※本稿は、渡辺龍太『おもしろい話「すぐできる」コツ』(PHP)の一部を再編集したものです。
ウケるために「異常なこと」をしてはいけない
1本目の記事で、自分の感情をそのまま伝えることの大切さについてお話しました。
でも、私が「ウケるためには自分の感情をそのまま伝えよう」と、いくら説明したとしても、こんな勘違いをする人がいます。
「なるほどね。じゃあ結局、相手の想像を超えるような『異常なこと』をすればいいんでしょ。そうしたら向こうがツッコミをくれる、みたいな」
しかし、これは断じて違います。たしかに(1本目の記事に登場する)A先生のカップラーメンに対する愛情の話は異常なこととも捉えることができますが、ポイントはそこではなくて、「A先生が自分の感情の高まりを素直に話していること」なのです。でなければ、その異常な行動に対して、違和感や引く気持ちが先に来てしまい、「おもしろい」と思われるどころか、「この人、なんかやだな……」とドン引きされてしまうのです。「変わった行動をしているだけ」では、おもしろい話になりません。
「イタいタレント」に欠けていること
いまいちブレイクしていない、たとえば「野菜ソムリエ」などの資格を大量に持っているようなタレントにありがちなのがこれです。異常な行動のみを話して、「必死すぎる」「仕方なくやっている」感が全面的に出てしまい、話がまったくおもしろくないという現象です。
たとえば、「毎日、必ず5時間ぐらい半身浴しているんです」というような特殊な行動を、半身浴の効能などの役立つ知識と一緒に語ればウケると思っているような、若い女性タレントをテレビで見たことがあるはずです。
しかし、こういったタレントの話を聞いて、まったくおもしろいと思えなかった経験をしたことがある人は、少なくないはずです。理由は単純明快で、そういう人はだいたい、「いかに特殊な行動をしたかを語るだけで、感情の高まりを語っていない」からです。
話をしているタレント自身の感情の高まりを、聞き手が感じとることができなければ、特殊な行動を語れば語るほど「半身浴を5時間とか言って、なんか頑張っちゃってるな〜」「この人はキャラを作りたくて嫌々やっているんだろな」と痛々しく感じられてしまうのがオチです。
感情の高まりが「おもしろさ」を感じさせる
しかし、こんな半身浴の話でも、半身浴に対する、感情の高まりが、話の端々に自然と表れていれば、おもしろくなることもあります。たとえば、そのタレントがMCから話を振られた時、具体的な半身浴の効能に一切触れなくても、自分の感情をストレートに話していれば、こんな感じの会話になるはずです。
タレント「私、これまで仕事で断食とか、色んな健康系の企画をやっているんですけど、どれもツラくて嫌だったんです。でも、半身浴は私にすごく合ってるみたいで、もう最高なんですよ! スタッフさんからも、そこまでしなくていいって引かれ気味なんですけど、実は毎日、気づいたら5時間ぐらい半身浴してるんです!」
【MC】5時間⁉ そりゃすごい、ふやけちゃいそうだね(笑)! なんでそこまでハマれるの?
