戦略のイノベーション:なぜ思いつかなかったのか

ここからの話は『日本永代蔵』では議論していないので、僕の仮説ということで聞いていただきたい。越後屋呉服店の成功は「大きな間口の店を構え、客を店に来させて、専門知識のある店員による現金切り売り・掛け値なし」という戦略のイノベーションにあったのは間違いない。だとしたら、不思議なのは「なぜ三井がやり始めるまで、これほど合理的な現金切売り・掛値なしという戦略を誰も思いつかなかったのか」ということだ。当たり前の話だが、誰も思いつかなかったからこそ、越後屋の戦略はイノベーションとなり得たのである。現金切り売り・掛け値なしの方が合理的に決まっているのに、ほかの商人はなぜ得意客のところに出向いて行って掛売りで売るという「御用達方式」を変えられなかったのか。

掛け売りについて、西鶴は巻五の「世渡りには淀鯉のはたらき」というエピソードでこんなことを書いている。

「商い上手な人が言ったことがある。『掛売りの代金は取りやすい方から集めるものだ。いつでもわけなく取れるものときめて残して置くと、案外、手間取ったり、あるいは留守だとかいうので、たびたび足を運ぶことになるものだ。そもそも借金取りは世の無常を観じて慈悲の心を起こしてはならない。(中略)言葉使いは丁寧に、顔つきは恐ろしく見せ、台所の板の間の中ほどに腰掛け、煙草も吸わず茶も飲まず、内儀が笑顔で話しかけても聞こえぬふりをして、肴掛の鰤や雉子に目をつけて(中略)その家の良いことばっかり言って、小うるさくもちかけると、ほかの支払いを差し置いても、自分のほうから払ってくれるものだとか。それから寒い折だからと言って、掛取り先の家で酒をのんだり、湯漬飯を食うようなことは、絶対にしてはいけないことだ」

さらに西鶴は、「世の習いで、掛買いをするのは、たがいに承知の上のことなのである」ともいっている。年の瀬には売り手が顧客から売掛金を回収してまわるわけだが、取られるほうも手練手管に通じていて、大晦日の夜まで粘り、「残金は松の内にはなんとか払います」と言えば掛取りのほうが根負けするとか、さらに少しでも回収したい側は銀の目方をごまかされても目をつぶるとか、毎年こういうやりとりになることはお互い承知のうえで掛買い、掛売りをしていた、というのが当時の商売の姿だった。しかも年が明けると年末の胃が痛くなるような駆け引きのことなどケロリと忘れてまたいつものように掛売り、掛買いをやり始める。江戸時代の初期の商人にとっては、「言いも悪いも、商売というのはそういうものだ」という話だったと思う。

江戸時代において大晦日は1年を締め括る収支決算日であり、商人は売掛けした代金を回収して、翌年の商いの資金を確保しなくてはならなかった。商売の資金をどこかから借りている場合は、利息を少しでも多く返済するためにも売掛金をかき集める必要があった。徴収される側も事情は同じで、額面どおりに払っていては翌年の商売の資金確保に影響するものだから、集める側・支払う側で、激しい攻防が繰り広げられた。

この当時、優れた商売人というのは、得意顧客のアカウント・マネジメントのプロだったというのが僕の仮説だ。特定の顧客に贔屓にされる。こっちは商人の勘を総動員して与信管理をし、長期的に続くリレーションの中で持ちつ持たれつでやっていく。その核心部分がおそらく売掛金をめぐる攻防だった。優れた商人ほど、その辺の駆け引きやせめぎ合いのノウハウに長けていたのではないか。長期的なリレーションを前提としたアカウント・マネジメントに優れているのが一流の商売人の条件だったと推測する。

だとすると、既存の商人の発想から「現金切売り・掛値なし」というイノベーションが出てこなかったのはある意味当然の成り行きだといえる。商人動を極めるべく、一生懸命磨いていたせっかくの商売人としての能力を無用の長物にしてしまうような発想は、既存のプレイヤーからはなかなか出てこない。

毎年年末に売掛金の回収で苦労しているのは事実なのだから、三井八郎右衛門を待つまでもなく、もっとうまいやり方を考えつく人がいてもよさそうなものだ。しかし、商売人にとって「商売とはそういうもの」だったのだ。従来の商売人は(優れている人ほど)ますます掛金管理の腕をあげることばかりに血道をあげる。この盲点を突いたのが三井の越後屋呉服店だった。だからこそ戦略のイノベーションになり得た。

