利益率が高い「替え刃モデル」とは
もうすぐ、令和初の年賀状を準備するシーズン。自宅のプリンタで印刷を考えている方々は、そろそろインクを買い足そうとする時期でしょう。
ただ、いざ売場やショッピングサイトで価格を見ると、「プリンタ本体は安くなったのに、インクは結構高いな」と感じる方も、多いのではないでしょうか。
それもそのはず。マーケティングの世界には、数十年前から「替え刃(Razor and blades)モデル」という言葉が存在します。
元々は、カミソリの替え刃を発明したジレットが、「まず商品本体(カミソリ)を安く売ることで多くの顧客を囲い込み、その後の替え刃を高額にすることで利益が上がるようにしよう」と考えたビジネスモデル。
その後、「電動歯ブラシと替えヘッド」(ブラウン)や、「家庭用ゲーム機とゲームソフト」(任天堂)、あるいは「インクジェットプリンターとインクカートリッジ」(キヤノン)など、替え刃モデルによって成功を収めた事例は、枚挙にいとまがありません。
最近では、コーヒーマシン本体を無料レンタルで借りて、使ったカプセル(コーヒー等)の分だけ費用を支払う「ネスカフェ アンバサダー」(ネスレ日本)も、人気が高いですよね。
美容業界から誕生した2019年版替え刃モデル
今年7月にサービスの本格展開を開始した、IoT(モノのインターネット化)スキンケアブランド「Optune(オプチューン)」(資生堂ジャパン)も、ビジネスとしては替え刃モデルの一種と言えるでしょう。専用ページで会員登録し、定額プラン(月額1万円(税別))に申し込むと、後日、選ばれた5本のスキンケアカートリッジとともに、洗顔後のスキンケア(保湿液)を提供する専用マシン(レンタル)が届きます。
ただし、昔ながらの替え刃モデルとの決定的な違いは、「そのときの自分に適した、自分にピッタリのスキンケア」ができること。それを可能にしたのが、IoTのテクノロジーと、「サブスクリプション(サブスク)」と呼ばれるサービス形態です。
サブスクについては、以前も「エアクローゼット」の回(「忙しい人ほど“借り放題”の虜になる理由」)にお話ししましたよね。モノやサービスを利用する際に、その都度料金を支払うのではなく、一定期間契約し続けること。「定額制」とも呼ばれ、「利用すればするほど、安くなる」と捉える方もいますが……、実はサブスクの最大のメリットは、そこではありません。
サブスクの意外で大きなメリット
近年は、ビッグデータを活用できる時代。膨大なデータを蓄積・駆使することで、ユーザー個々人に合った最適な商品やサービスを「リコメンド(お薦め)」することも可能になりました。つまり、1つの店や企業の商品、サービスを長く(あるいは何度も)使えば使うほど、パーソナライズされたデータが蓄積され、提供者側の企業や店は、ユーザーの好みや性質がよりリアルに分かってくる。
サブスクのメリットも、基本的には同じです。
私はよく「恋愛」に例えます。たとえば初めてのデートの際。彼氏はあなたがどんな嗜好なのか、映画館が好きなのか、アウトドアデートがしたいのかさえ、たぶん明確には分かりませんよね。
でも長く付き合えば、「彼女はこういう店が嫌いなのか」や、「この言葉は“地雷(NGワード)”なのか」まで、よく分かってくる。
その後の彼氏は、あなた自身が認識していないことまで、「ひょっとして、こういうのが好きなのでは?」と、気づいてくれるかもしれません。そうなれば、あなたはきっと「さすが、私のことを分かってくれる」や、「この人とずっと一緒にいたい」と思うはずです。
肌状態と気候などから毎回配合を調整
話を「オプチューン」に戻しましょう。オプチューンでレンタルできる専用マシンは、IoT技術を備えていて、様々なデータと連動する仕組み。
連動するデータは、ユーザーがスマートフォン(iPhone)にダウンロードした専用アプリを通じて、マシンへと送られます。そこに含まれるのは、ユーザー一人ひとりの「肌測定データ」や「睡眠データ」、そして気温・湿度などの「環境データ」など。
こうした膨大なデータと連動するからこそ、専用マシンは、そのときどきの気候やユーザー一人ひとりの状況に応じたスキンケア(保湿液)の配合(抽出パターンと抽出割合)を判断し、提供することができるのです。
「令和時代の女性は、明らかに忙しい。とくにお子さんがいらっしゃる方々は、規則的な生活を送りたくても難しいことが多いでしょう」と、資生堂ジャパン・次世代事業開発部の近藤美鈴さん。
そこで同社では、睡眠アプリを使った実証実験などで、女性たちの睡眠状況を調べてみたそうです。
アプリで自分のコンディションが一目瞭然
「すると週5日以上、規則的な睡眠を取れている人は、無自覚のうちに何度も目覚めるという、「無自覚の覚醒(浅い眠り)」が少ない傾向にありました」と近藤さん。逆に、何らかの事情で不規則な睡眠が多い女性は、無自覚の覚醒が約2倍も起こっていたそうです。
そこで、オプチューンのアプリにも睡眠測定機能を取り入れ、「無自覚の覚醒に気づいてもらえるようにした」とのこと。
資生堂が以前行なった調査でも、95%の女性が「肌の変化を毎日実感している」と回答したそうですが、私も含めて「ではなぜ、毎日肌の状況が違うのか?」を突き詰めて考える機会は少ないでしょう。おそらく、「季節や気候、生理の前後(ホルモンバランスの乱れ)、あるいは睡眠時間が、お肌と関係しているのかな?」と、ただ漠然と考えているぐらい。
