義父が肺がんに

ヘビースモーカーだった義父は、COPD(慢性閉塞性肺疾患)のために毎月通院していた。

ところが2022年の6月、肺がんが見つかり余命1年と宣告を受ける。

すぐに手術を受け、片側の病巣は摘出できたが、反対側の肺にも転移していた。医師からは抗がん剤を勧められたが、義父は「やらない」と答えた。

慢性呼吸不全で補助換気療法を受けているシニア
写真=iStock.com/Urban78
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しばらくは在宅で過ごしていたが、半年ほど経った頃に肝臓への転移が判明。体力も食欲も低下し倦怠けんたい感があったため、七瀬さんは入院を希望したが、医師が「在宅でみるように」と言う。

「がんの末期患者は手がかかる割に収入が少ないので、医師はそう言ったのだと思いますが、義父も家がいいと言ってなかなか病院に行こうとはしませんでした」

看護師を退職した後も七瀬さんは朝4〜5時に起きて家事や義両親の朝食の支度をした。

6時30分に養子を起こして義両親と一緒に朝食。7時には後片付けをしながら義母に薬を飲ませ、歯磨きと入れ歯洗浄。

火、木曜日は義母のデイサービスだ。義祖母がいた頃は、月、水、金曜は義祖母のデイサービスだった。デイサービスの日にちをずらしたのは、介護の負担が重ならないようにするためだった。

デイサービスの準備をして送り出した後、1階と2階のトイレ掃除。8時には養子が小学校に向かう。

洗濯は、義母が調子良い時は義母が干し、できない時は七瀬さんが干した。11時頃には昼食の準備。時間があれば夫の農作業の手伝いをした。12時には義両親と夫と昼食。義両親には15時ごろまで午睡させ、その間に1階と2階の風呂掃除と買い物をし、時間があればまた夫の農作業を手伝う。

15時ごろ、洗濯物を畳んでいると、養子が帰宅。16時過ぎには夕食の準備を始め、18時ごろ、義両親、夫、養子と夕食。片付け後は義母に夜の洗面、オムツ交換をして寝かせる。

「日によって義母の病院受診、訪看さんやケアマネさんとの話し合い、義叔母が来ればその対応などもあり、なかなか時間がありませんでした」

七瀬さんはがんになった義父のために、何かあった時の病院探しをしておいた。宣告からちょうど1年経った今年の6月。義父は突然「病院に連れて行ってくれ」と言い、すぐに入院。9日後に亡くなった。80代半ばだった。

「入院した義父の面会に行っていたのは私一人でした。義母なんて、(退院後に自宅での食事の際に)食べられなくなってつらそうな義父の前で、何度もご飯をおかわりして見せて、まるですでに“いないもの”扱いでした。そのせいか、私が面会に行くと、『会いたかった、会いたかった』と言われましたが、感謝や謝罪の言葉は最後までありませんでした……」