中学受験は親と子の共同作業だといわれる。親は、第一志望校に合格できるのは一部に限られる狭き門をなんとかクリアしてほしいと受験当日までフルサポートするが、中学受験塾を主宰する矢野耕平さんは「親がよかれと思ってやったことでかえって子供を勉強嫌いにしてしまったり、合格できる実力があるのにそれを発揮できないようにしてしまったりする悲劇も起こる」という――。

※本稿は、矢野耕平『ぼくのかんがえた「さいきょう」の中学受験』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。

片目のないダルマに目を入れる
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間違いばかりを気にする親

わが子が中学受験勉強で「最凶」の事態に陥ってしまう……この筆頭に何が挙がるのでしょうか。わたしは「子どもが勉強嫌いになってしまうこと」だと考えます。そもそも勉強というのはそれまで知らなかった「知識」や「教養」をさずけるものであり、本来わが子の視野を広げる、世界が広がる大変にエキサイティングなものです。

ところが、中学受験勉強に専心しているうちに、勉強に嫌気がさしてしまう、勉強に向かうことに恐怖心を抱いてしまう……これは本末転倒と言わざるを得ません。このような由々しき事態を招くのは、保護者のわが子への接し方(加えて、指導する講師のスキル)が大きいのだろうと、これまでの経験上感じています。

わが子がその日のテストで「七〇点」の答案を持って帰ってきました。まずめてやることができる保護者はどれくらいいるでしょうか。

わたしは大半の保護者は「できなかったもの」ばかりに目を留める傾向にあると踏んでいます。できなかった「三〇点」ばかりに焦点を当ててしまうのです。「あなた、このできなかった三〇点はどういうこと?」

わが子に対してこんなふうに責め立ててしまう……それが積み重なると、子どもは間違えることがどんどん怖くなってしまい、結果的に勉強が負担になってしまうのです。

そういえば、最近は中学受験対策の「早期化」が一部に見られるようになり、小学校一年生や二年生から塾通いするケースを見聞きするようになりました。わが子が塾に嬉々として通い、学ぶことを楽しめているならば、早期の塾通いには大きな意味があるのでしょう。

しかしながら、一年生や二年生からテストの得点結果を親から「監視」され、毎度のように間違えた部分を叱責しっせきされてしまう……それがきっかけで勉強面において自信を失い、学ぶことを重荷に感じてしまう低学年生になってしまうと、その後のリカバリーが難しいのです。そうなると、中学受験勉強の経験で身に纏まとってしまった「負」を引きずりながら、その子は生きていかねばなりません。これって怖いことだと思いませんか?

わが子をなかなか褒められないのは「距離が近い」保護者ゆえ当然のことです(わたしも自信がありません)。だからこそ、勉強面については塾などの第三者にある程度託して、保護者はちょっと離れたところから見守るという姿勢を貫いたほうがよさそうです。