なぜ、東京や大阪など都心部に鎮守の森が多いのか

東京都内では東京・芝の増上寺、上野の寛永寺、新宿御苑や明治神宮などの寺社仏閣の空間も然りである。かつては、増上寺は隣接するプリンスホテルや芝公園を含めた広大な敷地が、寛永寺では上野公園全域が、広大な寺院境内地であった。

東京都の寺院数は約2900カ寺、神社数は約1500社ある。大阪府でも約3400カ寺、約700社だ。それぞれに鎮守の杜が広がっていると考えれば、いかに宗教施設が地球環境の保全に貢献しているかが、お分かりだろう。

仏教にも造詣が深く、環境保護と宗教の関係性についても論じてきたのがノルウェーの哲学者アルネ・ネスである。1972(昭和47)年、ネスによって提唱された「ディープ・エコロジー(深いエコロジー運動)」は、まさに仏教のもつ共生思想そのものといえる。

ディープ・エコロジーは、「シャロー・エコロジー(浅いエコロジー運動)」との対比で用いられる。シャロー・エコロジーは、環境問題に取り組む際に、とりわけ先進諸国の経済・生活・社会保障などのレベルを維持し続けることを前提としている。

しかし、ディープ・エコロジーでは、自然に存在する生き物はすべて平等であるととらえ、人間中心的な環境思想は根本から見直さなければならないと、説く。そのため、現在の経済水準をシュリンクさせていく必要も求められる。

このディープ・エコロジーの考えこそ、仏教のもつエコロジー思想とかなりの部分で合致する。

例えば、仏教の根本思想を伝える経典涅槃ねはん経には《一切衆生いっさいしゅじょう 悉有仏性しつうぶっしょう》と説かれている。これは生きとし生けるものすべてには、仏としての本質が備わっているという意味であり、ネスの平等思想と相通じる考えだ。

ようは「あらゆる命(衆生)は平等」としてとらえ、他者に「慈悲」の態度で接し、さまざまな関係性(縁起)のなかで生かされているとの認識「共生」を持とう、というのがネスや仏教のエコロジー思想といえる。

神社が有する鎮守の杜を守ろうとしたのが、南方熊楠みなかた・くまぐす(1867-1941)であった。南方は博物学、民俗学における近代日本の先駆者的存在であり、わが国最初のエコロジストと呼ばれる植物学者でもある。

きっかけは1906(明治39)年、明治政府(西園寺公望内閣)が神社合祀ごうし令を発布したことである。神社合祀令とは「神社の廃仏毀釈きしゃく」と位置付けられている。この法令によって全国の神社が大規模に整理統合されることになった。基本的には、それまで地域に点在していた神社を、1つの町村につき1社にまとめるというもの。これによって1914(大正3)年までに、約20万社あった神社が、日本書紀などに記された由緒ある神社のみの7万社まで減らされた。その結果、明治後期に日本の多くの神社の大木が伐採されるという、大規模な環境破壊が国家主導で行われたのである。

現在、地域に無人の祠(神をまつっておく建物、ほこら)や、神社境内の片隅に個別で小さな祠が祀られているのをよく眼にするが、神社合祀で再編された際に壊され、「祠化」した事例であることが少なくない。

無人の神社でも「鎮守の杜」は保全されている
撮影=鵜飼秀徳
無人の神社でも「鎮守の杜」は保全されている

背景には、明治以降の国家神道によって、神社が国の管理になったことが挙げられる。国は20万もの神社を管理する財源が確保できなくなり、統廃合せざるを得なくなったのだ。神社合祀令によって、約13万社が消えてしまったわけだが、神社境内が消えてしまうことに対して当時、ナショナルトラスト運動(市民が自分たちのお金で身近な自然や歴史的な環境を買い取って守るなどして、次の世代に残す運動)が展開されている。