【タレント】なんか、断食とかはツラい挑戦なんですけど、半身浴は癒やしなんです! ただお湯に体の半分だけ浸かって、ボーッとしてスマホをいじったり、動画を見てるだけで、一瞬で時間が過ぎ去ってく感じで、時間を忘れちゃうというか。もし、法律で半身浴が禁止されたとしても、捕まるの覚悟で半身浴しちゃうと思います(笑)!」
ウケなくても、それなりに聞いていられる話に変身
別に特段おもしろい話になるわけではないのですが、感情の高まりによって「この人はよくわからないけど、とにかく半身浴が異常に好きな人なんだな」ということが自然と受け入れられます。感情の高まりによって、「なんだかわからないけど、変な人だな。ちょっとおもしろいかも?」なんて具合に、声を出して笑うような話ではなくても、それなりに聞いていられる話として機能するわけです。
「異常な行動」だけでウケようとする人の末路
ここでカンのいい読者は気づいたと思います。ウケるタレントもそうでないタレントも、話しているのは、「1日5時間も半身浴をしています」ということであり、まったく同じ内容なわけです。要は、おもしろいかどうかの違いを生んでいるのは、そこに感情が乗っているかどうかだけなのです。
それにもかかわらず、もしタレントが、「なるほど。1日5時間も半身浴をした、みたいな異常な行動を話していればウケるんだ!」と勘違いしてしまったらどうでしょうか。おそらく、よりウケようとすればするほど、もっと珍しい、他人の気を引く行動を起こさなくては、という強迫観念にかられて、こんな風にエスカレートしていくでしょう。
・レベル1:毎日5時間は半身浴をしています
↓
・レベル2:毎日8時間は半身浴をしています
↓
・レベル3:出かける時以外は半身浴をしています
↓
・レベル4:起きている時は基本、半身浴。ほとんど湯船で生活しています
ぶっとんだ話には高度な話術が必要
ここまでエスカレートしてくると、「感情の高まり」で話をカバーすることが不可能になってきます。相当ぶっとんだ話ですから、「おもしろい話」として披露させるためには、それこそ、フリ・ボケ・ツッコミ的な技術が必要になります。
なぜなら、もはや事実ではないことを、実際にあったことのように聞かせる技術が必要になるからです。そういった技術がない状態でこんな話をしようものなら、まわりの人はウケるどころか、ウソにしか見えない特殊な行動についての、おもしろくない話を聞かされたと感じ、ただ渋い顔をするだけです。
「他人へのイジり」も要注意
これに近いパターンで失敗する人が多いのが、「他人へのイジり」で笑いを取ろうとすることです。普通の人がやらないような、他人に対する失礼な行動で笑いを取るというものですが、これも「異常と言える失礼な発言を普通にしている」ことで、ズレたカツラ理論(カツラがズレるという明らかな異常事態にかかわらず、本人が通常通りの行動を続けるような状況において笑いが生じやすい)が成立することにはなります。
しかし、異常なことを何度も繰り返せば、カタコトの英語で笑えなくなるように、いつか普通になってしまいます。だから、「ちょっとくらい失礼でも、他人をイジっていればウケるんだ」と考えてしまうと、たとえば、こんな感じでエスカレートしていってしまいがちです。
・レベル1:飲み会などの無礼講の場で、先輩の容姿をイジって笑いを取ろうとする
↓
・レベル2:白昼堂々、先輩の容姿イジりで笑いを取ろうとする
↓
・レベル3:お客さんの容姿をイジって笑いを取ろうとする
エスカレートして逮捕される事例も
このように、ちょっとした成功体験から失礼な行動がエスカレートしていき、最終的には、社会通念上、許されないレベルに達してしまう人もいます。そうなれば、ウケるどころの話では済まなくなります。それが、自分にとっても相手にとっても、大きなマイナスになる可能性があることは、火を見るより明らかです。
かつて渋谷のスクランブル交差点に、布団を敷いて寝るという映像を撮影したYouTuberが警察のお世話になりましたが、これも「変わった行動」だけでおもしろいを狙っていった結果、エスカレートしたがゆえの悲劇と言えます。
感情を素直に話した方が「おもしろい」会話は生まれやすい
では、行動を異常な方向にエスカレートさせずにおもしろい話ができるのでしょうか。例えば、先ほどのA先生とあなた(夫)がその後に再会した時の、次の会話を見てみましょう。
【A先生】「こんにちは! また会いましたね」
【あなた】「こんにちは。この前、偶然出会って以来ですね。先生が教えてくださったカップラーメンの食べ方、すごく印象に残ってます」
