日本社会に広がる「孫疲れ」
長期休みといえば帰省、そんなイメージは、どこまで共有されているのだろうか。
孫の顔を見せるため、久々の家族団欒を楽しむため、といった、「実家」や「義実家」での和やかな光景を、どれだけの人が望んでいるのだろうか。
最近、「孫疲れ」ということばが広がっている。その実態を示す大規模な公的統計は存在しないが、その背景をうかがわせる数値がある。菓子メーカー「ロッテ」の2022年の調査によれば、「遠方のお孫さんに帰省して欲しいですか」との質問に、221人のうち54.3%が「帰省して欲しくない」と答えている。
対する孫の側は、どうか。孫たち自身ではなく、親が答えているものの、189人のうち73.1%が「小学生のお子様は、遠方に別居している祖父母の自宅に帰省したいと思っている」と回答している。
孫のための出費は「年間18万円」
こうした世代間のギャップを象徴することばとして、近年取り沙汰されているのが「孫疲れ」である。孫の世話で、体も心も疲れてしまう状態を指す。単に「疲れる」だけではない。お金の負担も増えている。シニア女性向け雑誌「ハルメク」の読者を対象にした2025年の調査では、「1年間で孫のために使った金額」は平均で18万円と、その2年前に比べて3万7000円アップしている。
その反面、「電話で話す」以外の、たとえば「LINEやメールなど文字や写真のやりとり」などのコミュニケーションは減っており、「今後の孫とのコミュニケーション意向」については、「どちらでもない」が58.3%と「増やしたい」の40.9%を大きく上回っている。
心身の「疲れ」のみならず、金銭面でも重しのように感じており、さらには、接触機会も減っている。「帰ってきて欲しくない」し、やりとりを「増やしたい」とは思っていない。
もちろん、こうした調査は、いずれも限られた範囲を対象にしたものであり、「孫疲れ」の全体像を示すものではない。しかし、祖父母世代が孫とのかかわり方に複雑な思いを抱いている様子を推測させる結果とは言えるだろう。
経済面で“都合よく”使われる親
数字の面を見れば、たしかに納得できよう。悪い言い方をすれば、祖父母が孫を経済面で支える存在のように頼りにされている、そう見えてしまいかねないからである。ただ、ここで考えなければならないのは、先に見たロッテの調査にある「遠方」という表現である。どこまでを「遠方」と捉えるのか、この点が難しいのではないか。
たとえば、社会学者の松川尚子氏は、〈近居〉、すなわち、近くに住んでいる祖父母が孫の世話を引き受けている状況に着目している(松川尚子『〈近居〉の社会学 関西都市圏における親と子の居住実態』ミネルヴァ書房、2019年)。重要なのは、一緒に住む=同居ではなく、小一時間ほど離れた近くに住むほうを選ぶ子ども世代の多さである。
近畿圏を対象にした松川氏の調査によれば、高度経済成長期以降のニュータウンの増加に伴い、祖父母世代と子ども世代の居住地が近くなり、さらに、「実家との距離」を考慮する割合が増えている。
子どもと孫が、都市部から「遠方」の実家に帰省する。祖父母世代は、わざわざ遠いところから来た孫を歓待しなければならない。すると、身も心もお財布も「孫疲れ」する。たしかに、いまもなおそうした例が多数なのかもしれない。それでも、松川氏の調査にあるように、そうした伝統的な帰省とは異なる実態も増えてきているのではないか。
東京一極集中が「帰省」の意味を変えた
実際、日本では、首都圏への人口集中が進んでいる。日本経済新聞によれば、「首都圏への人口集中は右肩上がりで、(20)30年度には27.6%に高まる見通しだ」という。この傾向は、OECD(経済協力機構)加盟国の6割で首都圏への人口集中が和らいできているのとは対照的で、首都圏への一極集中が止まらない。
日本国内の「都道府県間移動者数」は、1950年代後半から1970年代前半までの上昇傾向から、ゆるやかに減少傾向が続いており、2020年の調査ではピーク時の4割ほどの525万5721人だった。東京圏は9万9243人の転入超過であり、大阪・名古屋の他の2大都市圏の転出超過を横目に、増加を続けている。都道府県をまたいで移動する人が少なくなる中でも、都市圏、とりわけ東京に移り住む人は増えている。
こうなると、「遠方」に孫を連れて行く、という「帰省」の姿もまた変わってきているのではないか。つまり、「近居」している祖父母世代の住まいは、普段の通勤・通学よりは「遠い」ものの、同じか、もしくは都市圏にいる場合も少なくないと見られる。帰省が特別な出来事ではなくなり、祖父母に期待される役割が日常のなかで増えている可能性がある。ここに「孫疲れ」の要因の一端が垣間見られよう。
子にとって交通費や手土産代は「重い負担」
さらに、ここ数年の止まるところを知らない住宅価格の高騰が追い打ちをかける。わざわざ指摘するまでもないとはいえ、あらためて確かめておけば、都市圏、特に、東京23区のマンション価格の高騰は、バブル期を上回る。不動産経済研究所の調査によると、2025年の新築マンション1戸当たりの平均価格は1億3613万円と、過去最高を更新した。
国立国会図書館・調査及び立法考査局国土交通課の大島優果氏のまとめによれば、それは、建築費の高騰や、国内外の富裕層や投資家による積極的な購入など「複数の構造的な要因により生じている」。
