入社2年目に大きく変化した未来
丸の内の高層ビル内にあるオフィスは、皇居の森や東京駅を望む抜群のロケーション。社長や役員も固定席がなく、社員はさまざまなタイプの席で自由に働いている。不動産サービス大手のCBREがこの新オフィスへ移転したのは2014年。移転を機に中長期的な成長に向けた目標が掲げられるなか、人事の採用責任者に抜擢されたのがソニア・メイヤーさんだ。
中国・上海で夫と人材紹介サービスのビジネスを手がけてきたソニアさんは、ふたごの子育ても両立するワーキングマザーである。そんな日々から一転、新たなチャレンジに挑む。当時のCBRE日本法人の社長ベン・ダンカンとの出会いが始まりだった。
「私はしばらく日本を離れていて、この国のマーケットをほとんど知らなかったけれど、社長は型にとらわれず、新しいアイデアを持ち込める人材を探しているのだと。自分の未来は自分で切り拓け、という彼の言葉にも共感したんです」
流暢に日本語を話すメイヤーさんは母親が日本人で東京育ち。実は学生時代から描いていた夢は、ビジネスとは無縁の世界だった。
15歳からアメリカの高校、大学で学び、帰国後は一橋大学法学部の修士課程へ。発展途上国の貧困問題を研究し、いずれは国連で働きたいと願っていた。それにはビジネスも勉強しなければと考え、ひとまずマネジメントコンサルティング会社へ入社。だが、そこで自分の未来も大きく変わることになった。
「入社2年目で今の主人と出会いました。彼が仕事で中国へ行くことになったので一緒に付いていこうと決め、自分が目指す道をきっぱりあきらめたんです。あの頃はまだ若かったし、そこまで真剣にキャリアパスも考えていなかった。上海へ行ったのも軽い気持ちでした」
キャリアの転機が「恋愛」とはちょっと意外ではあるが、朗らかに語るソニアさんにとっては何の迷いもない選択だったようだ。
夫のガン、不妊治療…精神的に大変だった20代おわり
アメリカ人の彼が仲間たちと始めたビジネスを中国でも展開することになり、中国語の堪能な彼は2004年に上海へ。二人は結婚し、仕事上でもパートナーとしてコンサルタント業務に携わる。「エグゼクティブサーチ」とは外資系企業が管理職を採用するための人材紹介サービスで、当時、中国のマーケットではまだ浸透しておらず、ニーズは大きかった。
2年後には夫婦で独立し、新たなエグゼクティブサーチ会社をスタート。北京、香港、シンガポールにもオフィスをかまえ、ビジネスを広げていく。ところが、その渦中で、思わぬ試練が待ちうけていた。
起業して一年も経たないうちに、夫が甲状腺のガンと告知され、急きょ手術を受けることになったのだ。幸い術後は順調に回復し、二人はそろそろ子どもが欲しいと考えるが、なかなか妊娠に至らない。実は夫の抗がん剤治療が影響していることがわかり、今度は不妊治療に進まざるをえなかった。
「20代後半で異国の地へ行き、ビジネスがやっと軌道に乗りかけたところで、夫がガンになってしまった。子どもができないことも辛く、精神的にも大変なときでしたね」と、ソニアさんは当時を振り返る。
金融危機で見つめ直したキャリアプラン
不妊治療でようやく授かったのは男児と女児のふたご。育児と仕事の両立は厳しかったが、オフィスにも連れていき、社員に交代で子供をあやしてもらっている合間に仕事をするような生活が続く。ファミリービジネスの温かな職場に支えられていたが、そんな状況も数年後に一変してしまう。
「2008年のリーマンショックの影響で、お客さまからの依頼が一気に減ったのです。普通の経営陣であればダウンサイズしたり、支店オフィスをクローズしたりして、人を減らしていたと思いますが、私たちは皆に家族のように助けられてきたので決断できなかった。収入が減っていく中でも3年ほどは社員を抱えていました。良かれと思っての継続でしたが、もっと早いタイミングで解雇してあげた方が、彼らはより良い条件を提示されながら、いい仕事の機会を探すことができたかもしれない。今となれば、あのとき冷静な経営判断ができなかったことをすごく後悔していますね」
ソニアさんも自分のキャリアを見つめ直すことになった。子どもたちが幼稚園に入り、フルタイムで働くようになると、ビジネスの基礎をしっかり学びたいという思いがつのる。外資系企業への転職を考え始めたときに、CBREとの出会いがあった。夫は上海と行き来してビジネスを続けることになり、家族と日本へ帰国。2014年、38歳のときだった。
社内承認のプロセスの複雑さに目が点に…
CBREグループはロサンゼルスを本拠として世界最大の事業用不動産サービスを提供する会社。日本法人では、不動産賃貸・売買仲介をはじめ18の幅広い事業サービスを展開している。ソニアさんは採用責任者として、中途・新卒・障碍者雇用を統括してきた。
