パワハラ行為の裏にある昭和野球

パワハラ行為は許されるものではない。ただなぜ安樂がこんな低レベルな不祥事を起こしたのかを考えると、長年にわたって球数制限を追いかけてきた筆者にとっては、「昭和野球」という影が見て取れるのである。

安樂智大は、吉田輝星(金足農→日本ハム→オリックス)とともに、高校野球が2021年から導入した球数制限のきっかけとなった投手だ。

安樂は愛媛、済美高校のエースとして頭角を現し、2年生時に2013年春の甲子園に出場。初戦から決勝の途中までを一人で投げぬき、722球を記録した。これは試合数の少ない春の甲子園では異例の球数だった。

夕方の試合で投球する球児
写真=iStock.com/gilltrejos
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この球数に注目したのは日本メディア以上にアメリカのメディアだった。CBSやESPN、米・Yahoo!スポーツなどのメディアが「投手にとって正気の沙汰と思えない過酷な負担」を大々的に報じた。

なかでもYahoo!スポーツの記者ジェフ・パッサン(現在はESPNの記者)はこの「事件」に注目し、来日して済美の上甲じょうこう正典監督に話を聞いた。

「投手の酷使ではないか」と詰め寄るパッサンに対し、上甲監督は、厳しい練習に耐えて、それを乗り越えてこそ人格形成ができるとし、「私は何一つ後悔していません」と言った。

また安樂本人もメディアに対し「これが高校野球だと僕は思ってました。エースが完投してエースが優勝に導く。だれかにマウンドを譲りたくない。何、言ってるのかな? そんな感じでした」と挑発するような発言をした。

上甲監督はこの時既に病魔に侵されていて、2014年9月2日にこの世を去った。3年生になっていた安樂は葬儀で上甲監督の棺を担いだ。

ドラフト1位で入団したが

高校時代のこの一件以降、安樂智大は上甲監督に代表される「昭和の日本野球」の体現者と見なされるようになる。

ジェフ・パッサンはこの時の取材などを基に、日米の少年投手の酷使を題材にした“The Arm: Inside the Billion-Dollar Mystery of the Most Valuable Commodity in Sports”を刊行。スポーツ界に大きな衝撃を与えた。日本でも『豪腕 使い捨てされる15億ドルの商品』(ハーパーコリンズ・ジャパン)という邦題で刊行され、その後に起きた球数制限の議論に影響を与えた。

2年時の春以降、安樂は甲子園に出場できなかった。球速も2年生の夏に記録した時速157が最速で、以後は時速150キロに届かなかった。2年秋には右ひじ尺骨の神経麻痺を起こし、投げられない時期が続いた。

キャプテンになった3年生時には済美高校でいじめ事件が発生。安樂は関与していなかったとされるが、結局、彼の高校野球でのキャリアは2年生の春がピークとなった。

それでも安樂智大は2014年のドラフトで、ヤクルトと楽天から1位指名を受けた。楽天の入団記者会見では「自分には夢の160キロを投げる可能性がある」と話した。

2年目から先発投手として投げ始めたが、右肩などの故障もあって成績不振が続き、2020年以降は救援投手に転向。ここ3年は毎年50試合以上に登板するなど、チームに貢献してきた。