日本人の総労働時間は減少傾向ではあるが、正社員に限定すると残業時間はぐんとあがる。長時間労働が問題となっている日本――なぜ、こんなにも残業時間が多くなってしまうのか?(解説してくれる人:立命館大学教授 筒井淳也さん)
▼「データで読み解く『長時間労働&家事負担』の実態」過去の記事はこちら
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「外部労働市場」のアメリカ、「内部労働市場」の日本
最も根本的な原因は、日本独自の雇用のあり方にあるといえるでしょう。日本と比べてアメリカはリストラが多いといわれますが、この違いは「外部労働市場」「内部労働市場」という専門用語で説明できます。
景気の浮き沈みや、繁閑期によって、会社全体の仕事量は変わります。アメリカ型の外部労働市場では、そのつどリストラや新規採用をして対応しますが、日本型の内部労働市場では、企業内部の労働時間を調整することで対応しています。
仕事量が減ったときは、できるだけリストラを避け、全員の労働時間を抑えるようにする。仕事量が増えたときは、雇用を増やす前に、まずは今いる社員の配置転換(ジョブローテーション)などで対処するのです。
残業を前提に成り立つ日本企業
つまり日本の企業は、いつでも残業できることを前提に成り立っているといえます。雇用を安定させるために、慢性的な長時間労働体制を敷いているのです。
日本の会社員に求められるのは、どんな状況にも対応できる柔軟性です。新卒採用でも、大学の専攻分野などは重視せず、使い勝手のいい人、いろいろできる可能性のある人材を採るのが日本的な採用といえます。
だから、「あなたは転勤できますか」と面接で聞かれて、NOと言えば不採用になるケースも多いのです。理不尽なようですが、日本の法律では転勤の実績がある会社なら、転勤できるかできないかを理由に採用の可否を決められるのです。
「完璧主義」も長時間労働の一因に
欧米では一人一人の仕事内容が限定されていますが、日本では明確に決められていません。
たとえば人事部から営業部に異動するなど、どんな仕事をすることになるかわからないので、専門性よりも幅広い対応力が求められます。ひとつのタスクを複数の人で分担することも多く、「自分の仕事はここまで」と線引きしにくいのです。
また、仕事内容が明確でないために、労働時間も評価の対象になります。残業したほうが上司の覚えがよく、残業した分だけ収入が増えるという環境では、社員はむしろ積極的に残業してしまうのです。
もうひとつ、日本の完璧主義の影響もあります。
日本企業は顧客満足度100%を目指しますが、ヨーロッパでは費用対効果の観点からそれはしません。あえて90%までしか対応しない方針を作り、残り10%をクレーマーとみなして切り捨てるのです。その10%のために日本人は多くの労働時間を割いているともいえます。
なぜ、日本人は有給休暇を取らないのか
前項で述べた通り、日本企業では、慢性的な長時間労働体制が敷かれているので、有給休暇の取得率も低くなります。
下記の「有給を取らない理由」を見てください。
・業務量が多く休んでいる余裕がないから(45.1%)
・職場の人に迷惑がかかるから(41.9%)
・休みの間、代替してくれる人がいないから(32.8%)
・病気や急用のために残しておいて結局、取りきれなかったから(25.9%)
・休養やレジャー等のために取得するのは、罪悪感があるから(18.1%)
・上司が良い顔をしないから(9.3%)
・人事評価が悪くなる(出世できなくなる)から(4.8%)
ここでは、4割以上の人が「業務量が多く休んでいる余裕がないから」と答えています。繁忙期にも人員を増やさず、今いる社員が長時間労働をすることで乗り切っている現実が透けて見えます。
同じく4割以上が挙げている「職場の人に迷惑がかかるから」は、職務内容が限定されていないためと考えられます。
欧米では、一人一人に職務記述書が渡され、そこで示された仕事をきちんとこなしている限り、基本的に文句は言われません。
たとえば、勤務時間中に私用で30分ほど職場を抜けたり、子どもが熱を出したときに仕事を切り上げて早退することも可能です。日本のように、上司や同僚など周囲の顔色をうかがう必要はありません。
有給を取らないほうが出世しやすい?
