トステム、INAX、新日軽、サンウエーブ工業、東洋エクステリアの5社が統合し、LIXILが誕生したのは2011年。かじ取りを任されたのは、米GEで日本人初のバイスプレジデントにまで上り詰めた藤森義明氏だった。

女性たちが力を発揮すれば、変革のエネルギーに

今さらなんだ、と思った女性もいたはずだ。社内意識調査では、特に30代、40代の女性がダイバーシティに対する意識が低いという結果も出ていた。

【写真上】代表取締役社長 兼 CEO・藤森義明氏「女性たちが十分に力を発揮すれば、変革のエネルギーになる」【写真下】キッチンや浴室などの住まいに関する設備や建材を扱うLIXIL。東京・西新宿にあるショールームには、ライフステージに合わせた実棟や、さまざまな商品を展示している。

日本では危機のたびに女性が担ぎ出され、「変革の旗手」と脚光を浴び、嵐が去るとすっかり元通りになった歴史もある。繰り返しはうんざりだ。だが、藤森氏は力を込めてこう断言した。

「今度の流れは誰にも止められない。どんなに逆風が吹いても、ときの勢いには勝てないはずだ」

LIXILが管理職登用者の30%を女性を含むダイバーシティタレントとするなどの数値目標を掲げた「LIXIL Diversity 宣言」を発表したのは、2013年1月のことだった。このとき、藤森氏にはある考えがあったという。

「最初にこの会社に来たとき、5つの会社の、それぞれ個性的な文化が存在していることに気がついた」

5つの文化をうまく組み合わせれば、グローバルに通用する企業になれる。そう思った彼は、いずれの企業でも十分に力を発揮し切れていなかった女性を次々と発掘し、彼女たちに成長の機会を与え、変革のエネルギーに変えていくことを決めた。

40代後半で、新たな出発

最初に「激変」を痛感したのは成田雅与氏(50)だった。それまでの約14年間、社長をはじめとした役員の秘書をしていた彼女はダイバーシティ担当を命じられたとき、「どうして私が?」と驚いた。

それまで、パワーポイントを使って資料を作成したこともなければ、人前でプレゼンしたこともなかった。いわゆる「バリキャリ」からはほど遠い人生を歩んできた彼女は自己主張もそれほど強いタイプではなく、どちらかといえば、周囲に対して気配り・目配りのできる女性だった。

そんな彼女が突然、統合の翌年に立ち上がった「ダイバーシティ推進グループ」のグループリーダーに任命された。「こんな歳としになってこんなことが起こるのか……」と、本人も驚く人事だった。

HR部門 Diversity & Engagementダイバーシティ推進部 室長・成田雅与氏「たった一人のダイバーシティ担当。40代後半の、新たな出発でした」

経験がないため、最初は随分と手探りだった。グループリーダーと言っても部下はなし。人事総務本部に属してはいるが、実際に「採用」や「教育」、「制度づくり」を担うわけではない。ダイバーシティ推進に必要なのは人事施策、人材育成、環境整備、風土醸成だとわかったが、これをたった1人で回すのは不可能だと感じた成田氏は、各部署に応援を頼むことにした。

人事施策と人材育成、環境整備に関しては、人事部門からそれぞれのリーダーを選出してもらい、彼らが実動部隊になった。残る風土醸成に関しては、彼女自身が中心となり、各管轄の人事部門からメンバーを選び出してもらい、組織を横断する人事部会を立ち上げた。グローバル企業の多くは、ダイバーシティを推進する初期の段階で、女性たちの自主的ネットワークを立ち上げている。LIXILも「ウイメンズ・ネットワーク」を発足、経営幹部と従業員が対話する「ダイバーシティ・ミーティング」もスタートしている。

「過渡期ですから、違和感があるように見えることがあるのは否定しません。新しいことをすれば、必ず反作用は起こりますが、そこはあまり気にしないようにしています」と成田氏は言う。社長秘書をしていた彼女は、幹部の考え方もすんなりと理解した。もしも、このポジションに就いたのが優秀でも自我が強すぎる女性だったら、こううまくはいかなかっただろう。そう思わせる雰囲気が、彼女にはある。

藤森氏は言う。

「暮らしの中のありとあらゆる製品に人工知能が組み込まれる時代は、すぐそこまで来ている。これまで想定していなかったIT企業が、我々の強力なライバルになる可能性もある」

文化の違いを肌で感じる

次なる時代の覇権を握るのはどの分野の、どの企業になるのか。虎視眈々(たんたん)とチャンスをうかがう藤森氏の事業戦略に基づき、新興国向けに開発した商品や技術、ビジネスモデルを先進国へと還流する「リバース・イノベーション」も本格化している。

そうした流れに乗って成長の機会をつかんだのが、山上遊氏(36)だ。R&D本部新事業研究センターに所属し、アフリカのケニアで循環型無水トイレを普及・促進させるプロジェクトに取り組んでいる。最近は、一年の半分はケニア暮らしだ。

R&D本部 新事業研究センター 新技術事業推進部グローバル環境インフラ研究グループ主幹・山上 遊氏「トイレのない生活がいかに大変か。ケニアで日々痛感しています」

「現地では午前7時ぐらいからメールチェックを始め、外出の際は午前9時には出発するようにしています。渋滞はひどいですが、ケニアは幸いIT化が進んだ国ですから、移動中もパソコンを使って仕事をすることができます。渋滞のピーク時間を避けるため、午後2時すぎには現場を離れ、日が沈む前にはアパートに帰り、そこからまた残った仕事を片付けています」

国連の推計では、2050年までに世界の人口は約100億人に達する見込みだ。そのときに、必ず問題となるのが水の使用である。LIXILは旧INAX時代から無水トイレの開発に取り組んできた。山上氏はその頃、同社の生産管理部門にいて、もんもんとしていた。「以前からこうしたソーシャルビジネスには興味を持っていましたが、生産側からそれを事業提案するのは難しい。生産管理に求められるのは効率性の追求によるコストの削減です。いずれは海外へと思って英語も学んでいましたが、それをどうやって活かせばいいのかわからない状態が続いていました」 チャンスが巡ってきたのは13 年4月のことだ。思い切って研究所への異動を希望すると、希望がかなった。ケニアでは、ベトナムで作った試作機をモニター試験している。

「モニター用のトイレを設置する建屋は現地で作っています。図面通りのものが納期通りに完成することは、まずありません。トイレのドアが開かないなどのトラブルもザラにあります」

そうしたミスを防ぐため、山上氏は日本では考えられなかった中間チェックをいくつも設け、足しげく製造現場に足を運んでいる。CSR目的でスラムへインタビューに行く際には食べ物にも気を使い、水分もあまりとらないようにしている。スラム地区には、日本のように衛生的なトイレはない。トイレを我慢しすぎてぼうこう炎になったこともある。

「環境を変えていくためには、政府機関や市民団体との密な連絡も欠かせません。現地では計画はあっても資金的裏付けがなかったり、なかなか実行されなかったりしますが、そうした文化の違いを感じながら仕事をしていると、つくづく『これがダイバーシティなんだなあ』と痛感します」