客観的な判断がそこに発生しようがなく、そもそもが愛すべき対象なのです。

野原
撮影=Hiroshi Homma

ですから、ちゃんと自愛の時間を持つことが重要です。

よく手紙の最後に「どうぞご自愛ください」とありますが、これを本当に素直に受けとればいいと思います。自愛は、あえて片仮名でいうと「セルフケア」です。

この自愛やセルフケアの時間を持つことで、多くの人が囚われている「理想の自分」から本来の自分に戻ることができるでしょう。

1日数分、手当ての時間をもつ

毎日の忙しさの中で、ほんの数分でもいいと思います。いつも働いてくれている自分の体を感じとる時間を持ちましょう。そしてリチュアル(お作法)を行います。リチュアルとは、これをすれば自分の考えが切りかえられる行動様式です。

お花
撮影=Hiroshi Homma

最もおすすめなのが、自分の体に手をあてる「手当て」という方法です。体に手を当てると、手のぬくもりが体に伝わり、体は自分の体だけど、自分だけがつくっているわけではなく、空気を吸ったり、水を飲んだりして、自然とつながってできていることを実感できます。それだけでなく、今の時代という横の脈ともつながっているし、先祖からつづく縦の脈ともつながっていることがわかる。そして、そんな体が元気であることに感謝し、自分という存在が、自分が思うよりももっと大きな存在であることに気づきます。これは立派な瞑想です。

手当てのやり方としては、まず手が冷たければ、両手をすり合わせて手をあたためてから、体にさわっていきます。手はセンサーであり、思いを伝える媒介ですから、そこにスイッチを入れるというイメージです。胸に手を当てて呼吸を感じたり、首をさわって血液の流れを感じたりします。それぞれ好きなやり方でOKですが、私の場合、首、胸、おなか、背中と体の上から順に手を当てていきます。

他者への共感が深まる

これは自分にとって気持ちのいい時間帯にやってほしいので、朝気持ちよく起きられる人は朝、おふろ上がりが気持ちいい人はおふろ上がりと、あまりストイックになりすぎず、リラックスしているときに試してみてほしいと思います。リラックスしているときは、愛がいちばん発動しやすいので、そういう時間こそ、自分に愛を向けるときです。私は坐禅の前に行うのが習慣になっています。

お花
撮影=Hiroshi Homma

日々、自愛していくと、自分にも他人にもいいことが起こります。自分に対しては、自分がいかに狭い世界の中での評価にとらわれていたかということが見えてきます。そうすると自分の解像度が上がって、考え方の癖に気づけるでしょう。

一方、他人に対しては、共感力が上がります。長らく日本の社会では自分に愛を向けると、自己中心的と思われるようなところがありましたが、まずは自分を労わることで、他者への共感度も上がるのです。

自分の感情を対象物化する

自愛することで自分の考え方の癖がわかったら、ユーモアを込めて、その癖に「○○ちゃん」と名前をつけてみるといいですね。

青空
撮影=Hiroshi Homma

怒りっぽい人は「またイライラちゃんが出てきた」という感じです。そんなふうに自分の感情をいったん対象物化したら、その感情をかわいがることができて、振り回されることもありません。

これは、もともと坐禅や瞑想の最中に、ひざが痛くなったり、背中がかゆくなったり、体の感覚が変化したときに使う方法。「痛みちゃんがきている」「かゆみちゃんがあらわれた」と体の変化を対象物として見ると、「俺の足が痛い」「俺の背中にじゃまものがいる」と思うのと全く体の感覚が変わってくるのです。

そんなふうに心の癖や感情の変化についても体のように見てほしいですね。最初は体で練習してみるとわかりやすくていいかもしれません。

コロナ禍で「人のせいちゃん」が大量発生

心や体だけでなく、世の中のエラーちゃんを見つけると、そこにハンドルを持たせず、自分でコントロールして生きていくことができます。このシーンで、このエラーちゃんがくるとわかれば、その対処方法も奥深いものになっていきます。

石畳
撮影=Hiroshi Homma

たとえば今のコロナ禍なら「人のせいちゃん」というエラーちゃんが出てきがちです。自分のやる気が出ないのを、政府の対応が悪い、仕組みが悪い、と人のせいにする癖がつくと、いつまでたっても自分でハンドルが握れません。

でも「人のせいちゃんがきてる」と思えば、自分でその状況を引き受けて、自分の人生をコントロールできる。世の中のムードに流されずにすむのです。

かつて手に入れたいと思っていたものが手に入っているのに「もっと、もっと」と理想を求めてしまうのも、周囲と比較したり周囲に流された状況と言えます。一般的に言われるような「自己肯定感を上げること」からは離れ、こうやったら自分の機嫌がよくなるというパターンを見つけていくとよいでしょうね。

禅には「知足」という言葉があります。これは、今の状態が既に満たされているということに気付きましょう、ということです。それはなかなか難しいことなので、ここでは「その満たされている自分に気付く時間を持ちましょう」という解釈をお伝えできればと思います。

例えば寝る前に、1日数分でも自分を愛する時間をとりましょう。そうするだけで、自ずと今の悩みは解決していくはずなのです。