また、「病気や急用のために残しておいて結局、取りきれなかったから」とありますが、有給休暇を万が一のときの備えと考えるのは、日本ならではの感覚といえます。
仕事内容が決まっていて、ある程度自分のペースで柔軟に働けるヨーロッパの国々では、病気や急用のときは自分の裁量の範囲で休みを取ります。バカンスの伝統が根付いている影響もあるでしょうが、彼らは有給休暇を、休養やレジャーのためのものと考えているのです。
さらに、「上司が良い顔をしないから」「人事評価が悪くなる(出世できなくなる)から」という理由は、長時間労働が評価に直結していることを示しています。
実際に、有給休暇の取得率が低い人ほど昇進が早いという調査結果もあります。残業と同じように、有給休暇を取らないほうが、個々の社員にとってもメリットが大きいという日本の実態が映し出されています。
出世適齢期ほど長時間労働しがち
業界別に見てみると、有給を取らずに長時間働く人が多いのは、建設、運輸、製造、情報通信といった業界。男性の多い職場ほど、その傾向は顕著になります。
所属・年齢でいうと、正社員の30代から40代の男性、ちょうど中間管理職層にあたる人たちの労働時間が、極端に長くなっています。彼らは、年代的にも出世するかどうかの分岐点にあるため、「ここが力の見せどころ」とばかりに長時間労働で残業し、有給もできるだけ取らない。それを競っている部分もあるのでしょう。
なぜ、長時間労働を改善できないのか
ヨーロッパでは、労働時間の上限が法的に厳しく規制されています。
また、欧米では転職市場が整っており、「同一労働・同一賃金」が徹底されています。そのため、たとえリストラされても転職しやすく、それによって給与や待遇が大きく変わることもありません。
同一労働・同一賃金は、生産性の悪い企業でもそれなりの賃金を支払うことを意味しているため、生産性の悪い企業が倒産してしまうこともありえます。しかし、その場合でも、ヨーロッパでは国が失業者を手厚くサポートしています。
たとえばデンマークでは、失業すればすぐに政府の担当職員が、「じゃあ、これから次の仕事のことを一緒に考えましょう」というふうに相談に乗ってくれるのです。
安定のために残業を受け入れるしかない
これに対して、日本の労働者の立場は極めて弱いといえます。たとえ長時間労働にNOを突きつけたいとしても、会社の方針に逆らいにくい空気があります。
日本では転職をすると賃金が下がる傾向があるので、自分から会社を去るのも勇気がいるでしょう。
また、同一労働・同一賃金が浸透していないので、パートタイム勤務者の時給がかなり低く抑えられています。
つまり、日本で安定した雇用と高い給与を手に入れるには、正社員という立場になって、「いつでも残業できる」体制に従うしかないのが現状です。
労働時間の短縮でサービスの質は低下
日本の長時間労働を改善するためには、まず、正社員と非正規社員の賃金格差を是正していくことが必要となるでしょう。
そのうえで、パートタイム勤務者には、もう少し長い時間働いてもらい、フルタイム勤務の正社員がもっと労働時間を短縮する方向を目指すべきです。
ただし、長時間労働を解消することで、現在のような質の高いサービスが受けられなくなる場面も増えてくるでしょう。
私がカナダに滞在していたとき、エスカレーターがおよそ5つに1つは故障中でした。日本では考えられませんが、現地の人は気にも留めていませんでした。
「顧客満足度100%」を目指すと、仕事量は際限なく増えていきます。
労働時間を短縮するには、サービスの向上をどこかで割り切る必要がありますが、では、消費者として多少の不便を受け入れられるのかという課題が残ります。
すべてを満たす方法はないので、何を優先し、何をあきらめるのか、さらに議論を深めて社会的な合意を固めていくことが必要です。
1970年福岡県生まれ。93年一橋大学社会学部卒業、99年同大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得満期退学。主な研究分野は家族社会学、ワーク・ライフ・バランス、計量社会学など。