六甲おろしが朝のシグナル

そうしてその中村が1977年に新自由クラブから衆議院議員選挙に立候補する事となり、番組を引き継いだのが道上洋三である。こうして、そこから昨年までの45年にわたって「おはようパーソナリティ――道上洋三です」が放送されてきた事になる。

筆者の実家では、朝の目覚まし時計代わりにこの放送を聞いていたので、中村アナウンサーが「六甲おろし」を歌い始めたら、そろそろ学校にいかないといけない、という日々を送っていた。つまり、日本全国の他地域では「ラジオ体操」の音楽が、「朝のシグナル」として機能している様に、関西地方ではラジオから流れてくる局アナが歌う「六甲おろし」がその役割を果たしてきたのである。

そもそも依然として昭和の時代、インターネットなどある筈もない時代、プロ野球に関する情報の入手の難しい時代。多くのファンはテレビやラジオ、更には翌日の新聞の朝刊でひいきチームの試合結果を知るのが精いっぱいであった。

しかし、突然、朝から大阪で最大の民間放送局が、自らの応援する球団を露骨に明らかにして、時には「大本営発表」であるかのような、大体な宣伝を繰り返す事になったのである。

阪神ファンでないと友達ができない

こうして大阪の1970年代、大阪の民間放送局の「阪神シフト」が急速に展開し、この地域における「プロ野球に関わる情報」のバランスが大きく崩れる事となった。同じく関西に本拠地を置いていた近鉄、南海、阪急の情報は隅に追いやられ、小学生らの間では、阪神ファンである事が当たり前の様な状況が出現した。そして理由は簡単だった。当時のメディア環境では、テレビのプロ野球中継は日本テレビ系列の放送が流す巨人の試合の中継と、サンテレビが流す阪神の試合の中継が大半だったからである。

ラジオのプロ野球中継もほぼ阪神が独占する状態であり、南海ファンや近鉄ファンは、阪神のプロ野球中継の前等に行われる「近鉄バファローズアワー」や「ゴーゴーホークス」、更には「ブレーブスダイナミックスアワー」といった、プロ野球中継なのかダイジェストなのかすらわからない微妙な番組で、チームの状況を知るしかなかったからである。

情報の寡占状況の結果は、過酷であり、当然の事ながら多くの子供達は阪神ファンになった。否、阪神ファンでなくても、野球の話をする際には、阪神に関わる話題には適用しなければならなかった。

何故なら、仮に南海ファンが「昨日の藤原のプレーは負けを救ったよなぁ」と話しかけても、殆どの人はそもそも「藤原」という選手が南海にいることすら知らないので、会話にはならない。他方、阪神の選手の事は皆、知っているので、話が弾む。「なあなあ、掛布と佐野とどっちの方がサード向いていると思う?」的なかなりディープ話でも、昼休みを潰すことができた。そうでないと友だちが出来ない状況である。