荻原健司(スキー・ノルディック複合五輪金メダリスト)

おぎわら・けんじ 
1969(昭和44)年、群馬県草津町生まれ。群馬県立長野原高、早稲田大学卒。オリンピックには4度出場。ワールドカップでは世界初の個人総合3連覇を達成。2004年7月、参議院議員選挙全国比例代表区で初当選。2002年に競技第一戦から退いていたが、2012年の国体成年男子Bノルディック複合に出場、4位となった。モーグル選手の上村愛子が所属する北野建設スキー部の部長でもある。

元気の塊みたいな人である。萩原健司さんはからだ全体からエネルギーを発散させている。ポジティブ思考。将来に不安を抱える学生を前にすると、こうハッパをかける。

「不安があるのは当たり前。何もしないのが一番悪い。とにかく、いろんなことにチャレンジして、自分で道を切り開いていかない限り、不安はとり除けない。自分の将来も明るくならないでしょ」

師走某日。早稲田大学の大隈講堂で開かれた「アスリートフォーラム」だった。テーマが「オリンピック・パラリンピックの魅力」。荻原さんはボランティアで応援に駆け付けた。日本オリンピック委員会(JOC)の「オリンピックふれあいアンバサダー」として、五輪運動の旗振り役も果たしている。

もちろん、東京の2020年オリンピック・パラリンピック招致を応援している。何事もチャレンジ。スポーツの力、オリンピックの力を信じている。「ニッポン復活」にかける思いがアツい。

「今は情報化社会です。いろんな情報が入ってきて、今の若い子は我々の時より、悩みの要素が多いかもしれない。でも、まずやってみる。考えるより、まずやってみる。結果が出て、よかったのか、悪かったのか。その繰り返しじゃないですか」

スキー・ノルディック複合で1992年アルベールビル、94年リレハンメル両五輪で金メダルを獲得した。双子の次晴もノルディック複合の元選手。「キング・オブ・スキー」の異名をとった。

政治家として、かつての安倍改造内閣で経済産業大臣政務官も務めた。早大OBの42歳。振り返れば、自身の半生もチャレンジの連続だった。

「将来に不安を感じて、黙っていてもダメなんです。頭で考えるより、まずやってみる。スポーツだって、勉強だって、どんな分野でも一緒だと思う。とにかく、飛び込むんです」

自信に満ちた振る舞いゆえか、場の雰囲気も明るくなる。気さくさは変わらない。記念撮影を頼まれれば、2020年東京招致の旗の前で気軽にカメラに収まるのだった。

(松瀬 学=撮影)
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