常に新しいものを発見し続ける会社に

エウレカは社長の赤坂と私で2009年に創業した会社です。主力事業はFacebookを利用した恋愛・婚活マッチングサービス「pairs」と、カップル専用アプリ「Couples」の2つです。

社名はアルキメデスが浮力の原理を発見したときに叫んだ「分かった!」というギリシャ語に由来します。日本語では「ユリイカ」とか「ユーリカ」などと表記されますが、ギリシャ語の発音だと「エウレカ」なんです。「常に新しいものを発見し続ける会社にしよう」という気持ちで名付けました。

エウレカ 共同創業者 取締役副社長COO 西川順さん

pairsをはじめるときは、主力事業の候補としてほかにアプリの広告メディアも挙がっていました。でも、どちらもやる資金はなかったので、どちらにするかを社長と私で議論していた際に、私は「オンラインデーティングサービスはこれから必ず伸びるのでやろう」と主張したんです。これからは、忙しい男女は必ずスマホでパートナーを探すというニーズが出てくるはずだと思ったのと、アメリカでは結婚する3組に1組がオンラインデーティングサービスで出会っているという事実もあったので、オンラインでのクリーンな出会いは、絶対に潜在ニーズがあると。それに未婚化、晩婚化の今の時代、大きな社会的意義があるとも思いました。

pairsはすごい勢いで伸びています。こんなに伸びるとは正直、思っていませんでした。pairsがきっかけでお付き合いを始めた方や結婚した方たちで、顔を出してもいいというカップルを募集する「幸せレポート」があるんですが、応募してくださる方たちも非常に増えています。幅広い業種の方たちに使っていただいていますが、私の周囲だとやはりネット業界の人が多いですね。忙しすぎて合コンに行く暇がないとか、合コンが非効率だと考える人が増えているのもpairsが支持される理由かもしれません。

合コンは行かなければ分からないギャンブルですし(笑)、真剣に婚活を考えれば考えるほど、自分に合うパートナーを最短で見つけたい、という人も増えています。pairsは自己申告とはいえ、年収や学歴から兄弟姉妹構成、その人の趣味もわかるので、真剣に結婚を考えている人にはぴったりなんです。

男女関係なく、スピード感をもって働けるネット業界に惹かれて

今、40歳になったので、この業界ではかなり年齢は上のほうだと思います。エウレカでも一番年上なので、たまに「おばあちゃん」なんて呼ばれてるんですよ。ひどいですよね(笑)。

大学時代はブルームバーグの翻訳チームでインターンを1年経験し、その後、雑誌記者として社会人の1年目をスタートしました。

当時、女性は一般職が当たり前で、総合職にはなかなか就けない時代で、採用でまだ男女差別が残っていた最後の世代かもしれません。最初の会社から転職活動をする時に、雑誌社や編集プロダクションも受けたんですが、「うーん、どうせ20代半ばで子供産んで辞めちゃうんでしょ」と3社くらいで言われました。一方、15年前のネット業界は新しい業界だったので、面接に行くと「何ができる?」「いつから来られる?」と、差別も何もなくさっさと話が進んで、スピード感が気持ちいいなと思いました。

そして転職したのが日本で英語を学びたい人のためのサイトを運営しているイギリス外資のITベンチャーでした。ネット業界は初めてだったので、知識もスキルもなかったんですが、入ったその日にPhotoshopやHTML、CSSに関する本をどさっと積まれて、イギリス人の社長に「これくらい1週間で覚えろ。仕事が出来なかったら3カ月でクビだから」と言われました(笑)。クビになりたくないので当時は寝る間を惜しんで必死で仕事をしましたね。

社員30人くらいの会社でしたが、2、3ヶ月おきに10人ほど入社し、半年後に残っている人は1人くらい、というくらいクビになったりすぐやめる人が多い会社でした。社長がワンマンで、タイピングが遅いだけでクビにしちゃうんです(笑)。私も「いつクビになるか」とビクビクしながら、でもとにかく結果を出すしかないので、本当によく働きました。円形脱毛症にはなるし、最初の半年間はストレスで急性胃腸炎に何度もなったりと体調もおかしかった。でもビジネスマンとして一番鍛えられたのもこの会社なので感謝しています。

いきなり1カ月いなくなる上司

その会社に入社して2日目に大ハプニング。私の上司は編集長で、副社長でもあったんですが、その人から「順ちゃん、私、明日からイギリスに1カ月行ってくるから、あと全部よろしく」と言われて、「えっ?」って感じでした。「全部って何ですか?」と聞くと、「まあ誰かに聞けばわかるから。何かあったら電話かメールして」と。でも電話してもメールしてもまったく返事がないんです(笑)。

同僚はみんな忙しいし、外資では、自分の雇用契約書にない業務はしない人がほとんどなので、私に何か教えるためにわざわざ残ってなんかくれないわけです。だから同僚が居る昼間にわからないことを聞きまくって、あとは夜中までひたすら働く。朝は始発で出社して、みんなが出社するまでにわからないところを貯めといて、日中に聞く、でまた深夜まで働く。それを繰り返しているうちにだんだん仕事ができるようになりました。

当時、そのサイトにはカルチャー系の記事を多く載せていて、最初は、ハリウッドスターの来日記者会見には毎回行き、ブラピが話している内容を英語でそのまま載せたり、ラッセル・クロウのオーストラリアなまり英語の解説記事を書いたり、ハロウィンや感謝祭の起源を調べて記事にしたりしていました。このWEBライター的な企画・取材・編集・ライティングという仕事から、コーディング、デザイン、タイアップ記事企画、マネジメント、と、あっという間にどんどん仕事が増えていきました。

この会社にいたのは4年間くらい。最後のほうはサイト全体のプロデューサーをやりながら新規サービスの立ち上げもやらせてもらいました。同時に、業務に必要な翻訳や通訳、リアルイベントの企画・運営、営業、雑用などなど、とにかくひたすら何でもやった感じですね。