その業界で既存の支配的な戦略やビジネスモデルのもとで「合理的」で「大切」なことであれば、みんなが必死に資源と努力を投入する。しかし、「いまみんなが必死になってやっていること」の先には、戦略のイノベーションはない。裏を返せば、従来の支配的な戦略にとってカギとなる武器を完全に無力化する、ここに戦略のイノベーションの本質があるということだ。これが(手前勝手な推測かもしれないが)、西鶴が記述した越後屋呉服店のケースから僕が引き出した洞察だ。

現代の戦略イノベーションでもこうしたロジックがみてとれる。『ストーリーとしての競争戦略』でも書いた話だが、ガリバーインターナショナルの「買い取り専門」の戦略ストーリーは、それがイノベーションであったという意味で、論理的には越後屋呉服店と相似形にある。従来の中古車販売店には、「激安販売!」と「高価買取!」という2つの看板が同時に立っている。これはどう考えても矛盾していると考えた創業者の羽鳥兼市さんは、あるときついに小売りをやめ、「買い取り」に特化することを思いつく。そこから独自の戦略ストーリーが生まれ、中古車業界に流通革命を起こした。

従来の中古車業の焦点は、いうまでもなくマーケティングと消費者への販売力にあった。「いかに売るか」が中古者業者の腕の見せ所であり、「売れる」ということが優れた中古車業の優れたプロの条件だった。小売りをやめて、消費者からの買い取りに特化し、販売はB to Bのオークションでの卸売に絞る。こうしたガリバーインターナショナルの当初の戦略は、従来の中古車業者からしてみれば、「何のために買い取って(仕入れて)いるのか?」という話になる。そもそも消費者には売らないというのだから、「それを言っちゃあおしまいよ……」である。

「それを言っちゃあおしまいよ……」という盲点がどんな業界にも多かれ少なかれ存在する。その業界が無意識のうちに抱え込んでいるインサイダーの盲点――それはしばしば本質的な矛盾を含んでいる――を「そういうもんだよね」とやりすごさず、その背後にある論理の綻びを見破る。そこに戦略のイノベーションの芽がある。これは今も昔も変わらない商売のもっとも面白いところだと僕は思う。

日本文学者のドナルド・キーンさんが司馬遼太郎さんとの対談で、面白いことを言っていた。はっきりとは覚えていないのだが、おおむねこういう話だった。外国人にとっての日本文学としては、井原西鶴や近松門左衛門よりも『源氏物語』の方が理解しやすい。源氏物語は恋愛などの人間の内面の心情を描いているからだ。人間の内面にある心の動きは普遍的なものだから、文化や歴史的な背景をあまり知らない外国人にもよく分かる。ところが、井原西鶴や近松門左衛門などの江戸時代の大衆文学は当時の世事や儒教的な道徳を描いている。だから外国の読者にとってはハードルが高いという。

世事の具体的な内容となると、江戸時代と今ではまるで違う。『日本永代蔵』は日本人にとっても今となってはとっつきにくい面がある。源氏物語は読んだことがあっても、『日本永代蔵』は名前ぐらいしか聞いたことがないという人が多い。しかし、今回強調したように、表面に出てくる世事の背後にあるビジネスの論理は、その本質部分ではあまり変わっていない。

最新の経営手法を紹介するビジネス書もいいけれども、たまには歴史を過去に遡り、古い本を読んでみることをお勧めする。具体的なレベルで全然違っているほうが、中途半端に実践的な「これは使える」という話が出てこないので、抽象レベルにある論理に目を向けやすいからだ。しつこいようだが、ここにはコンプライアンスもJ-SOXもIFRSもMBOもTOBもNPVもEBITDAもB/SもP/Lも出てこない(損益計算書みたいなものはあったかも)。グローバル化もダイバーシティもクラウドもビッグデータもSNSもプラットフォームもオープン・イノベーションもリバース・イノベーション(いまが旬なようなので入れてみた)も関係ない。しかし、それだけに『日本永代蔵』は商売の論理を磨くトレーニングとして、格好の素材を提供している(ちなみに『世間胸算用』も最高)。

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