だからこそ、オプチューンを通じて、一人ひとりの肌状態に合ったスキンケア(保湿液)を提供するとともに、細やかなメッセージ、すなわち「あなたはいま生理前だから、肌が揺らぎやすい時期ですよ」や、「睡眠のリズムが乱れてあまり眠れていないようなので、こういう効果があるスキンケア(保湿液)を多めに配合しています」などを(アプリ上から)伝えるようにしているそうです。
スマホの肌スキャンで毛穴の状態も測定
私も取材に伺った際、弊社のスタッフとともに、実際に使ってみました。
まずはオプチューンの専用アプリを立ち上げ、「肌スキャン機能」のボタンを押してスマホのカメラで、頬の写真を撮る。この段階で、肌のキメや水分量、皮脂や毛穴の状態まで、細かく測定できます。
これと並行して、アプリ上には気温や湿度などの「環境データ」が、提携する外部企業を通じて毎日入ってきます。そこには季節に応じて、紫外線や花粉情報、さらにはPM2.5などのデータも含まれる、とのこと。
「そのほか、生理の周期や睡眠時間、さらにその日の“気分”などをユーザーさん自身に入力していただくことで、お一人おひとりに適したスキンケア(保湿液)の配合が決まります」と、近藤さん。
保湿液の配合パターンは8万種類以上
集まったデータは一旦、クラウド上にアップされますが……、クラウドが分析するスキンケア(保湿液)の配合パターンは、なんと約8万種にも及ぶ、とのこと。そこから最適なパターンが編み出され、「今日はスキンケアカートリッジのCとEを、それぞれこれぐらいの量で提供せよ」との指令が、マシンに送られるそうです。
そして、マシンの下部に手を差し入れると……、あら不思議! スキンケア(保湿液)が自動的に調合されて出てきます。あとはそれを、手のひらで混ぜ合わせて肌につけるだけ。
このステップを2回行えば、お手入れは終了。朝晩これを繰り返すだけで、自分専用に日々パーソナライズされたお肌のケアが可能になるシステムです。
まさに、多忙な現代女性にとってはうれしい限り。近藤さんも、「肌のお手入れのプロセスが短縮されるという意味では、『時短』につながるでしょう」と言います。忙しくて、スキンケアアイテムを買いに行く時間さえない女性たちにも、残量に応じて自分に適したカートリッジが自宅に届くシステムは、それだけで魅力が大きいはずです。
既存商品とカニバらないのか
一方で、私たちマーケッターは、よく「カニバる」という言葉を使います。
「共食い」を表す「カニバリゼーション」から派生した言葉で、複数の自社製品やブランド同士が競合関係に陥り、市場シェアを奪い合ってしまうこと。
一般には、Bという新たな商品やサービスを生み出した際、「確かにBは売れるかもしれないけれど、結果的には既存のAの顧客を奪って、共食い状態になるのでは?」と社内から懸念の声が上がる事態が、少なからず起こり得ます。
資生堂の場合も、百貨店等の店内に設けられた既存の美容カウンターには、毎日多くの顧客がやって来る。極端に言えば、もしオプチューンが今後、何十万人、何百万人というユーザーを獲得すれば、店頭の顧客はどんどん奪われてしまうかもしれません。
「意識高い系」と「そうでない系」の棲み分け
ですが同社は、既にその棲み分けをしっかり考えています。
近藤さんによると、「長年、弊社の美容カウンターに通い、美容液やクリームはこうやってつけましょう、などの美容法を丁寧に守ってきてくださったお客さまは、オプチューンのユーザーとはほとんどバッティングしません」と言います。
というのも、オプチューンのメリットの一つは、先に挙げた「時短」です。
すなわち、マシンに2回手をかざすだけで、その日の自分の肌状態に合ったスキンケア(保湿液)が自動的に出てくる。このことは、毎日慌ただしく時間に追われ、しかも肌の手入れに関して「意識高い系」とは言えない私のような女性にとって、大きな魅力です。
半面、「マシンに手をかざすだけ」ということは、自分であれこれ新商品を試したり、じっくりお手入れを楽しんだりしたい女性にとっては、物足りないかもしれません。
社内の反対意見を説得し、新規顧客を捕まえるには
オプチューンがサービスの本格展開を開始する前、ベータ版をスタートさせた際も、資生堂の既存顧客の一部には「やはり私はいままで通り、じっくりスキンケアを楽しみたいから」と、元の愛用ブランドに戻った女性もいた、と近藤さん。
逆に、オプチューンを通じて同社の新規顧客になったユーザーは、継続意向が強いそうで、「予想どおり、しっかり顧客の棲み分けができたと実感しています」といいます。
一般に、Bという新たな商品やサービスが世に出る際、企業によっては既存のAとの「カニバリズム」を危惧して、社内で反対意見が出ることも少なくない。私もそうした現場を、数多く目にしてきました。
ですが資生堂のように、既存のAとBの顧客(またはターゲット)の違いを、社内外にしっかり伝えることができれば、「カニバる」リスクを抑えられるうえ、新規の顧客を掴まえることも可能になる。
時代は変わり、この先も技術や人は進化し続けます。世の中の変化や進化をしっかり受け止め、様々なタイプの顧客の悩みに、いかに寄り添うことができるか。その姿勢こそが、令和を生きる企業の明暗を分けるのではないでしょうか。