前回はアダム・スミスやケインズをはじめとする代表的な経済学者の学説を見てきましたが、実はそれらの中には、現代に通じる商品開発やマネジメントのヒントがたくさん詰まっています。今回は、お手軽なビジネス本ではなく、そのような経済学者たちが書いた代表的な著書を通じて、実際のビジネスに生かせるさまざまな考え方を見ていきましょう。
ビジネス戦略のコンセプト
※写真はイメージです(写真=iStock.com/metamorworks)

モノのあふれる時代にモノを売るには?

現代社会は、モノであふれています。必需品はすでに飽和状態で、もしも消費が「必要なモノを買う」という単純な欲求充足行為にすぎないなら、新たな消費が生まれる余地はありません。そんな時代に「どうすればモノが売れるか?」という問いにヒントを与えてくれるのが、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』(1970)です。彼は経済学者ではなく哲学者ですが、現代社会の構造を“消費社会”ととらえ、ポスト構造主義の観点から鋭く分析しています。

彼によると、人間の消費には限度がなく、必需品を得るだけでは、消費への渇望はおさまりません。なぜなら現代社会の消費の根底には“差異化への欲求”があるからです。

たとえば腕時計。性能だけなら、2万円ぐらいのソーラー充電式の電波時計のほうが機能的です。でも人は、150万円もする手巻きのロレックスを欲しがります。なぜなら、ロレックスは時計というより“金持ち”の記号であり、150万円は機能に支払われる対価ではなく、“意味”に支払われる対価だからです。このようなボードリヤールの指摘をヒントに消費者の需要を読んでいけば、モノのあふれた現代社会でも、新たな消費需要はまだまだつくり出せるのではないでしょうか。

画期的な商品を生み出すには企業家精神が必要

イノベーション理論で有名なシュンペーターは、著書『経済発展の理論』(1912)で、おもしろい考察を行っています。それは“企業家が新たな需要をつくり出す”というものです。

考えてみれば消費者サイドから、従来なかった画期的な“新しい欲望”が生まれることなどありません。例えばiPhoneが便利なことは、今日のわれわれならば誰もが知っていることですが、1970年ぐらいに「あーあ、どこかにタッチパネル式の情報携帯端末、売ってないかな……」などと考えた消費者はいません。思いつかないからです。

このように、世間を揺るがすほどの画期的な商品開発のほとんどは、生産者サイドから“新しい欲望を教え込まれる”形で生まれます。そして企業家はそれらを、新しいモノを創り出すことだけでなく、“既存のモノを新しい方法で生産すること”でも実現していきます。

ただし、画期的な商品を生み出すには、さまざまな困難(保守的な上司からの反対、既得権者からの抵抗、法整備の不備など)も待ち受けています。だから企業家には、指導力や洞察力、他者への影響力、困難に立ち向かう強い意志などが求められます。

イノベーションの原動力は、「こんな商品ができたら、みんな驚くぞ!」という企業家の激しい“創造欲求・執着心・情熱”であり、そこには理性のブレーキや採算など、入り込む余地がありません。アップル製品を世に出したジョブズも言っています。「偉大な製品は、情熱的な人々からしか生まれない」――義務感で出す企画からは、いいモノはつくれても画期的なモノはつくれません。これは、かなり重要な商品開発の原点ではないでしょうか。

最初は売れた新商品、今はさっぱり売れない……

経済学がアダム・スミスをはじめとする古典学派全盛の時代には、商品価値は「生産に投下された労働量で決定する」と考えられていました。このような商品価格の決定理論を労働価値説といいます。

しかし、それを否定する画期的な経済学が登場しました。ワルラスらに代表される新古典派です。彼は『純粋経済学要論』(1874)で、商品価値に関する新たなモノサシを発表しました。“効用”です。効用とは“満足度”という意味ですが、これを基準に見ていくと、商品価値の考え方は、がらりと変わります。つまり、いかに多くの労働者が長時間かけてつくった商品でも、消費者が欲しがらなければ商品価値は低いということです。

とはいえ、その満足度も消費が続くと、だんだん下がります(=限界効用逓減ていげんの法則)。1杯目のビールはおいしくても、おかわりがつづくと、だんだんとおいしさを感じなくなるのと同じです。しかし希少性の高い商品(たとえば宝石など)の場合は、たった一つの消費で大きな効用を得ることができます。ならば、単に効用を求めるだけでなく、そこに希少性も含めた視点を持つことが、商品開発や販売では求められるのではないでしょうか。

マネージャーとしてどうあるべきかを考えるには

ドラッカーという経営学者がいました。日本では「もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)」の大ベストセラーで有名になりましたが、実際の彼は『企業とは何か』(1946)で、巨大企業への取材をもとに、マネジメントの重要性を世に知らしめただけでなく、“企業の社会的責任”“知的労働者”“民営化”などの新しい概念を、次々と打ち出した人物です。

また彼の著書には、現代でも十分生かせるすばらしいマネジメントの金言が、数多く残されています。「マネジメントとは権力ではない。人を活かす責任である」「他社との比較で自社の強みを見つけ出す」「自分に期待する者が高い成果をあげる」「イノベーションでは、まず廃棄からスタートせよ」「事業の目的は、顧客を創造することである」「顧客を想像するのではなく、直接聞かなければならない」「製品やサービスについて一番知っているのは企業ではない。顧客である」――ドラッカーがマネジメントに向ける目線は、決して“上から目線”ではなく、徹底的に謙虚な“上目線”です。彼の残した名言の数々は、間違いなく経営者や管理職の人たちが傾聴するに値するものばかりです。

なぜか“稼ぐ”ことに後ろめたさを感じるときは

せっかく起業したのに、稼ぐことに後ろめたさを感じる……、そういう人は自分のために働くのではなく「神のために働く」と考えてみてはいかがでしょうか。マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)で、欧州で資本主義が発達した要因を、キリスト教カルヴィン主義者の信仰心に求めています。

カルヴィン主義は、“予定説”を核心に形成されています。予定説とは「最後の審判の後、誰が救済されることになるかは、神のみぞ知る」という考え方ですが、これだと、自分が救済される側なのかどうか誰にもわからず、人々を不安にさせます。

そんな人々に安心感を与えるのが、職業労働です。なぜならカルヴィン主義では、世の中のすべての職業労働は神を支えるための“天職”であると考えるため、働いて利潤を得れば得るほど、人々は「俺がこんなに稼げたということは、仕事がうまくいった証し、つまり神の役に立った証しだ。ならこんなに役立つ俺を、きっと神さまが放っておかないはずだ」という“救いの確信”を深められるからです。

神の役に立てたという確信さえあれば、稼ぐことにやましさはなくなります。企業家の皆さんが稼ぐことにやましさを感じているかどうかはわかりませんが、実際の資本主義発展の原動力の一つとされる考えなので、参考にされるのもありだと思います。

以上、今すぐにでもビジネスに使えそうな経済学説をご紹介しました。経営に行き詰ったときや上司として悩んだときは、ぜひ彼らの著書を手にとって読んでみてください。