「うちはサービス会社で社員の営業力で成り立っているビジネスなので、一人一人が会社の資産であり、個人のレベルを上げていかないとお客さまから認めてもらえない。そのための教育制度や社内でのモビリティには力を入れています。日本でも終身雇用は崩れ、もはやキャリアパスもクリアーに見えなくなっている。それだけに、自らの力で未来を切り開くことができる社風を大事にしています」
いかに会社にマッチした人材を探してくるか。そのためには社内外のネットワークを拡げ、どんな人材が活躍しているか、たえずアンテナを張ることを心がけているという。
さらに人事の決定には会社全体の意向が関わってくる。かつて働いていたファミリービジネスでのやり方は通用せず、最初はとまどうばかりだった、とソニアさんは苦笑する。
「お恥ずかしい話ですが、いちばんびっくりしたのは関係部署の承認者が何人もいて、その度に議事に残すなどプロセスが複雑なこと。ちゃんとした会社はこうなのかと目が点になりました(笑)。1つのことを決めるにも、どの程度の情報をどのタイミングでシェアすればいいのか、まずは誰を押さえておけばいいのかというような知恵も欠かせない。いわば“根回し”というのでしょうか。会社が大きくなるほどステークホルダーも増えていきますし、グローバルカンパニーということもあり、日本だけで完結しないことも多くあります」
“働く意義”を伝えることで、部下のモチベーションを保つ
CBREは香港やシンガポール、オーストラリアなどのアジア・パシフィック地域でも広く知られ、宣伝しなくとも応募者が多く集まる。だが、日本ではCBREブランドとしての知名度はまだ低いため、人材紹介エージェントに頼るところがある。そのためアジア・パシフィック地域を担当する上司には、「日本は何でこんなに採用費をかけているのか」と言われがちだ。コストを減らす努力はしても日本のマーケットでは難しいことを伝えるが、なかなか納得してもらえないと、つい感情的に反論してしまうこともあった。
「そこで学んだのは、自分では伝えているつもりでも、相手がどれだけ理解しているかはわからないということ。今は質問されるより前に、数字で示しながら報告できるよう、苦手なデータ分析もがんばっています」
入社当時は700名ほどの規模だったが、ビジネスの成長とともに社員も急激に増えている。チーム4人を率いるソニアさんにとって、その1人が辞めたときの痛手は大きかった。人事の業務がますます増えるなか、いかに部下のモチベーションを保つかが課題になる。採用の仕事は煩雑な業務も多く、売り上げのように数字で成果が見えるわけでもないからだ。
「けれど、それが会社の戦略にどうつながっているのかをわかってもらうことが大切。私に入る情報やグローバルレベルでアナウンスがあったものはなるべく部下に伝えるようにしています。会社でどんなことが起きているかわかると、仕事に活かせるし、彼らがやっていることの意義も見えると思うので」
目指すのは、子育てや介護を抱える人たちが活躍できる環境
働きやすい環境づくりにも積極的に取り組んでいる。フリーアドレス型を発展させたオフィス空間には、子育て中の女性のための搾乳室やシャワー室まで完備。フレックスタイム制度や在宅のリモートワークも活用している。
「私も学校の行事があるときは行ってあげたいし、たまに昼休みに学校へ寄って、子どもたちに本を読んであげることもあります。子育てや介護を抱える人たちにも時間を有効に使いながら、もっと活躍できるプラットフォ―ムを提供していきたいですね」
そのためには「パートナー選びも大切ですよ」とソニアさんはほほ笑む。家庭では夫と何でも話し、家事や子育ても協力し合う。かつては結婚を優先するため自分の目指す道も断念したけれど、子どもと過ごす時間を楽しめたことで後悔はなかった。その後、日本での転職を決めたときも、「がんばってみたら!」と後押ししてくれたのが夫だった。
「うちの夫はカリフォルニア人だから、すごくポジティブなんです(笑)。若い頃からいつも言っていたのは、仕事も結婚生活もチョイスだと。つまり、自分の意思ですべて選べるということです。自分のキャリアも、何か仕事をしなければいけないからというのではなく、自分が主体的に選択することが大切。私も最近はそう考えるようになりましたね」
若い頃はとかく自分はこんな風になりたいとビジョンを持つけれど、そこへ行く道筋はひとつではない。いろいろ寄り道をし、様々な経験をすることで、人間として、自分のキャリアにおいても、強みを身につけられる。だからこそ「あなたのチョイスを大切にしてほしい」と、寄り道も楽しんできたソニアさんならではの前向きなメッセージだ。