専門家さえ昭和の幻影に惑わされている

かつて「40代がたくさん子どもを産んでいた」という事実について、専門家でも知らない人が多いのではないか、と私は感じています。私が40代出産の資料を集めるため、専門の研究所に足を運んでいた時、顔なじみとなった研究者に、「かつて日本は、40代の出生率が0.4を超えていた」「しかも初産も多かったはずだ」という話をしてみたのです。その際、こうしたデータを知る人は少数、それを調べたことのある人は皆無でした。

厚労省の不妊治療研究会に出ているような医師たちも、同様でしょう。かつて全国縦断で名医と言われる権威たちを取材したのですが、誰もこうした統計を知りませんでした。

タブレット端末を使用して説明している医師
写真=iStock.com/kazuma seki
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つまり、不妊の権威さえ、40歳出産は可能性が低いと、現実以上に考えているようです。

こうした常識が、単なる「昭和の遺物」でしかないと、ぜひとも世間に気づいてほしいところです。

学齢は8年、仕事は10年、人生は20年延びた

最後に、よく考えてほしいのが、女性のライフサイクルの変化です。

その昔、昭和の戦前期は、多くの女性が高等小学校で教育を終えました。この場合、修業学齢はたった14歳です。

それが、戦後になり、最終学歴のマジョリティは、中学→高校→短大→4大と変化していき、現在では学齢は22歳まで延びています。当然、出会いも結婚も出産も後ろ倒しになってしかるべきでしょう。

ただその代わり、それ以降の人生もどんどん後ろ倒しされています。

昭和の50年代まで、女性は早期退職を強いられ、30そこそこで定年などという犯罪的な社内規定を持つ企業が多数ありました。男性にしてもその頃の定年は55歳です。

それが平成の初めには60歳となり、現在では65歳であり、今後さらに延びようとしています。

そして、寿命は戦前が60歳だったものが、現在では85歳まで延びている。

学齢8年、定年10年、寿命20年もの違いが生まれています。