【A先生】「そうですか! でも実は、悲しいお知らせがありまして……」
【あなた】「どうしたんですか?」
【A先生】「いや、医者の不養生っていうやつですかね、健康診断を受けたらちょっと血糖値が高く出てて……。だからカップラーメンも、あの時は毎日食べてたんですけど、今はみなさんのイメージとは違って、全然食べてないんですよ……」
【あなた】「そうなんですね。でも、それがいいかもしれませんね」
【A先生】「そうですよね。だから最近は、さみしいんですが、1日おきぐらいにしています」
【あなた】「えっ? 先生、それでも十分、いっぱい食べてますよ(笑)!」
【A先生】「え? あ、そうですよね(笑)普通の人にとっては、そうなんでしょうね〜」
【2人】「(一緒に笑い合う)」
自分のことを淡々と話す
ここでA先生は、カップラーメンを食べる頻度が減って、今は毎日食べられないという話をしただけです。行動はエスカレートしていないですし、むしろ抑えてましたという話です。その事実を、心底悲しそうに話しているだけです。
しかしよくよく話を聞いてみると、減らしてもなお「1日おきに食べている」というではないですか。てっきり、もっと減らしていると思ったあなたは思わず、「十分いっぱい食べてますよ!」とツッコんでしまいました。
このように、A先生は自分の話を淡々としているだけですが、その中で聞いているあなたが「異常な行動が、あたかも普通に行われている」と感じる瞬間に行き着いてしまいました。ここでは、A先生に行動を無理やりエスカレートさせようなどという意図がなくても、おもしろい話にたどり着いています。
むしろ、A先生が心底悲しそうにしている分、そのギャップが際立っていないでしょうか? A先生が「カップラーメンを前ほど食べられなくなったんですよ……」と話すその姿勢が自然だからこそ、後々でそのギャップがより際立つわけです。
盛った「ネタ的な話」はスベっている可能性が高い
ここまでで、お伝えしたいことの本質を、だいぶお伝えすることができました。ただそうはいってもまだ、「自分の感情をそのまま伝えるとおもしろいなんて、信じられない」「やっぱり『ネタ』的なものを仕込む方がおもしろくなるんじゃない?」という人もいるかもしれません。
そういう人には、この言葉を覚えておいていただきたいと思います。
「事実は小説より奇なり」
普通の人は、「ネタ」をきれいにゼロイチから作ることはできません。もし作ったとしても、それはあなたが思うより、陳腐で浅い話に聞こえてしまっている可能性が高いと思ってください。そんな狙ったかのような「盛った話」は、実はスベっている可能性も高い。だから、そういう打算的なことは、今後一切考えなくてOKです。
自分の感情を事細かに説明することがポイント
その代わりに、自分がどういう感情を持ったのか、その詳細を丁寧に説明するようにしましょう。人の思考は常に流動的で、かなり大きなゆらぎがあります。しかも、多くの人は、自分の考えや感情をそれほど言語化していません。
だから、その思考や心理状態を詳細に語れば、その中に相手からすると新鮮な発見があり、「それ、どういうこと?」と興味を持つ部分が必ず出てくるのです。
度々登場しているA先生ですが、彼が今後、こんな風に変化していったら、あなたはどう思いますか?
・他の人が話を振っても、カップラーメンの話題には食いつかなくなり、スイーツへの興味ばかり熱っぽく語るようになった
・引き続き、毎日カップラーメンを食べているけど、なんだかマンネリ感があって悩んでいると退屈そうな顔をし始めた
・他の人がカップラーメンの話を振ったら、「ああ、昔、そんな話をしましたね〜」と、なぜか遠い目をして、とっくに終わった過去のことのように話し出した
自分の感情を語らない会話はもったいない
実際、人がこんな風に変化することは、ありがちです。そういう時には、その変化したありのままの自分を出す方が、結果として場も盛り上がります。
しかし、多くの人は、「こんな一面、相手に理解してもらえないかも」などと思い、自分のそれまでのキャラクターを守ろうと、そんな心理状態の変化を語らずに、なんとなく当たり障りのない感じで、話を合わせてしまったりするわけです。
そんな会話は、非常にもったいない! 相手が聞いておもしろい話は、あなたのストレートな感情、そしてそれが生じさせる化学反応的な発見です。だからこそ、自分の内面の感情を相手に伝えることが、おもしろい話をするための何よりの前提なのです。