「100円でええ」

午前10時ごろ到着した。現場には、すでに、チラシを片手にした女性たちが待っていた。

露店を出す前日に、自分たちで刷った「矢野商店」のチラシを、その周辺の住宅のポストに入れて歩いた。それを見た人たちが、矢野の到着を今か、今かと待っていたのである。

ふだんは、朝4時ごろに起きて早めに現場へ着き、商品に値札をつけて開店準備をする。

しかし、今回は開店準備などしている場合ではなかった。

「早くして!」

待っている客たちにせかされ、急いで荷物を降ろした。

商品を並べる前に、勝手に客が段ボール箱を開け、目当ての商品を探し出す。

「これ、なんぼ?」

急いで、伝票を見る。

「ちょっと待って」

扱う商品の数は、何百にもなる。なかなか、見つからない。

客を待たせるわけにはいかない。思わず矢野の口をついて出た。

「100円でええ」

石油ショックで原価がどんどん上がってしまう

それを聞いたほかの客も、矢野に聞いてくる。

「これは、なんぼ?」

矢野はまた答えた。

「それも、100円でええ」

100円硬貨
写真=iStock.com/itasun
「それも、100円でええ」(※写真はイメージです)

値段をつけるまもなく、商品が売れていく。

こういう意図しないきっかけから、矢野が扱う商品は、全部「100円」になった。

矢野が思わず口にした「100円」が、矢野の人生の運命を変えることになる……。

 

「矢野商店」を立ちあげ、商売をはじめても、いいことはなかった。

100円均一で商品を売るということは、上限が決まっていて値上げができないということだ。やっと食えるようになったかと思えば、昭和48年(1973年)の石油ショックや、田中角栄の列島改造論などでインフレになり、原価がどんどん上がってしまう。

気がつけば、10パーセントも仕入れ値が上がっているものもあった。