口福だけではないスイーツの要素には、選ぶ瞬間、もらった瞬間の“幸せな気分”が含まれる。一流パティシエが「店の売り上げを左右する」と言う、お菓子を売るプロ販売員、ヴァンドゥーズの仕事とは?

パティシエとともにお菓子を届ける仕事

「パティシエ イナムラショウゾウ」はスイーツ好き垂涎(すいぜん)のパティスリーだ。東京の下町、谷中霊園に隣接した緑あふれる静かな住宅街にたたずむ瀟洒(しょうしゃ)な店内は決して広くはなく、駅からも少し遠い。だが平日の昼間でもお客さまが絶えないのは、オーナーシェフの稲村省三さんが作る宝石のようなお菓子と、「ヴァンドゥーズ」と呼ばれる販売員の接客に感動して常連客となる人も多いからだ。

「ヴァンドゥーズの重要性を広め、素晴らしいヴァンドゥーズを育成したい」という稲村シェフが音頭をとり、全日本ヴァンドゥーズ協会を立ち上げた。そんな稲村さんの右腕となり、店長兼シェフ・ヴァンドゥーズとしてお店を支えるのが岩田知子さんだ。

【写真上】パティシエ イナムラショウゾウ シェフ・ヴァンドゥーズ 岩田知子さん【写真下】稲村シェフが丹精を込めて作る、ツヤツヤと輝くプチガトー。お客さまに確認をとるさい、ズラリとお盆に載せてお見せすることも。「平気な顔でお持ちしますが、これだけ載せると、実はかなり重い(笑)。バランスをとるのが結構難しいんですよ」http://www.inamura.jp/index.html

ヴァンドゥーズとはフランス語で「(女性の)販売員」を意味する。だから、洋菓子店=パティスリーの販売員を正確に表現すると「ヴァンドゥーズ・アン・パティスリー」となるそうだが、混乱を避けるため、シンプルにヴァンドゥーズと名乗る。シェフ・ヴァンドゥーズは販売責任者といったところだろうか。

「仕事はもちろん、お菓子を売ること。でも、ほかの販売業がそうであるように、ただ単にお菓子を売ればいいわけではありません。パティシエが精魂込めて作ったお菓子を、実際にお客さまに手渡すのはヴァンドゥーズです。とりわけ、プチガトーのような美しく美味しいお菓子はお客さまの幸福な時間に寄り添うものでありたい。ぞんざいな態度で売ったり、持ち帰ったら箱の中でぐちゃぐちゃになっていたりするなど、もってのほかです」

つまり、ヴァンドゥーズとは、スペーサーという仕切りを使い、繊細なプチガトーを箱の中で素早く固定する包装技術と商品知識をもち、優雅であたたかな接客を同時進行でこなす、プロフェッショナルだけが名乗ることができる称号なのだ。

「もともと料理やお菓子作りが好きで製菓も一通り学んだのですが、学んだからこそ痛感しました。私のお菓子作りは趣味の範囲だ、と。それでも何かお菓子に関わる仕事がしたいと探していたとき、求人誌から切り取っておいた募集広告を思い出しました。早速面接に出向くと、稲村が“お菓子を売るプロの販売員が欲しい”と熱心に話してくれました。これだ! とピンときましたね」

通販でいろいろ買える時代。しかし、対話を通してお菓子とともに真心も手渡し、お客さまの心を動かす。「ヴァンドゥーズ次第でお店の売り上げは大きく左右される」と語る稲村シェフは、パティシエだけが「スター」になるのはおかしい、と考えている。パティシエとヴァンドゥーズが一致団結してこそ、お客さまに愛されるお店になる。こうした考え方に岩田さんは共感し、自分の夢を重ねて懸けた。

当初、稲村シェフは「クールすぎて親しみやすさが足りないな。もったいない」と岩田さんを評したという。自分では意外で驚いたというが、他人から自分がどう見えるかを認識し、接客方法を調整するのも大切な仕事。各自の個性を活かしつつ、すべてのヴァンドゥーズが最適な接客ができるようにスキルと心構えを伝えていきたいと話す。入社して12年経った今も日々勉強中と謙遜するが、「これからもずっと続けていく天職です」と目を輝かせた岩田さんだった。

【写真左】最近、免許をとって「いつか赤い車に乗って走りたい」という夢を叶えた。通勤時間が楽しくなったそう。【写真中】現在、全国に約250人存在する認定ヴァンドゥーズ。資格取得者が着けるバッジ。【写真右】岩田さんの著書『わたしはヴァンドゥーズ』と全日本ヴァンドゥーズ協会の教材。
岩田知子(いわた・ともこ)
一般社団法人 全日本ヴァンドゥーズ協会副会長 パティシエ イナムラショウゾウ シェフ・ヴァンドゥーズ。東京都生まれ。二葉栄養専門学校卒業。複数の企業で販売・サービス業、デザートコーディネーターを経験。製菓の基礎知識を習得し、2003年、パティシエ イナムラショウゾウに入社。現在に至る。