「豊臣兄弟!」(NHK)では信長(小栗旬)の妹・市(宮﨑あおい)が、兄と夫・浅井長政(中島歩)の間で心を揺らす。歴史研究者の濱田浩一郎さんは「市と秀吉との関係が良好に描かれている点が、これまでの大河ドラマとは違う」という――。
浅井長政夫人(お市の方)の肖像画、1580~90年ごろ、高野山持明院所蔵
浅井長政夫人(お市の方)の肖像画、1580~90年ごろ、高野山持明院所蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

秀吉と仲が良いお市像の新しさ

大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)で織田信長の妹・お市は宮﨑あおいさんが演じています。これまでの大河ドラマでも多くの女優がお市を演じてきました。例えば1981年放送の『おんな太閤記』では夏目雅子さん、1996年放送の『秀吉』では頼近美津子さん、2002年放送の『利家とまつ 加賀百万石物語』では田中美里さん、2023年に放送された『どうする家康』では北川景子さんがお市を演じてきました。これまで筆者も多くの大河ドラマでお市を観てきましたが、お市は豊臣秀吉を「猿」などと呼び嫌悪しているパターンが多かったように思います(一方で秀吉はお市に想いを寄せる描写もあったように思います)。

しかし今回の「豊臣兄弟!」はそうではなく、お市と秀吉が仲良く語り合っていました。最初からお市と秀吉との関係を険悪に描くのかと筆者は勝手に予想していましたので、その予想が見事に覆されて斬新で面白かったです。では実際、信長の妹・お市とはどのような女性だったのでしょうか。

お市が生まれたのは一般的に天文16年(1547)とされますが、はっきりしたことは分かりません(享年が37歳と伝わることから、そこから逆算すると生年が天文16年になるということです)。名前についても、われわれはよく「お市」と普通に呼んでいますが、実名は信頼できる史料には記されておらず、不明です。当時の女性の実名は分からないことが多いのです(例えば信長の正室はよく濃姫と呼称されますが、彼女の実名も不明です)。

兄・信長とはひと回り違った?

さて、お市の父親は織田信秀であります(お市は信秀の5女とされますが、第何子かは不明と書いている書籍もあります)。その母が誰かも実は分かっていませんが、信長と同母とすると、土田御前の娘ということになります。信長の生年は天文3年(1534)ですので、お市が天文16年生まれとするならば13歳違いの兄と妹ということになるでしょう。

しかし『以貴小伝』(徳川歴代将軍の生母・側室について記した伝記)には、お市は信長の「いとこ」であったが、妹と「披露」して、北近江の戦国大名・浅井長政に嫁がせたとの異説を載せています(『渓心院文』にもお市は信長のいとことの説を載せています)。お市は信長の妹だったのか、いとこだったのか、どちらが正しいか判断する材料がないので、ここでは通説に従ってお市は信長妹としておきます。

「戦国一の美女」だった?

さて、お市と言えば絶世の美女との印象が濃いと思います。高野山持明院所蔵のお市の方像(お市の7回忌の頃に描かれ奉納されたと伝わる)は「人形のように美しい」と評されることもあります。また逸話集『祖父物語』(尾張国清須朝日村の柿屋喜左衛門が祖父の見聞談を書き留めた聞書。江戸中期の成立か)には「天下一の美人の聞こえありければ」と記述されています。そんなお市の人生の転機の1つは、やはり北近江の浅井長政に嫁いだことでしょう。

東京国際映画祭で登壇した宮﨑あおい(「豊臣兄弟!」の市役)、2022年10月25日
写真=WireImage/ゲッティ/共同通信イメージズ
東京国際映画祭で登壇した宮﨑あおい(「豊臣兄弟!」の市役)、2022年10月25日

お市が長政に嫁いだ年についても諸説あり、一定していません。永禄7年(1564)や永禄10年(1567)、永禄11年(1568)など、さまざまあるのです(永禄2年や6年との説もあります)。信長は永禄11年(1568)に美濃国の斎藤龍興を追い、稲葉山城を手中にするが、それまでに織田家と浅井家との間に縁談が起こりかけていたと言います。

ところが浅井氏が乗り気でなく、そのまま立ち消えになっていたのが、信長が美濃を手中にすると浅井氏が織田氏によしみを通じてきて、縁談成立となったとの見解があります。

織田信長像
織田信長像(写真=狩野元秀/長興寺所蔵/東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

お市の結婚は信長の美濃平定後か

お市はいつ長政に嫁いだのか? 筆者は信長が美濃斎藤氏を下した永禄11年(1568)頃と推定しています。尾張国(愛知県)にいるお市が近江国(滋賀県)の浅井氏に嫁ぐには、美濃国(岐阜県)を通らなければなりません。永禄2年(1559)や永禄6年(1563)、永禄7年(1564)はまだ美濃は斎藤氏が有しており、敵地。その敵地を通り、お市が輿入れするのは難しいでしょう。

またお市を妻として迎える浅井氏にしても、信長が美濃国を平定するほどの実力者でなければ、織田家と縁戚になる意味がありません。よって筆者は、お市は兄・信長が美濃斎藤氏を打倒してから嫁いだと考えるのです。

