役職に就いたほうがいい
女性の中には管理職への昇進を打診され、「課長なんてやっぱりいいです」と断る方がけっこういます。確かに責任は重くなりますが、自分の裁量は明らかに大きくなります。今のままでは1から10まで上司に判断を仰がなければなりませんが、管理職になれば自分の判断で物事が進みます。仕事をずっと続けたいと思うなら役職に就いたほうがいいので、部下の女性たちにはいつも「管理職を勧められたら受けなさい。やってみたら面白いし、心配しているようなことではないよ」と言っています。
そうはいっても自分自身、最初から管理職を目指していたわけではありません。第一、私が入社した79年当時は、大学を出た女性に就職がない時代でした。男女雇用機会均等法以前のことです。抽象的なものよりは実際に目に見えて何かに役立っているのがわかる企業がいいと思っていたので、就職活動時はメーカーを中心に訪問していました。しかしそこではっきりと「女性は社会から求められていないんだな」と痛感しました。
コマツについては、知人から「ハデなところはないけど技術力があって質実剛健な会社だよ」と教えてもらい女性向けの就職説明会に参加しました。その席で「うちははっきり言って女性には期待していませんから。そのつもりで面接を受けてください」と言われました。当時はどの会社の説明会に出かけてもそんな感じでした。その場で憤慨して席を立つ女子学生もいましたが、私は癪に障るけど闘志もわきました。
お嬢さん、お預かりします
私にとってラッキーだったのは面接で「人事部の教育の仕事はどうですか」と言ってもらえたことです。人事部の女性の先輩と同様、最初から自分の担当職務が決まっていたので責任をもって仕事ができました。同期の女性たちの多くが短期間で会社を辞めていく中、私が長く仕事を続けられたのはそれが大きかったと思います。また毎年、女性の後輩が入ってくる部署だったので、彼女たちに引継いだり、伝授することが自然と自分の成長にもなりました。
入社早々のころのことです。伊豆の研修センターの竣工式のため、人事部の社員が泊りがけの出張となりました。課長が自分の名刺の裏に「お宅のお嬢さんを一日お預かりします」と書いて、これをご両親に渡しなさいと命じられました。今では笑い話ですが、当時、女性が出張することはとても珍しいことだったのです。
役員内示の面接は1分で終了
入社から7年後に均等法ができて私は総合職に転換となります。91年に輸出部門である国際事業本部に移り、94年に生産技術本部に異動して初めて管理職(課長)になります。課長をやりなさいと言われたときは素直に「ありがとうございます」と答えました。でもそれで十分満足でした。その先は後から来る女性たちが私の背中を踏み越えて進んでくれると思っていましたので(笑)。
だから執行役員は考えてもいませんでした。1年に1回、当社は春先に目標管理の評価面接があります。2010年、20年ぶりに本社の管理部門に帰って来た1年目、それまで本部長と面接していたのですが、今回は社長が面接すると聞き、焦りながら準備をしました。当日、社長室に行くと、執行役員就任への内示がを受け、面接は1分で終了。こちらが口をはさむ間もありませんでした。
会社として女性登用を加速させていこうという時期でしたので、ちょうどいい年次にたまたま私がいたんだと思います。今度は私がいつでもバトンタッチできるように女性の人材をどんどん育てていくのが大事な役割です。