3代将軍徳川家光の乳母、春日局はどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「明智光秀の重臣だった父親譲りの才覚を発揮し、孤児のような立場から将軍に次ぐほどの権力者までに大出世した」という――。
春日局像 狩野探幽筆・麟祥院蔵
春日局像 狩野探幽筆・麟祥院蔵(写真=M-sho-gun/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

「どうする家康」の語り部、春日局の意外な出自

毎回、「われらが神の君は」ではじまるNHK大河ドラマ「どうする家康」のナレーション。語っているのは女優の寺島しのぶだが、いったいどの立場からの語りなのかと、番組がはじまった当初から一部で話題になっていた。

先ごろ、語り部は春日局なのだと発表された。徳川家康の孫で、2代将軍秀忠の嫡男竹千代、すなわち3代将軍になった家光の乳母である。いよいよ寺島がふんして、ドラマに登場する。

たしかに、家康が土台を築いた徳川幕府の支配体制をさらに盤石にした家光の乳母、という立場だから、家康の生涯を理想的に語るには、もってこいかもしれない。それに、じつは波乱万丈の末に大出世を遂げた春日局の人生には、家康とその周辺に対する、さらに深い理解につながる逸話があふれている。

春日局とは、のちに朝廷から賜った称号で、名は福(斎藤福)といい、天正7年(1575)に生まれている。父は斎藤利三で、これがなかなか衝撃的な人物である。福が生まれたころは明智光秀の重臣で、織田信長への謀反を起こす前日の天正10年(1582)6月1日、光秀から事前に、本能寺(京都市)を襲う計画を告げられた5人のうちの一人だが、それだけにとどまらない。