世界のSK-IIは滋賀でつくっている
いま私が工場長を務めているP&G滋賀工場では、基礎化粧品のSK-IIを製造しています。SK-IIは世界10カ国以上で販売されているブランドですが、それをつくっているのは私たちの工場だけなんです。だから非常に守秘義務も高くて、工場内で処方のレシピを知っている人も限られているくらい。そんなふうにグローバルなモノを自分たちの技術でつくっているという実感は、スタッフ一人ひとりのプライドにも繋がっていて、他の工場にはないチームワークがここにはあると思っています。
私が初めて工場に配属されたのは、この会社に入って15年目、2005年のことでした。当時、私は神戸にある本社で生産統括や生産企画の仕事をしていたのですが、入社以来、どうしても生産の現場で働きたいという思いがあったんです。本部の椅子に座って「プロダクトサプライ」とか「製品をどうソーシングするか」なんて横文字を使って仕事をしていても、「モノづくりの現場を知らずして何がわかんねん」という気持ちがいつもどこかにあって。
ここがこの会社の良いところなのですが、男女や年齢の区別なく、望むのであればそのキャリアに挑戦させてあげようという雰囲気があるんですね。何度も希望を出しているうちに、念願かなって洗剤を作っている高崎工場のオペレーションマネージャーのポストを用意してもらったんです。
0歳と5歳の子どもを連れて高崎工場へ
実際に工場で働き始めてからは試行錯誤の連続でした。
一つは家庭の問題です。私の高崎への赴任は夫を関西に残し、0歳と5歳の子どもを連れての赴任でした。子育てと仕事をどう両立させるかは、当初から大きな課題としてありました。
会社では当時から育児や妊娠中の働く女性に対する制度が充実していて、フレックスタイム制や時短、ベビーシッターさんをお願いする際の補助を利用することが出来ました。でも、やはり相手は仕事ですから、家庭を優先できないときも多い。私は仕事が大好きだったので、もともと「育児か仕事か」という考えはとりたくありませんでした。仕事を続けるためには、どのような子育てをすればよいか、という順番で生活のスタイルを考えたんです。
そこで決めたのが、「選択」をきちんとするという生き方でした。例えば、家の掃除一つについて考えても、それを毎日やろうとすれば、できなかった日に落ち込んでしまいます。だから、「月曜日から金曜日まで掃除はしません」と最初から決めてしまうことにしたんです。そして、土日にそれをすると決めたら、必ず実行する。
あるいは仕事と育児を両立させようとすると、どうしても自分自身をケアすることの優先順位が低くなってしまうものです。お友達と話をする時間、ショッピングに行く時間、お洋服に気を遣う時間……。ちょっと辛かったけれど、それもしないって自分で決めました。
本当はしたいのに、会社がこうだから、子供がいるから、と一つひとつを諦めていくのが嫌だったんです。「したいけれど、できない」のではなく、私がしないと決めた。だからしない。自分で決めたと思いさえすれば、とても気持ちがスッキリしますから。
そうしたやめる勇気を持つという働き方は、後々の自分の仕事に対する姿勢の多くを形作ってくれたと感じています。だから私、子育て中の生産性はすごく高かったと自分でも思うんです。今日、5時半に帰るためには、何をどの順にどこまでやらないといけないのか。それをしっかりと決めて、無駄と思えることをどんどんそぎ落とし、決めた通りに一日を送る。周りから見たら、ちょっと余裕のない人やったかもしれませんけどね(笑)。
女性マネジャーの出現に、現場は困惑
高崎での日々は、私にとって「工場」で働くことを一から学んでいく日々でもありました。
実は工場のオペレーションマネジャーに女性が就くのは初めてで、しかも私には工場勤務の経験があるわけではない。それがいきなり100人を超える組織のマネジャーになって、製造から梱包まですべての工程の責任を負うわけです。自分で希望しておいて言うのも何ですが、会社はようやらせてくれたと思います。
その意味で私が現れたことで困惑したのは、むしろ現場のスタッフたちでした。これまでのマネジャーは全員が男性だったし、当の私は製造のプロセスや機械の仕組みを一から学んでいるという有様。しかも本社で働いていた癖が抜けず、何かというとカタカナ言葉を使うものだから、みんなもどう接していいのかわからなかったのでしょう。
1990年にP&Gの生産統括本部に入社。2005年には同部門初となる女性で初めての高崎工場オペレーションマネージャーを経験。2012年から1年間シンガポールで洗濯洗剤のアジア担当アソシエートディレクターに就任。2013年に帰国後、日本人女性で初めてとなる滋賀工場長に着任。