男が主体の営業職を入社時から担当。「やっぱり女はダメだ」と言われず、得意先や量販店の責任者に認められるようにがむしゃらに頑張ってきた鈴木さん。生え抜きの女性初の支店長として、2つのエリアを統括する。

それはいまから3年前のことだった。

群馬県にあるアサヒビール関東信越統括本部の営業担当部長として働いていた鈴木秀子さんは、日中に一本の電話を自分の机で受けた。電話の相手は関東信越統括本部の本部長で、彼女が出るなりこう告げた。

「鈴木、転勤やで。場所は奈良や」

この言葉を聞いて、彼女はいきなりの関西への転勤話に戸惑い、思わず「え?」と聞き返したという。続けて本部長は「営業の支店長や。女で初めての支店長やで。ええやろ?」と言い、電話を切った。それが、同社で初めて営業部門の女性支店長が誕生した瞬間だった。

アサヒビール 大阪統括支社大阪奈良支店 支店長 鈴木秀子さん

「女性として初というのは責任重大だと感じました。私が次につなげていかなければならないんだ、ってすぐに思いましたから」

しかし、同時に営業職で所属長になることは、入社以来の目標でもあった。当時の奈良支店は支店長を含めて5人ほどの小さな支店だが、一国一城の主であることに変わりはない。特に奈良支店は全国でも珍しく、1支店で県の全域を担当する。電話を切ってしばらくして、彼女は自身のキャリアにおいて一つの目標を達成したのだ、と喜びをかみしめるように思ったのだった。

鈴木さんは1968年、東京都に生まれた。入社は91年。男女雇用機会均等法が施行され、女性総合職の門戸が広く開かれて数年後だった。

当時、同社は4年前に「アサヒスーパードライ」を発売し、生産の増加のために新たな工場を新設したばかりだった。商品の生産量に対して営業職の人員が足りず、男女各100人ずつという大規模な採用を行った。

「だから、石を投げれば当たりますからね、平成3年入社に」と彼女は笑う。

「学生時代から男女の区別なく、総合職として働きたいと考えていました。そのなかで食品業界なら口に入れるものだし、女性の意見も役に立ちやすいのではないか、と思って。それで就職先を探していたとき、総合職として女性を最もたくさん雇おうとしていたのがアサヒビールだったわけです」

男性主体の営業職で必死に走り続ける日々

人数が多いということは、出世競争も熾烈(しれつ)になるということだ。入社時に埼玉支店の営業部に配属されて以来、とにかく必死に働き続けてきた、という思いが彼女にはある。

忙しい中でもコミュニケーションを重視。部下たちの担当先の様子はこまめに話を聞くようにしている。

「女性の総合職を多く採用した年とはいえ、営業部が男性社会であることに変わりはありません。女性の営業は少し頑張っただけでも評価される一方で、失敗すると『やっぱり女はダメだ』と言われる時代。そのなかで、とにかく走り続けた新人の日々でした」

今も昔も営業部員の基本は外回りだ。朝、出社後に朝礼を行うと、社用車に乗って得意先を回る。酒販店や卸問屋を一軒一軒訪ねるうち、家族経営の得意先と食事をしたり、夜に酒を一緒に飲んだりするようになった。

「お得意先のご主人や奥さまには、仕事を一から教えてもらいました。当時は卸の営業さんや酒販店の社長さんが、メーカーの新人を育てていく雰囲気があって、それこそ、挨拶の仕方から商品の売り込み方まで、一日中彼らに同行させてもらうことで仕事を覚えていったんです。時にはご用聞きみたいなこともしながら、商品を売り込むのが当たり前。今の若い子たちにはなかなか伝わらない感覚ですが(笑)」

営業の仕事をしていると、夜も得意先や同僚と飲む機会が多い。入社から7年間を埼玉の営業所で過ごした彼女は、いつしか朝5時に起きて風呂に浸かり、気分を切り替えてから出社するのが日課になった。その生活のスタイルは、支店長となった今でも変わらないという。

(上)全国で80人の支店長のうち、女性は3人。今後の増加も期待される。(下)得意先との商談に見せながら使えるiPadは大活躍。名刺入れや手帳も常に持ち歩く。

そうして営業部員としての経験を積んだ鈴木さんが、最初の転機を迎えたのは98年。卸問屋や酒販店に対する業務用の営業部から、スーパーマーケットなど量販店向けの営業を行う首都圏本部広域流通部へ異動したのである。