有名な「小豆袋」のエピソード

長政に嫁いだ後のお市の逸話として最も有名なものは、やはり「小豆袋あずきぶくろ」の逸話でしょう。元亀元年(1570)、信長は越前国の朝倉氏を攻撃し、金ヶ崎城(福井県敦賀市)などを攻略するのですが、その時、近江の浅井長政が裏切ったとの急報が入ります。『信長公記』(信長の家臣・太田牛一が著した信長の一代記)には「方々より」長政が信長を裏切ったことは「事実」とする注進があったと記されています。

敵方の朝倉家史料に残る記録

一方、『朝倉家記』(越前の大名・朝倉氏の興亡を記した軍記物語『朝倉始末記』の異本の1つ)には、お市も信長に夫・長政の裏切りを急報したとあります。しかもそれは普通に「夫の長政が裏切りました」と使者を遣わし伝えた訳ではなく「陣中のお菓子としてください」といって、袋に入った小豆を信長に届けたのでした。小豆が入った袋は両端が縄で縛り付けられていました。これを見た鋭敏な信長は、浅井が謀反を起こし、朝倉と共に自軍を挟撃せんとする策ありと見做し兵を退くのでした。

『朝倉家記』に載るこの「小豆袋の逸話」は後世の創作として片づけられていることが大半です。確かに後世の創作の可能性が高いのですが、その一方でこの逸話が敵方の記録『朝倉家記』に記述されていることから信憑性ありとの見解もあります。またたとえ、この逸話が後世の創作だったとしても、当時の(政略結婚により嫁いだ)大名家の妻が置かれた状況をよく表しているのではないかともされています。

浅井長政像(部分)、17世紀、高野山持明院所蔵
浅井長政像(部分)、17世紀、高野山持明院所蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

政略結婚した女はスパイだった

「婚家よりも実家が大切」との価値観が戦国時代の女性にはあるとされ、お市もそれに則り行動したと思われるのです。ただの「人形」「飾り物」では、『朝倉家記』に記載されたような行動を取ることはできなかったでしょう。お市やそれに付き添う侍女たちも浅井家の動静を探っていたと推測されます(お市は長政の妻ですので、上層部の動静を掴める立場にありました)。要は間者(スパイ)と一緒です。

政略結婚というと暗いイメージにおおわれてしまいますが、当時の女性たちはわれわれのそうした「常識」(イメージ)をくつがえすように、もっとたくましく、したたかに生き抜いていたのではないでしょうか。

秀吉とお市は仲が良かった?

「豊臣兄弟!」においては、信長とお市はとても仲が良い。信長はお市のみに心を開いているようにも見えます。信長とお市は本当に仲が良かったのか。それを示す一次史料はありませんが、先ほど紹介した「小豆袋の逸話」や「婚家よりも実家が大切」との当時の価値観を踏まえるならば、信長とお市の結び付きは強かったのではないでしょうか。

さて、お市と秀吉との関係についてですが、ドラマでよく描かれるように、お市が秀吉を嫌っていたことを示すような一次史料はありません。浅井長政には万福丸という年少の嫡男がおりましたが、ドラマなどにおいてはこの子はお市との間に生まれたと描かれることがあります。

浅井長政の嫡男はお市が産んだか

しかし、この少年の母についてはお市ではなく、別の女性と考えられています。万福丸は小谷城の落城後、城を脱出し、越前国に逃れていたとの説もありますが、信長方の追跡にあいます。そしてついに捕まってしまうのです。捕縛後、万福丸は近江国の木之本に連行。そこで万福丸の身柄を預かったのが『浅井三代記』によると秀吉でした。信長は秀吉に万福丸を串刺しにして処刑せよと命じ、秀吉はそれを実行。万福丸はその短い生涯を閉じたのです。

信長公記』にも長政の10歳になる嫡男が探索・捕縛され、関ヶ原にてはりつけにされたことが載っていますが、万福丸との名も、秀吉が処刑したとも書かれていません。史料の信用度から言えば『浅井三代記』よりも『信長公記』の方が上であり、長政嫡男の処刑は秀吉が行ったかは分かりません。

これまたドラマでは、万福丸を処刑したことについて信長に怒りをぶつけるお市の姿が描かれることもありますが、実際には、お市は万福丸の処刑を哀れとは思いつつも、信長に怒りをぶつけることはなかったのではないかと思われます(万福丸はわが子ではなかったのですから)。

北ノ庄城が落ちるとき三姉妹を…

お市の次女(常高院)に仕えた女房の覚書『渓心院文』には、お市が再嫁した柴田勝家の北ノ庄城が秀吉軍により包囲された際、お市は秀吉に書状を書き、娘3人を託したとあります。お市は信長から厚く信頼されていた秀吉ならば姫(娘)たちを粗略に扱うことはないと考えたようです。

姫たちが城から出る時、お市も見送りに出ますが、その容貌は22、23歳に見えたとのこと。それはさておき、前述の『渓心院文』の記述を踏まえると、お市は秀吉に大きな悪感情を抱いていなかったと推測されます。

秀吉がお市に恋慕していたか否かですが、前掲の『祖父物語』には、秀吉は天下一の美女・お市を妻にしたかったと記載されています。これについては後世の創作とする説が有力です。

滋賀県長浜市にある「家族 長浜とお市」像
写真=photolibrary/アイシャ
滋賀県長浜市にある「家族 長浜とお市」像

参考文献
・円地文子監修『人物日本の女性史 第4巻』(集英社、1977年)
・桑田忠親『桑田忠親著作集 第7巻』(秋田書店、1979年)
・桐野作人『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』(KADOKAWA、2014年)