孫の顔を祖父母に見せに帰る前に、子ども世代は、高くなる一方の住宅に、なんとかやりくりをして住んでいる(人も多い)。大島氏が指摘する「共働きのパワーカップル」によるマンション需要の増加があるものの、「夫婦ともに年収700万円以上の世帯」は、45万世帯で、共働き世代に占める割合は2.9%である。
東京(圏)に人が集まっている一方で、23区内にマンションを購入できる所得層は限られている。さらに、物価高も止まらない。年収は増加傾向にあるといっても、生活環境が向上しているとは、なかなか言いがたい。
こんな状況において、近いところに住んでいる祖父母世代のもとに帰省するとなっても、なかなか意欲は湧きにくい。家計に余裕がないため、交通費や手土産など帰省の負担も重く感じられる。共働きで住宅ローンを抱える家庭ほど、休日そのものが貴重になる。いや、せめて前向きになれるとしたら、孫の面倒を見てもらったり、あるいは、お小遣いをもらったりする、実利面でのメリットを期待しているのかもしれない。
日本人の「移動離れ」が起きている
加えて、「移動そのもの」が日本人の生活から減っている。日本人全体での「旅行」への意欲低下が指摘されているのである。日本観光振興協会が毎年行っている「国内宿泊旅行への参加希望率」は、令和5年度(2023年度)には58.1%だった。東日本大震災の起きた平成23年度(2011年度)の81.9%から長期の下落傾向が続いており、コロナ禍前の令和元年度(2019年度)に61.1%、その翌年には54.3%まで落ち込んだ。
社会学者の山口誠氏が注目する通り、2025年の日本のパスポート保有率は18.5%と、英国(約60%)や米国(約50%)とは比べようもないほど低い。
旅行と帰省は違う。けれども、日本人は都道府県間の移動もせず、旅行もしなくなりつつある。そこには、上記のデータで見たように、都市部に人口が集まり、そのなかで「帰省」する、そんな傾向が見えてくるのではないか。
「特別感」を求められる祖父母の悲鳴
もちろん、そうした傾向は、あくまでも推論に過ぎない。「帰省ラッシュ」がニュースになる以上、多くの人たちにとっては、あくまでも「遠方」の祖父母世代のもとに帰る、それが「帰省」なのだろう。
だからこそ、「孫疲れ」が生じやすい社会になっている。
孫が遠くから来る場合には、普段の接点が減っているがゆえに、歓迎しなければならないというプレッシャーは高まる。食事から始まり、プレゼントや、「お盆玉」と呼ばれる「お年玉」の夏バージョン、さらには、寝る場所も整えなければならない。
かたや、近くにいる孫の場合もまた、日常とまで行かずとも、それなりに孫のケアをしているのに加えて、お盆ならでは、の特別感を陰に陽に求められている(ように感じてしまう)祖父母世代もいるに違いない。
とすると、あくまでも限定された対象に過ぎないとはいえ、先に見たデータのように、孫に「帰省して欲しくない」と答える割合が半数を超えたり、孫とのやりとりを増やしたくも減らしたくもない=「どちらでもない」と答えたりする割合が多くなる、こうした結果につながっている可能性もある。
「孫疲れ」は誰の責任でもない
ただし、「孫疲れ」を、どこまで確定した数値として示せるのか、注意しなければならない。10年前、それも「60歳代祖母」に限った調査とはいえ、「祖母の感じている疲労と日常的な孫の世話の因果関係を確定するには不十分」とする論文が書かれている(※1)。
※1:仲野宏子、長弘千恵、猪狩明日香、道面千恵子、斉藤ひさ子、小笹美子「60歳代祖母による孫の世話の状況と疲労との関連」『日本地域看護学会誌』Vol.19 No.1, 2016
大切なのは、「孫疲れ」の実情を数字として確定させるよりも、「複数の構造的な要因」に分解し、それぞれへの意識を高める態度にほかならない。求める孫が悪い、とか、世話を押し付けようとする子どもが悪いとか、年長者としての余裕がない祖父母が悪い、といった、犯人探しに躍起になるのではない。
それよりも、さまざまな状況がからまりあった必然の結果として「孫疲れ」を見つめなければなるまい。
帰省「ごっこ」という打開策
こう書いてくると、ますます「帰省」への忌避感を増長させてしまいかねない。宗教学者の島田裕巳氏が「プレジデントオンライン」で述べたように、「今や、故郷を捨てることに戸惑いを覚える人間はいなくなった。人生がうまくいかなくなって戻ってきた人間を、温かく迎えてくれる故郷自体がなくなった。社会は根本から大きく変わった」と捉えるべきなのだろう。
それでも、いや、それゆえにこそ、あらためて「帰省」の意味を問い直しては、どうか。
遠くにせよ、近くにせよ、親にとっても、子にとっても、祖父母が自分たちのルーツであるところは変わらない。帰るにせよ、帰らないにせよ、そして、良くも悪くも、お盆が「帰省」と結びつくのは、少なくとも当面は変わらない。
「帰省」の中身が変わりつつある社会において、たとえば、あえて「帰省」を旅行と同じイベントと捉えて、帰る側も迎える側も、どちらも、「ごっこ」のように役割を演じてみる。あえて旅行イベントのように演出するのである。「帰省」という義務ではなく、イベントとして楽しむことにより、自分たちのつながりを見つめ直す貴重な機会にする。そうした別の切り口から、「孫疲れ」の打開策を見つけられるのではないか。
「孫疲れ」は、家族関係の悪化を意味するわけではない。むしろ、それぞれが無理なく付き合う方法を探さなければならなくなった時代の変化を映している。
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