仲瀬さんとパソナの出合いは学生時代のバイトにまでさかのぼる。パソナの女性社員の働く姿に「あんなふうにスーツを着て仕事ができたらいいな」と憧れた。二十数年たった今、周りから憧れを抱かれる女性役員を目指す。

最初の配属先を聞いて泣き崩れる

パソナグループ 取締役常務執行役員 財務経理本部長 仲瀬裕子●1992年、テンポラリーセンター入社。営業、広報を担当し、2002年広報企画部長。05年執行役員、09年常務執行役員を歴任し、10年取締役就任。

仲瀬さんは京都生まれの京都育ち。採用面接で担当者から「大阪での仕事です。家から通えますね」と言われたのに、実際には東京配属に。その理由は、「研修に興味があります」と伝えたから。「仲瀬さんのやりたい研修の仕事は東京にしかありませんよ」と言われ、「じゃあ、東京に行きます」と関西を飛び出した。

研修の仕事をするつもりで東京に来たのに、配属は渋谷支店の外勤営業。スタッフの派遣先を開拓する仕事だ。外勤と聞いて仲瀬さんはその場で泣き崩れた。翌日、人事担当の役員から呼び出しがかかり、「仲瀬さん、仲瀬さんがやりたい研修も大事だけど、基本は営業だよ。まずは営業を頑張ってみなさい」と諭された。

しぶしぶ営業についた。最初は苦労した。まず土地勘がない。

「虎ノ門を回ると言われても、どうしても『虎の穴』にしか聞こえませんでした(笑)」

言葉の壁もあった。「これは、こうしはりますよね。言うてくれはったら、こうできるんですけどぉ」とゆっくりとした京都弁だから相手とテンポが合わない。

さらに悪いことに、バブルが崩壊し、待っていても依頼が来た先輩たちと違って、回れども回れどもオーダーが取れず、先輩からは「もっと訪問しろ」と怒られる。

それでも渋谷支店は同期の女性が多く、同じ外勤営業にも3、4人いる環境があったから、お互いに励まし合って営業ができた。そのうちクライアントに「こんなふうに派遣を活用してください」と提案する余裕も生まれてきた。

その頃の一番心に残っているクライアントは、ある専門学校の担当者。相手のオーダーに対してうまくマッチングできず、取引に発展しないことが続いていた。あるとき、その担当者から「僕、今度結婚するんで、案内のあて名書きしてくれる人をお願いできますか」と個人的に仕事を出してくれた。その気持ちがうれしかった。

営業で丸2年がたった頃、広報への異動を告げられる。営業が楽しくなってきたところだった。仲間もいる。研修をやりたいとは言ったが、広報とは言わなかった。

「支店長に『断っちゃダメですか』と言って、叱られてしまいました」。またもしぶしぶ広報へ。対外的な報道対応と、社内報などの社内広報の両方を受け持つことに。

筆記具。IRを担当するようになってから、投資家やアナリストからどのような質問が来ても対応できるように、資料をつくり、ハイライトをしたり、補足情報を細かく加えて頭に入れる。

知らない世界なので一からの勉強だったが、「先輩の姿を見ていると結局、お客さまに商品を売るか、メディアの方に会社を売り込むかの違いはあっても、基本的には営業の仕事なんだなと思いました」。案外すんなりと新しい仕事になじめた。だが、異動して間もなく、社内報の仕事で忘れられないミスをする。

社内報は社員だけでなく派遣スタッフにも配っていて、仲瀬さんは派遣スタッフ向けのプレゼントコーナーを担当していた。当時、グループ会社が化粧品などの並行輸入品を扱っていた。それが派遣スタッフへのプレゼントとなる。グループ会社の担当者から商品の写真や問い合わせ先などのデータをもらって、仲瀬さんがまとめる。いつものように刷り上がりを担当者のところに持って行ったら応募先のFAX番号が違うことが判明。元データが間違っていたのだ。あわてて正誤表を印刷し、それをカットして2万部に差し込む作業をたった1人で夜中までつづけた。

「私の間違いじゃないのにとすごく悔しかったんです。でも、よく考えてみると一回、FAXを送ってみればよかった」

最終責任の重さをかみしめた。

任せる、頼るマネジメントスタイルに

そんなつまずきはあれども同期のなかでは昇進が早く、入社11年目の2002年に広報企画部長に就く。このまま広報かと思ったら3年後、また異動の声が。今度は新設されるIR室の室長(執行役員)だ。

長年、広報を担当しマスコミとの関係づくりもできていたので、「エッ私?」という感じだったという。投資家やアナリストの質問に答えられるように、勉強しなければいけないことがたくさんあった。

(上)広報でさまざまな経験を積む(下)IR室を立ち上げ苦労が続く

「決算説明会の前は朝の4時、5時までパワーポイントで資料をつくっていて、このまま私が倒れても誰も気づかないんだろうなって、ちょっと切なくなりました(笑)」

初体験のIRもしばらくたつと、投資家やアナリストは資料の数字の詳細よりも、派遣法や業界の流れを知りたがっていることに気づいた。それは広報をやってきた仲瀬さんの得意分野。自信を持ってIRの仕事に向き合えた。

ただ、広報の十数年とIR室の4年のキャリアに対する自信がマネジメントを狭くしてしまった。

「自分で悩みながら一生懸命仕事をしてきたので、部下がその場しのぎでウソをつくと徹底的に追い詰めました。それで泣かせてしまった男性社員も(笑)。とくにIR室は自分で一からつくりあげたという自負があったので、そのときの部下には一番厳しく指導したと思います」

仲瀬さんは、自分の経験だけでマネジメントスタイルをつくってしまうのは「女性にありがち」と言う。自分もそのわなにはまった。そんな仲瀬さんにとって、次の異動が転機となった。10年、IRと財務経理の両方を担当していたCFOの後任になったときだ。仲瀬さんには経理の経験は皆無。一方で部下は精通している。

「それまではできなかった、任せる、頼る、お願いするができるようになりました」

一皮むけたマネジメントで経営の一翼を担う。

■Q&A

 ■好きなことば 
良い顔の良い仲間(誰と仕事するかが大事)

 ■趣味 
ショッピング、映画・ドラマ観賞

 ■ストレス発散 
みんなと飲みに行くこと

 ■愛読書 
ハリー・ポッターシリーズ