量販店ではこれまでのように「自分で売って商品を取ってもらう」という手法は、通用しない。担当者ときちんと交渉し、仕事を進めていかなければならない。全く異なる営業スタイルを再び一から身に付ける必要があった。

幸運だったのは、90年代後半からの数年間は家庭への瓶ビール配達から店舗での缶ビール購入にシフトし、量販店での売り上げが急速に伸びていく時期だったことだ。

「頑張れば頑張っただけ数字に跳ね返ってくる。営業にとって、面白くないわけがありませんよね。最初は自分の積み上げた7年間の経験を、ここで全て捨てるのかと不安があったのも確かです。でも、結果的に業務用・量販店という双方の営業を経験したことで、私はこの仕事が自分の天職だという思いを強くしていったと感じています」

後輩に経験を伝えたい上に立つことを意識する

そんななか、彼女は自らのキャリアの将来を想像する際、営業職の上長になりたいという思いを抱き始めた。例えば、初めて課長職になった2006年。首都圏広域支社で生活協同組合やスーパー、ディスカウントストアの企画担当をしていた当時、彼女はふと次のように思ったと言う。

「自分は営業しかやってこなかったし、この仕事が何よりも好き。そんな自分が会社に貢献し続けられるとすれば、それは営業で培った経験を後輩に伝えることしかない」

その思いを抱えながら、彼女はグループ会社のアサヒ フィールド マーケティングへの出向を経て、関東信越統括本部の営業担当部長になった。年上の部下が多い部署だったため、人間関係に気を使いながらチームをまとめ上げる経験を積んだことも、奈良支店長へ抜てきされた後の仕事に大いに活かされることになったという。

(左上から時計回りに)朝は早めに出社してメールなどをチェック。/外回りも多いのでノートPCを愛用。/奈良と大阪を回るため、車で営業回り。/観葉植物が帰宅後の癒やしになっている。

「お互いに助け合い、お互いに理解し合える組織。私を含めてわずか5人ですから、家族のような支店にしようと努力してきました」

県全域を担当する奈良支店長は、様々な行事にアサヒビールの代表として顔を出す立場でもある。ライオンズクラブ、経済同友会、神社仏閣の会合や地元のお祭り……。最近ではどこに行っても顔馴染みになった。

就任から2年が経った2015年、組織改編で奈良支店は奈良と大阪の一部を担当する「大阪奈良支店」へと統合された。支店の人数は5人から10人に増え、支店長としての責任が増した。

「一つの営業所の責任者になると、優秀なプレーヤーが必ずしも優秀なマネジャーではないことがよくわかる。みんなが頑張れる環境を作るには何が必要かを、いつも必死に考えています」

自分のやり方が正しいかどうかはわからない。でも、少なくとも思いだけはきっちり伝えていきたい、と彼女はやはり快活に笑って言うのである。

「もちろんプレッシャーは感じるけれど、一晩寝ればそのプレッシャーもなんのその。一匹狼の営業部員だった頃から、そうやってきましたから」

(上)現在、夫は北海道(同社勤務)、私は大阪に単身赴任のため、月に1度はお互いの住まいを行き来している。(下)夫と会わない週末は、ネイルサロンに行ったり、たまった洗濯や掃除をして、ストレスを発散します。

▼鈴木さんの24時間に密着!

5:00~6:30 起床/入浴・身支度
6:30~7:00 通勤
7:00~8:30 出社・PC作業/上司への報告、実績確認など
8:30~9:00 支店朝礼
9:00~12:00 打ち合わせや事務作業
12:00~13:30 得意先で昼食
13:30~18:00 得意先訪問
18:00~23:00 飲食店視察や企業団体の会合など
23:00~0:30 帰宅
00:30~05:00 就寝

 
鈴木秀子
アサヒビール 大阪統括支社大阪奈良支店 支店長。中央大学経済学部卒業後、1991年にアサヒビール入社。埼玉を始め首都圏の営業を長く担当し、2009年に関連会社アサヒ フィールド マーケティング埼玉支店の支店長に就任。11年に同関東支社長に。13年9月に大阪統括支社奈良支店の支店長、15年4月より現職。